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オーネット・コールマンのレコード 19  「アメリカの空 」  The recordings of Ornette Coleman No.19 "Skies of America"

Tracklist
A1 Skies Of America 2:48  A2 Native Americans 1:11  A3 The Good Life 1:33  A4 Birthdays And Funerals 3:14  A5 Dreams 0:53  A6Sounds Of Sculpture 1:19  A7 Holiday For Heroes 1:09  A8 All Of My Life 3:40  A9 Dancers 1:18  A10 The Soul Within Woman 0:50  A11 The Artist In America 3:56
B1 The New Anthem 0:31  B2 Place In Space 2:44  B3 Foreigner In A Free Land 1:19  B4 Silver Screen 1:12  B5 Poetry 1:14  B6 The Men Who Live In The White House 2:50  B7 Love Life 4:34  B8 The Military 0:33  B9Jam Session 0:40  B10 Sunday In America 4:28

Credits

  • Alto Saxophone [Uncredited], Composed By, Liner Notes, Orchestrated By – Ornette Coleman

  • Tenor Saxophone, Oboe [Uncredited] – Dewey Redman

  • Bass [Uncredited] – Charlie Haden

  • Drums [Uncredited] – Ed Blackwell

  • Conductor – David Measham

  • Orchestra – The London Symphony Orchestra

  • Engineer – Mike FitzHenry, Anthony Clark*

オーネットはコンポーザーとしのアイデンティティーを強調する形でデビューした。そのことは、デビュー盤の「Something Else!!!!」を全曲オリジナルで固め、「the music of ornette coleman 」と打ち出したことにも表現されている。例えばオーネットより前にレコード・デビューしたセシル・テイラーのトランジションからのデビュー盤の1曲目はモンクのカヴァーである。当時はセシルのように何かしらルーツを明らかにするカヴァー作などを入れるのが通常だったように思うが、オーネットの場合はコンポーザーという点に特別なこだわりがあったわけである。

その後「This is Our Music」の時期に、作曲者よりも演奏者が優位であるという論をライナーで展開し、初めてのカヴァーをアルバムに収録した。これ以降、カヴァーの有無はあまり重要ではないにせよ、アルバムはグループ・インプロビゼーションの記録のような様相を呈して行ったと思う。

作曲の方はタウン・ホールやクロイドンのコンサートにみられる弦楽への書き下ろしがこの期間の目立った成果となっている。これらの弦楽作品に関してはアルバムに入っていても、積極的に聴こうと思ったことはない。個人的に、何か余芸的な位置付けにしてしまっていた作品であった。ただ、オーネットのキャリアをふりかえると、この余芸的に見えたものを、最終的にものにし、この作品であったり「チャパカ組曲」であったりの結果を出している。大したものである。

この「アメリカの空」は、再びコンポーザーとしてのオーネットの成果を印象付けるものとなった。何しろオーケストラを念頭に置いた作品である。コロムビアというメジャー・レーベルの環境を上手く活用したといえる。
さらに、オーネット曰く「『アメリカの空』は「『ハーモロディクス・セオリー』と呼ばれる(オーネットが主張しているものだから「呼ぶ」の方がしっくりすると思う)セオリー・ブックに基づき、シンフォニー・オーケストラのために編曲(orchestration)された作品集である。」とのことで、ここでついに「ハーモロディクス理論」の登場となる。現在はオーネットといえば「ハーモロディクス」というぐらい有名になったこの言葉であるが、この作品のライナー・ノーツが初出であるらしい。

この『ハーモロディクス・セオリー』なるものを、結局オーネットは詳細にセオリーらしく説明せずに終わったことを現段階で我々は知っている。ここで「セオリー・ブック」と言っているからには何かしらそれなりに分量のあるセオリーがあることが前提となっていたハズで、実際オーネットは「The Harmorodics Theory」なる本の出版を準備していたとのことなのだが、結局その出版は行われずに終わっている。

