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温かいご飯を届けることの難しさ ~こころをつなぐもの~

私がプロボノとしてお手伝いしている認定NPO法人「STORIA」では、貧困家庭の子どもにターゲットを絞ってリーチアウトし、サードプレイス(居場所)で食事や学習機会の提供、非認知能力を育む体験企画イベント等で支援しています。
 
サードプレイス存続のためのクラウドファンディング実施中です。ご協力お願いします。
https://readyfor.jp/projects/storia_2022
 
「貧困家庭の子どもにリーチアウトする」と一言でいいますが、これが大変難しいことです。「貧困家庭のリスト」はありませんので、行政や地元の学校、自治会等組織と信頼関係を築き、協働してそのようなご家庭、子どもに繋がっていくという地道で長い道のりがあります。
 
よく活動内容の説明を行う場で「子ども食堂との違いは何ですか?」と訊かれることがあります。子ども食堂の多くは、このリーチアウト、貧困で本当に食事を必要としている子どもにどうやって来てもらうか、ということにとても苦労されています。
 
子ども食堂を運営される方に話を伺うと、実際に来られる方で貧困の支援対象と思われる子どもは実感で10人に1人かそれ以下。日本の貧困家庭の子どもの割合7人に1人を大きく下回ります。
 
貧困の家庭は、貧困を周りに知られたくないのでそのような場所へ行きにくい、という話があって、たまに「なんでそのような変なプライドを持つのか。折角篤志で助けようという人がいるのに。」という反応をする人がいます。私は努めてにこやかに「そのへんが難しいところですよねえ。」と対応しますが、心中穏やかではありません。
 
子ども食堂の宣伝に、こんな表現の告知・ビラ見たことないですよね。
「ひもじい子どもおいで!おなか一杯ご飯が食べられるよ。貧乏な子、お待ちしてます!子ども食堂〇月×日やってます😉」
そのような文章表現は出来ないのです。その結果、子ども食堂の告知は以下のようになります。
「地域コミュニティーに開かれた無料食堂開催!地域交流の拠点、皆様どうぞお越しください!」
 
その結果、幸せな家族が子どもを連れてやってきて、地域交流の温かく明るい場所が生まれます。そのことはとても良いことなのです。問題はその場所に本当にひもじいこどもが一人ドアをノックして入れるのか、ということになります。

地域の家庭の幸せな親子が数組集まって温かく楽しい交流をしています。とても楽しそうな笑い声が聞こえます。シングルマザーのお母さんが夜も働き通しでご飯の準備もできない家庭の子どもがひもじいお腹を抱え、我慢できずにやってきます。勇気を振り絞ってドアを開け、泣きながら「お腹が減ってひもじいのですけど、僕も一緒に食べてもいいですか?」と言ったとしましょう。会場は一瞬で「シーン」となるでしょう。
 
その子どもに「そうだ、それが本当の勇気だ。他の子も見習って、つまらないプライドは捨てなさい。」と言うのでしょうか。あなたのその、温かい食卓に毎日食事が運ばれる特等席から、地べたにうずくまる子どもに、その言葉をかけてごらんなさい。私は内心怒りに震えています。ですが、それを努めて見せずに、「はい、つまらないプライドを持ってしまう方にも課題はあるとは思いますが、ぜひ救いの手を差し伸べてやってくださいませんか。」と頭を下げることにしています。

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