
強くなると弱い者の痛みを無視できるようになる
昨今のニュースを賑わす話題に、何だか共通の構造があるような気がしていて。
強くなると弱い者の痛みを無視できるようになる。圧倒的に強い自信があるからこそ、自分が強く安全な立場にいるゆえに、安心して弱い者を傷つけることができる。人間の、そんな一面を直視せざるを得ない。
不祥事が露見して引退する芸能人だけではなくて
長年に渡って不祥事の噂があって君臨し続けた芸能事務所や
同族経営で不正が蔓延した中古車販売チェーン等・・・
近年の事件を挙げれば枚挙に暇がない。
SNSが発達したから露見し易くなったということだろうか。ということは、過去には葬られていたことが近年は明るみになっているだけで人間の本質は昔から何も変わっていない、という言い方もできるわけで。
子どものころに学校で見聞きしたイジメも同じ構造だったと思う。子どもは良くも悪くも、社会の構造をそのまま生々しく反映するわけで。
クラス替えがあると、必ず最初に3ヶ月ほど、「新しいクラスのメンバーに馴染む」みたいなプロセスの期間があった。「イジメ体質の子」はこの期間中に「このクラスでならどれ位自分が増長できるか」みたいな距離感を測ることに精を出すきらいがある。
おとなしい子に嫌がらせをして、でも歯向かってこないことを確認したうえで、「これ位なら自分勝手にやっても快適に過ごせるな」って過ごし方を身に着けていく。そのうえで、イジメ体質の子が数人でグループを作って、その中で序列を形作ったりする。
それがクラスの男の子の何割かの行動パターンだったから、まあこの体質は男子に根付いたものなんだろう。
社会に出れば人は社会人としての常識的な行動が求められる一方、この行動パターン、つまり「人の迷惑を傷つけて快適でいられる限界を探る男子の行動パターン」を会社組織なんかにも持ち込むひとが一定割合いる。
昔は「やんちゃだけど彼は引っ張る力もあるから」とかで済まされていたんだけど、近年のコンテクストで言えば「もう迷惑だからそんなノリ必要ないです」っていうのが社会に通底し始めているメッセージで、これに気づいていない人は、取返しがつかなくなる前に猛省すべきだ。
とはいえ、外国で起きている悲惨な戦争にもこの構造は現れていて、戦争というよりは、「圧倒的な武力差に安心して多く一般市民の命を奪う行為」のようなことが起きている。ますます、これは人間に根深くインプットされたものだな、私自身にもこのタネが遺伝子にインプットされているということを忘れずに生きよう、と心に誓う。
人の行動は割と原始時代の進化が遺伝子レベルにインプットされて、現代においてもそこから大して成長はない、と考えているぼくの持論によれば、それは太古から続く人間の悲しい性質、と言ってしまえばそれまでかも知れない。
だけど「その先」を分かつものは何だろう?とずっと考える。
強大なパワーを努力して、或いはタナボタで手に入れた暁に、さあ自分の取り分を取り返す時がやってきた、とばかりに人を傷付けて留飲を下げる人。
一方、立派なポジションを勝ち取った後にも「こうべを垂れる稲穂かな」のごとく謙虚を貫き、むしろつかみ取った幸せをどうやって人々に分けてあげられるか、を考え、実践して生きている人。
その両方の人物を数多く観察してきて、その二つを分かつ要素は何だろう、とずっと考えている気がする。人を一人でも多く、後者に導く黄金律の法則はないだろうか?そんな法則が見つかったならノーベル平和賞10回受賞に値する発明だと思うのだけれど。
あなたの身の回りに見えないだけで、「貧困の子ども」は今の日本に200万人います。少しの「私の余裕」を分けてあげれば、もう少し温かい世の中が出来るはず。
「子どもの貧困の連鎖から愛情の循環へ」
仙台のNPO法人STORIAが実践する成功事例をともに学ぶ無料オンラインワークショップを開催中です。
お申し込み・詳細は下記URLへ。