オーネットはここで「『アメリカの空』が『ハーモロディクス・セオリー』に基づいている」としたすぐ後、カッコ書きで音楽評論に関しての批判を述べている。「作曲家が何を試みようとしているのか?全く意に介していないような評論をよく見かける。そのような批評とはいったい何なのだろう?」(はしょり意訳)敢えてここで釘をさし、その後に以下の説明を続けるのであるから「この作品を批評するならば、以下の説明を音楽に即して理解してからにしろ。」的な態度に出ているのである。
この態度表明があるがゆえに、『ハーモロディクス・セオリー』なる打ち出しは、この時点で評論家相手の「ブラフ」的な部分が多分にあったのではないか?と勘ぐりたくはなる。さらに、我々は、実際この後『ハーモロディクス・セオリー』なるものがこの「アメリカの空」でされた説明から離れ、例えば以下のような解説がされる事態に発展して行くことを知っている。
「オーネットの言うハーモロディックとは、まず言葉や文で説明できるものではなく、だからといって実際に音やフレイズで説明できるものでもない。これは僕の感じ方だがハーモロディックは究極的には人間のある姿勢であり、哲学的なものだと思う。...(中略)...ハーモロディックは理論やメソッドではなく、個人の精神的領域に影響をおよぼす密教的なものだと分かる」(沢和幸氏の「トーン・ダイヤリング」のライナーより)
このような話しになって行くことを知っていると、ますますこの時点では「ブラフ」とまでは言わなくても評論家相手の皮肉的な要素が随分あったのではないか?それがあまりに注目されたことで、「ハーモロディクス」という言葉に仮託して風呂敷を広げて行く内「密教的なもの」などという事態になって行ったのではないか?との感を強くするのだがどうだろう?
もちろん、「アメリカの空」の時点ではセオリー的な部分が何もないとは言わない。以下、この「アメリカの空」の時点でのオーネットの説明を見て行く。
曰く「『アメリカの空』はへ音記号(トレブル記号)、ト音記号(バス記号)、テノール記号、アルト記号の4つの音部記号(clefs)のパートを基礎にしている。」
この部分で4パートの楽譜を書いたのだろうことがわかる。これに続いて、「キーを変えることなくレンジ(音域)を調整する、ハーモロディク・モジュレーションが記譜にもちいられている。」と来る。
ということで「ハーモロディク・モジュレーション」は「キーを変えることなく音域(range)を変える」モジュレーションであることが分かるのだが、これは何を意味しているのか?
読み進むと「各楽章(the movements)はキー(調性)から自由に書かれており、同じ音程(intevals)の使用による、移調可、不可楽器の総合ブレンドを使っている。」と書かれていて「キーを変えることなく音域(range)を変える」にもかかわらず「キーから自由である」と来るので、混乱が生じる。
翻訳が拙い上、重ねての当て推量で申し訳ないのだが、「キーから自由である」ということはトーン・センターがないということなのだが、「同じインターバルをその楽器が移調可、不可に関係なく演奏している」というその次の定義から、どちらかと言うとここでは、多調的であるということではないか?と推測できる。
他のいろいろな解説から総合するに、「同じインターバルをその楽器が移調可、不可に関係なく演奏している」との言説で、オーネットはアルト(E♭)とテナー(B♭)を同じ指使いで演奏する類のことを言っている様子で、この結果から生じる多調的ハーモニーのことを「移調可、不可楽器の総合ブレンド」と言っているように見受けられる。
実際に「アメリカの空」は一つのメロディー(ゲシュタルト)を様々な調で同時に演奏して不思議なハーモニーを形成しているように聴こえる。音楽としては、この比較的ゆるやかに進行するメロディー=ゲシュタルトを多調でなぞって行く推移が大変面白いわけであるが、これをもって「ハーモロディクス・セオリー」などと仰々しく打ち出したのはやはり評論家相手の「ブラフ」的意味合いが強かったのではないだろうか?
構成的には、オーネット曰く「8つのテーマがあり、それぞれのテーマにハーモロディック楽章(movement)がある。」とのこと。ただトラック的には21に分かれており、それぞれに意味ありげなタイトルが付いている。テーマのバリエーションやブリッジ的なものに各々別名をつけた結果なのであろう。テーマとはオーネットが作った単線のメロディーのことであろうが「それぞれにハーモロディック・ムーブメントがある。」とのことだ。
オーネットとしては、この作品を批評しようとするに「8つのテーマはどれどれにあたる」のようなことをするように強いているわけだが、この8つのテーマを同定するのはかなり骨の折れる作業だ。明らかにメロディーが異なるモチーフを選んで行くにしてもヴァリエーションをどのぐらい見るかなど判断に困る部分が残る。
8つのテーマを同定しテーマごとに解説を加えているような批評が後に出ただろうか?現状調べがついていないのでなんとも言えないが、まあ「どれがその8つなのだろう?」的な興味に基づいてこの作品を聴き返してみるのも悪いことではない。
さて、ハーモロディクスに関してが長くなったが、この「アメリカの空」に現れている音楽でまず感じるのがやはり単線のメロディー=ゲシュタルトに対してユニゾン的で多調的に進行するハーモニーの面白さであろう。この複雑に滲んだ単線的な進行を追って行くことで「アメリカの空」の世界に引き込まれて行くわけで、このあたり「ジュジュカ」や「ガムラン」に似ているし、ムクドリの群れの飛翔を見るようでもある。
オーネットとも関係の深いガンサー・シュラーがハーモロディクスを「ヘテロフォニー」(https://ja.wikipedia.org/wiki/ヘテロフォニー) 的であると言っていたらしいが、この説明がこの「アメリカの空」に現れた音楽に関してはしっくりくるのではないだろうか。
オーネットがジュジューカのミュージシャンと共演するのはこの「アメリカの空」の後であるので、ストーリー的にその辺りからのインスピレーションを云々するにあまり都合はよくないのであるが、この72年というタイミングで諸々の民族音楽からインスピレーションを受けていない方が希であると思う。
ただ、ライヒのように「リードするもののサウンド・キューで音楽の方向を変えて行く」これらの民族音楽の方法を使った作品(例えば74年の「Music for 18 Musicians」)にまでには至っていないことを見ると、やはり共演する前の作品ではある。
オーネットがこの音楽を評論するものに対して「ハーモロディクス理論」云々を投げかけたために、理屈が多くなってしまったが、20世紀半ば以降に現れたオーケストラを使った作品の中で際立って美しい作品であると思うがどうだろうか?
オーネットはオーケストラの個々のメンバーに「自分固有の声=ピッチ」でこの「メロディー=ゲシュタルト=インターバル」のユニゾン的演奏に自由に参加するように促し、結果この美しいハーモニーを得たのではないだろうか?
デビュー盤の「Something Else!!!!」のライナーで引用されている当時のオーネットの発言「本当に正しいピッチで演奏した時、人間の質感(human quality)を表現することができるいくつかの音程(interval)がある。….実際、人間の声の暖かさを、聴き、表現しようとすれば、いつもその人間的な音に辿り着く」をここで思い出すことになった。
この発言を思い出してみると、ハーモロディクス理論なるものの発想のベースにデヴュー当時からのオーネットの音と人間に対する直感があったことに気づくのである。
オーネット亡き後、「アメリカの空」を生で聴く機会が果たしてあるのか?誰かに挑戦してもらいたいものである。

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