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家族を支えてくれた母が描く絵 ~こころをつなぐもの~

「こころをつなぐもの」をテーマにnote記事の発信にチャレンジしてみたいと思います。初回の記事は「家族を支えてくれた母が描く絵」です。

私の母は絵を描きます。若い頃に田舎から東京へ出て、美術学校で油絵を学んだのだと聞いていました。
 
私が小さい頃のおぼろげな記憶に、母が油絵を描いていた風景があります。その姿は決して優雅なものではありません。鬼気迫る表情でカンバスの上の絵具をナイフで削り込む、そんな描写がピッタリです。母が、美術展のコンペに意欲的に出展していた頃です。
 
私が物心ついた頃には、母はすっかり油絵を描くのをやめていました。我が家は決して裕福だったわけではありません。油絵は絵具や画材、結構費用が掛かるものなのです。生活を安定させるためには何かを犠牲にする必要がありました。
 
母は油絵を諦める代わりにデッサン画のスケッチを始めました。地元の山寺にある「五百羅漢像」を一体一体書き写す作業です。母は、夫婦と子ども3人の家族が、大過無く過ごすことだけを願ってスケッチを続けました。母は、19年を掛けて、羅漢像534体のスケッチを仕上げました。19年後には、私達兄弟はそれぞれ独立したいい大人になっていました。

母が描き始めた羅漢像、一体目のスケッチ。

私は海外を飛び回って仕事をするようになっていました。何度か仕事でパリを訪れたときに、私は母が、幼心にルーブルやオルセー美術館への憧れを語っていたことを思い出し、母をパリに連れて行こうと決心しました。
 
休暇を取ってパリに訪れた一週間は夢のような期間でした。私は母と、パリ中の様々な美術館に足を運びました。
 
オランジュリー美術館というところにモネの「睡蓮」という大作が展示されています。この作品は余りにもサイズが大きいため、専用の楕円形の展示室の壁一面を囲むように絵が展示されています。
 
私はただ圧倒されて眺めていましたが、ある部分で母は立ち止まって「ここで繋いだ」と言います。大きな絵は一度に広げる場所が確保できないので、分けて書いたものを後から繋ぐのが実際の手法になるそうです。確かに、母の立ち止まった中央付近には、紫色の水辺に蓮の葉が一枚も被らない、縦の線が見える部分がありました。

「ここが継ぎ目」と指摘する母

母は他にも、印象派の各画家がどのような筆を使って、どのように色を重ねて描いたのかを説明してくれました。そういうことは、実物を見ることでしか分からないのだそうです。
 
帰国して私は、母の五百羅漢のスケッチをブログに上げることに取り組みました。趣味で絵を描く人は地元のアートギャラリーで個展を開いたりしますがそれは流石に金持ちの道楽。ちょっと手が届くものではありません。個展の代わりとまではなりませんが、インターネット上で母の大作を世に出せると思ったのです。
 
↓母の絵を紹介するブログ

それぞれの息子が孫を持ち、母が五百羅漢のスケッチを始めてからもう40年が経ったでしょうか。父は昨年大寿を全うし他界しました。口ベタだった父が「立派な息子たちを持って私は誇らしい」と亡くなる直前に書いたメモを母は見せてくれました。
 
母から突然連絡がありました。久しぶりに市の美術展に出展したと。作品は小振りな木の板に、五百羅漢を一体一体、ボールペンでびっしりと書き込んだものでした。木の板は父がホームセンターで買ってきて必要サイズに切ってあったものだそうで、最後まで何に使うのかわからなかったそうです。母はこの板を父との共作として仕上げたかったとのことでした。なかなか手間が掛かりそうな絵ですが、「制作期間は?」と問われたら私は「40年です。」と答えたいと思います。

制作期間40年の力作。

#愛情の循環 #随想 #こころをつなぐ




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