初期のセシル・テーラー4 「ルッキング・アヘッド」 "Looking Ahead!" Cecil Taylor
Tracklist
A1 Luyah! The Glorious Step 6:25 A2 African Violets 5:12 A3 Of What 8:18
B1 Wallering 5:17 B2 Toll 7:33 B3 Excursion On A Wobbly Rail 9:04
Credits
Bass – Buell Neidlinger
Drums – Dennis Charles*
Piano – Cecil Taylor
Vibraphone [Vibra-harp] – Earl Griffith
Engineer [Recording] – Lewis Merritt, Tommy Nola
Notes
Recorded on 9 June 1958 at Nola's Penthouse Studios, NYC.
セシル・テイラーの初期の活動をビュエル・ニードリンガーとデニス・チャールズとのグループでひとまず区切って考えると、彼らのセッションへの参加は60年の「The World of Cecil Taylor」までとなり、その間に合計5枚のオリジナル・スタジオ録音を残したこととなる。
内3枚はトム・ウィルソン絡みで、トランジションの「Jazz Advance」とUAの「Hard Driveing Jazz」「Love for Sale」。残る2枚がナット・ヘントフ絡みとなり、コンテンポラリーでのこのアルバムと「The World of Cecil Taylor」である。
ウィルソン絡みのUA盤に関しては「Jazz Advance」の稿で簡単に触れたが、どうも上手く行っていないというのが正直な感想である。「Love for Sale」はこの盤と同じスタジオを使い録音も後なのだが、音質もパッとしない。担当のエンジニアにトミー・ノラ氏が入ったか入っていないか(このアルバムは入っている)の違いがあるので、そこが大きいのかもしれない。「The World of Cecil Taylor」もノラ氏不在で、この録音よりも2年後なのだが、サウンド的に劣っているように思う。目に付く一番の違いはシンバルのサウンドで、この盤以外は随分オフで録れている。
手持ちはこの盤がオリジナルのステレオ、他がオリジナルのモノラル、という違いがあるので、この盤のオリジナルのモノラルを入手するまで正当な比較とは言えないかもしれないが、コンテンポラリーからのサウンド面での要望がある程度関係したのかもしれない。
さて、このアルバムにはアール・グリフィスというVibプレイヤーが参加している。Discogで調べても、レコーディングの参加記録がこのセッションとガイ・ワレンのアフリカン・ドラムのアルバムに1曲参加している以外に見当たらないレアなプレイヤーなのであるが、ナット・ヘントフのライナーによると26年ブルックリン生まれで、ヴァイオリン、サックス、クラリネットを演奏した後、52年からVibを始めベニー・ハリスやガイ・ワレンなどと仕事をしていた、とのこと。であるから、ビバップ、アフロ・ジャズのサークルに属するミュージシャンのようだ。
このグリフィスの参加がこのアルバムの特徴となっているのだが、結論から言うと、この時期のホーンの入った他の作品よりも随分聴きやすい。スティーブ・レイシー、コルトレーン、ドーハムと50年代のスタジオ録音にはホーン・プレイヤーが参加しているのだが、この時期はセシルの音楽とのギャップが大きい上に、やはりホーンの存在感は大きく、ホーンが入ると「ビバップ・バンドに妙なピアニストが入っている」といった風に聴こえてしまう。
その点グリフィスもプレイの内容はいたってオーソドックスなのだが、楽器の性質上ホーンほど主張が強くなく、違和感が少ない。もちろんアンサンブルとしてセシルのヴィジョンを体現しているとは言えないものであるが、ベターなのである。
以下スニークですが曲ごとに。
「Luyah! The Glorious Step」に関してセシルは「Aマイナーのブルースでエオリアン・スケールがとっかかりとなる。」と述べたあと「Aマイナー・キーは私の好きなマイナー・キーの一つとなっている」「ジャズ・アーティストはたとえどんなスタイルのアーティストでもブルースを上手く演奏できなければいけない。」と述べている。
確かにアップ・テンポではあるがブルース・フォーマットを踏襲しており、12小節の区切りを感じることができる。冒頭のセシルのイントロはどこかバッハ風でブルース・フィーリングからは遠い感じなのだが、その後のベース・ラインが12小節のブルース・フォームを提示する。そこにチャールズが入ってくるのだが、意外なタイミングでシンバルが入る。タイムはキープされるのだが、オカズのタイミングで意表をつく。セシルにしても12小節のブルースを弾き出し、戻ってはくるのだが、途中意外なハズレ方をし、どう戻ってくるのか?、ってこないのか?といった場面がある。まあこのあたりが聴きどころになるのだろうか?そんな中でニードリンガーとグリフィスは真っ当な演奏を続けている。
