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二盃口 ~理想論と現実論~

※前回に続き麻雀を知らない人には意味不明注意です。
 
麻雀はどうしても性格が出ます。
私は自分の欠点を分かっています。それは、理想に走る、キレイな形に拘るということです。
メンタンピンとかの形が大好きで、役の形が見えてしまうとそれに執着してしまうのです。
 
一九字牌が8枚あったりすると「ようしこれは国士だ」。とか言って、後半に場が熱くなると安牌切り作業に徹する、みたいな。
 
平均的に浮いていく強い人の打ち方を見ていると、場に動きが無いとみるや、或いは誰かが速すぎるとみるや、手を崩して、回して早めに3,900点とかでサクッとあがったりする。場の流れに応じて崩して変えていく対応力が強いのです。私は分かっていてもそれが出来ない。
 
私には麻雀の滅法強い親友がおりまして、大学のときには相棒のようにつるんでおりました。彼と卓を囲んでいた時に「二盃口」をあがったことがありました。メンピン二盃口で満貫、みたいな感じだったと思います。
 
私は牌を倒してから惚れ惚れとした表情で眺めていました。「キレイな形だなあ。」麻雀は牌の並びが「キレイ」に見えると点が高い、という傾向があります。字牌も入っていないし、二盃口は七対子であるという解釈も可能なのだな、と牌の連続性ある並びを眺めながら思いに耽っておりました。

メンピンリャンペーコー

それにしても二盃口はその実現の可能性と点数が最も釣り合わない役のひとつです。このキレイな並びにして満貫とは何ぞや。
 
すると隣にいた私の相棒が冷たく言い放ちました。「まあ自己満足だな」。
崩してしぶとく勝っていくのがうまい相棒です。
 
やがて時は経ち、誕生日も同じ相棒と私は互いに五十路近くです。
 
麻雀のスタイルが互いの人生をそのまま投影しているように思えます。
 
私は理想論で、相変わらず「性善説を信じて生産現場の従業員を幸せに」とかやっています。
 
相棒はプライベートエクイティーの世界を生き抜いています。先が分からないビジネスに金を出しては利益を回収する。究極の現実選択と数字の結果の世界です。
 
彼の方が私の何倍も稼いでいますが、まあ私も十分な生活をさせて頂いているのでこれでいいんじゃないだろうか、と思っています。

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