『パーフェクト・デイズ』で思い出したこと
ヴィム・ヴェンダースのインタビューを聞いたときのことを、少しだけ。
それはたしか2006年のこと。池袋の文芸座でヴィム・ヴェンダース作品をオールナイトで上映したとき、来日していたヴィムが舞台挨拶とインタビューをするというので、私も聞きに行きました(新作宣伝にあわせての上映だったかもしれない)。
メモによると、まず「ブエナ・ヴィスタ・ソシアル・クラブ」のことを、こんな風に言っています。
それから『パリ・テキサス』については、ロード・ムービー愛を語り、『ベルリン・天使の詩』についてもずいぶん語ったのですが、ものすごくうろ覚え。メモは残っていません。小津については、「とっても好きで、何回も何回も、繰り返し繰り返し見ている。彼の映画は、日本語が分からないのに、何を言っているか台詞がぜんぶ、分かるんだ」と言っていたのを、よく覚えています。自分が日本人でないのがくやしいと思うほど、自分が小津を好きなことを、ぜひ皆さんもわかってほしい、というような情熱のこもった話し方でした。そのあと、会場で聴いている人たちの質問を受けてヴィムが答える時間が少しだけあり、そのときの質問と答えは、私のその後にとても影響を及ぼしたので、周回でFBにも書いていますが、このような内容でした:
当時の私は、どちらかというと「自分でなければできないこと」を探すような状態だったのですが、この言葉が、だんだん、ニッチな仕事のほうへと、私を誘ってくれたように思っているので、ある意味、恩人みたいにも思っています。
というわけで、この15年以上、彼の言葉が私に与えた影響のみに目をやってきたわけで、ヴィムの活動については、無頓着でした。
『東京画』なども気になってましたが、スルーしておりました。
ところが今回『パーフェクト・デイズ』を観て、当時おそらく彼の頭の中にすでにあった「種」のようなものが、芽を出し、若木になり、そして木漏れ日ができるぐらいの大きな木(森?)になっていることを確信。
15年以上の歳月を思うとき、この映画は小津へのオマージュであり、平山さんへの共感であるとともに、ヴィム・ヴェンダースという「人」を描いた作品であるようにも思ったわけです。
17、8年前に会った彼は、肘当てのついたとても型のくずれたツイードのジャケットを着ていました。
ポケットにもの(おそらくカメラとかテープレコーダーとか)をいっぱい入れるせいで、両方ともバッグぐらいに飛び出し、たるんで、倹約家のドイツ人でも「新しいのを買ったら?」と言いそうなものでした。
映画からだけでも、言葉からだけでもなく、あのジャケットで、私は彼に親近感を覚えました。
それも、書いておきたかったエピソードの一つです。
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