「African Violets」はグリフィスのオリジナル曲でセシルのテンション絡みのバッキングがなければ普通にラウンジなどで聴けそうな曲である。途中ドラムスとピアノ残りの音数の少ない部分があり、その極端な少なさは演奏が止まってしまうのか?と思うほどだ。
「Of What」ではトリオ編成になり、セシルがライナーで述べるには、下敷きになっている曲があるとのことで「その曲が何かリスナーがあてるのも一興」などと言っている。似た進行の曲が多数あるため断言できないが、ぼくは多分「I Want to Be Happy 」ではないかと思う。そう思ってこの演奏を聴いて行くと、3者によるインタープレイを楽しい気分で聴くことができるから不思議だ。
「Wallering」はタイトルから何かファッツ・ウォーラーの曲が下敷きになっているのであろうことが想像される。「Everybody Loves My Baby」と「Squeeze Me」あたりを混ぜこぜにした感じであろうか?「これは典型的なジャズのやりかたでサウンドをオーガナイズする試みであり、2人が同時に即興演奏をする上に成立している。」のだとセシルは述べている。確かにVibとピアノが同時に即興演奏をするオープニングに始まり、エンドもその趣向で終わっている。途中セシルの長いソロ部分があり、そこでファッツ・ウォーラー的なフレーズが散りばめられる。全体的にある程度の構成を感じるが二人の即興の同時進行的もつれが、この後に到来する集団即興演奏的なものへの予感を感じさせる。「セシルが典型的なジャズのやり方」とするのはニューオリンズ的な、もっというとフーガ的なやり方を指して言っているのだと思うが、現れたものは過去の型に対する言及とうよりも、未来への示唆を感じさせる予言的なものとなった。
「Toll」はCooper Union(NYの私立大学)でのコンサートのために作曲された曲で3部構成とのこと。Cooper Unionでのコンサート(58年)がセシル初のホールでのコンサートだったとのことである。セシルのコメントによると3部の内最初と最後のパートが書かれており、真ん中のパートは即興を前提にしているとのことである。特に最後のパートは後々繰り返し聴かれる印象的なフレーズを含んでいる。真ん中のパートは「The World of Cecil Taylor」にも通じるレイジーなブルース。
ラストの「Excursion On A Wobbly Rail」エリントンの「Take the A Trane」をベースにしていると思われる曲で、らしい掛け合いから入る。セシルが言うにはここで彼はインドやバリなど東洋の音楽から学んだこと「その演奏集団のカラーの利用」を行なっているとのことだ。イメージはなんとなく伝わってくるが、特に東洋的なものなのだろうか?「Excursion On A Wobbly Rail」はルー・リードが学生の時に自身のラジオ番組のタイトルにしていたのだ、と聴いたことがある。検索してみるといくつかの記事が出てきたので、興味のある方は検索してみてください。
このアルバムのナット・ヘントフによるライナーはセシルへのインタビューを含んでいて当時の様子を知るに大変良い。「Jazz Advance」の折にも書いたが、ヨーロッパの音楽の影響に関して「アメリカの黒人としての自身の体験に根ざすものとして、エリントンがそうしたように、使えば良い」などと発言している。さらにモンクやマイルスにも言及している。
ヘントフはこの段階でセシルのスタイルはまだ十全に姿を現してはいないが、既になした事でも彼を"みんなの最前衛(in the avan garde of everybody)"たらしめているとし、「彼の作品にはアメリカの黒人音楽の歴史が込められており、彼はその歴史的な言葉に独自のものを付け加える、新しい使い手である。」として論を終えている。
ヘントフはこの後自身のCANDIDレーベルで「The World of Cecil Taylor」をプロデュースすることになるが、このジャズの新しい流れをいち早く評価し、自身もプロデューサーとして積極的に関わることを決断したわけだから、ジャズの未来を明確にここに見たのであろう。
アルバム全体としては、最初に書いたように、聴きやすいできではある。録音も良い。ただ「The World of Cecil Taylor」の「AIR」のようなインパクトのある曲がなく、カルテットもアーチー・シェップではなくアール・グリフィスの参加である点などで、「The World of Cecil Taylor」のような評価にはならないし、スタイル的な飛躍が目立ってあるわけでもないため「Live at Cafe Montmartre」のような位置づけでもなく、さらに「Bemsha Swing」のカヴァーで強烈な印象を与えたデビュー作「Jazz Advance」のようでもない。が、まとまった良いアルバムであると思う。
つづく