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ミルフォード・グレイブス 「パーカッション・アンサンブル」 Milford Graves "Percussion Ensemble"

Tracklisting
A1 Nothing 5-7 2:35   A2 Nothing 11-10 6:15   A3Nothing 19 7:40
B1 Nothing 13 5:30   B2 Nothing 12:32
Credit
Drums, Bells, Gong, Shaker, Composed By – Milford Graves
Drums, Bells – Sunny Morgan*
Engineer – Richard Alderson
Recorded July 1965

ミルフォード・グレーヴスの初リーダー作。この盤はよく聴く。持っているのがMONOで、普段この時代のジャズ系、特にヴァンゲルダーものはチャンネルのセパレーションの問題があってMONO盤を好むのだが、これに関してはStereoが盤が欲しいと思っている。パーカッションのデュオものであるので、楽器の分離がありそれぞれの位置がわかると動きが見えて良さそうと思うからだ。とはいっても昨今は中古盤が高くなってしまい買う気が失せてはいる。

ミルフォード・グレイブスに関しては70年台以降、教職についてから、YARAという独自の武術を立ち上げたり、薬草に凝ってヒーラーとして活動をしたり、音楽で言えば心拍に注目し、そのリズムに合わせることからの癒しの効果を研究してみたりで、WIKI(日本語)では職業:ミュージシャン、音楽名誉教授、研究者/発明家、ビジュアル・アーティスト/彫刻家、庭師/薬草家、武道家となっているが、音楽よりもそのニューエージ的でエキセントリックなキャラクターや活動がもてはやされて行った経緯がある。であるから彼の音楽は「音」以外の説明を重層的にまとうことになっている。

音楽は全人的な表現であるのだからそれはそれで有りではあるし、それが本人の資質でグレイブスの興味深いところであると思う。本人としては「ドラムの皮を水の表面にたとえて考えている… ミュージシャンとして、私たちは宇宙で最も繊細なものに向き合っている。感情、周波数、生命、生命力… 私たちは生きる上で最も微妙な事象と向き合っているんだ。音、それがすべてだ!」(81年、Wiki英語版から孫引きです**)と言っているから「音」の追求上の必要から全てをオーガナイズしているのであろう。

93年の来日時のインタビューがあり、彼の考えの一端ではあるが、かなり誠実に一生懸命説明している。なつかしの立松節も聞ける。

さらに未見であるが弟子が監督したドキュメンタリー"Milford Graves Full Mantis"(2018)がある。

さて本題であるが、"Percussion Ensemble"はそのあたりのことが未だ始まっていなかった65年の作品である。このブログでよく参照する"Always in Trouble An Oral History of ESP-Disk"*で、グレイブスがこの作品いついて以下のように話している。

Q: そこから、どうやって"Percussion Ensemble"のような音楽にたどり着いたんですか?
MG:1965年頃、俺はインド音楽に魅了されたそれで、ワサンタ・シン(Wasanta Singh)というタブラの師匠を見つけて、彼に弟子入りした。(中略)ワサンタ・シンは俺にこう言ったよ。「君はタブラの才能がある。インドに来て本格的に学ばないか?」でも俺は、すでにフリージャズに身を捧げると決めていたから、インドには行かなかった。それでも、俺はインドのリズム体系を本気で研究した。そのうえで、西アフリカ、アフロ・キューバ、ハイチ、ブラジルのリズムを組み合わせていった。そしたら、俺はこう思ったんだ。「これだ! 俺のやるべき音楽はこれだ!」

Q: そういうアイデアを一緒に演奏するミュージシャンたちと共有できましたか?MG:それがな… 俺は知り合いのアフリカンやアフロ・キューバンのパーカッショニストたちと連絡を取って、一緒に演奏しようとしたんだけど、みんな俺のコンセプトを理解できなかったんだ。俺がやっていたのは、7拍子、10拍子、13拍子といった変拍子を使ったリズム構造だった。でも、彼らはそういうリズムの枠組みの中で演奏するのが難しかった。「10拍子の中で叩いてくれ」と言っても、誰もできなかったんだ。だから、最終的に"Percussion Ensemble"は、俺とサニー・モーガンのデュオになったんだよ。

この2つのセンテンスから思うに、グレイブスはタブラを習得する過程で改めて口承リズム、例えばインドものだと「タカディミ、タキタ、ディゲナ」(10拍)etc..の伝統に触れ、それを習得して行くうちに、他の地域、例えば西アフリカだとジャンベ「Pa ta Pa ta, Go do Go do」、ハイチのヴードゥー「Ti ti ka ti ka, ta ta ka ka」などのの口承リズムのパターンと組み合わせて即興演奏するアイデアを持ったのだと思う。

それを敢えてメトリックに拍子に直して考えると10拍だ13拍だという説明になり、変拍子を使ったリズム構造ということになる。さらにこれをデュオでやることで、ポリリズム化できる。

グレイブスはもともと子供時代よりラテン・パーカッションを叩いていたとのことで、口承リズムでパーカッションのパターンを習得していたはずだ。それが他の文化圏の口承のパターンに触れ、そしてもちろんフリージャズという運動の渦中にあって、そのミクスチャーを思いつき「これだ! 俺のやるべき音楽はこれだ!」ということになったのだと推察する。シンプルな思いつきではあるが、肉体化し実践するにはそれなりの鍛錬が必要であったろう。

これは例えばピアノで12音の音列からなる音楽を即興演奏しようとすると、まずは指で様々な12音のパターンを覚えないと始まらないという事態に似ていると思う。10拍子だ13拍子だという不慣れかつ色々な解釈が可能なパターンはそうでもしないと即興できない。「10拍子の中で叩いてくれ」と急に言われても10拍子のパターンをいくつかもっていないと即興できないのは当然で、サニー・モーガンはインド音楽なりヴードゥーなりに精通していてパターンを持っていたのではないかと思う。

以上はグレイブスの発言からの推察である。このアルバムの批評に「ドラムで話しているようである」とい言説を見かけるが、もう少し事情を考えると上のような話になるのだと思う。

これを元に例えば「一曲目の"Nothing 5-7"は5拍と7拍のコンビネーションで…」的な具体的な展開ができれば理想的なのだが、実際に"Percussion Ensemble"にそれらのパターンを見出して分析したわけではないので、この音楽を説明するもっとのらしい話の一つ、聴く時のガイドというかマクガフィン的な説明の一つと取っておいていただきたい。

他にグレイブスは「ほとんどのドラマーは、リズムを演奏することにばかり囚われていて、実際の “音” に対する意識が足りない」「ドラムスキンは水面のようなものだ。触れるたびに異なる波紋が広がる」「皮を叩くことは、心臓の鼓動や呼吸のリズムと同じだ」などドラムスキンとそこから音を引き出すことに対する独特のこだわりを語っている。これらは65年当時の発言ではないが、実際にはスティックを使っていることが多いにせよ、手でスキンに触れるラテン・パーカションから入った経験を上手く言語化していると思う。

と、以上グレイブスの音楽のスターティング・ポイントと、その現れの記録である『Percussion Ensemble』について書いたのだが、そこから亡くなるまで50年以上、本人の探究は続いた。2019年のパフォーマンスの映像があったので、以下。

+73年のパフォーマンス。

*Always in Trouble An Oral History of ESP-Disk, the Most Outrageous Record Label in America by Jason Weiss

**Burwell, Paul (Summer 1981). "Bäbi Music". Collusion. No. 1. p. 33.

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