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なぜカイゼンをするのか。

なぜ生産現場はカイゼン活動をするのか。第一義的には生産性を上げる、コストを下げるため、ということになるでしょう。しかし私は、それだけではない複層的な根本理由がある、と考えています。
 
以前、私は全世界のグループ企業から技術幹部を呼び寄せる研修プログラムを担当していました。私はいつも、名古屋市にある「トヨタ産業技術記念館」の見学をプログラムに組み入れました。日本のトップ企業と言われるところにある「何か」に触れて欲しい。
 
何度も訪問して私が感銘を受けたものは、決してクラシックカーや歴代の名車の展示ではありませんでした。
 
豊田式自動織機や綿等の繊維から糸を紡ぐプラント、いわゆる「撚糸」設備です。それらが、今すぐにでも現役時代と同様に稼働しだす、そんなコンディションで保存展示されていました。
 
設備・プロセスの細部に、ひとつひとつのカイゼンを重ねて機能性・生産性を追求した、そんな歴代の人々の情熱と努力の結晶のようなものを感じました。
 
それに加え、産業機械というものは、置いておけばいつでも動く、という生易しいものではありません。展示物ではありますが、現役の頃のように稼働し、いつでも来客の前で試運転する様子をお見せすることが出来る。現役でこのプラントが稼働していた時代の現場マンOBが、当時の設備への愛情を持って維持・メンテしておられるのだろう、ということが想像されました。
 
そして私が愕然としたのは、そうした繊維産業が、今の日本にはほぼ存在しない、ということです。
 
ここに、「カイゼン」の無力さがあります。どんなに感動を与える改善の結晶を結実したとしても、「外部環境の変化」の前においては、生産現場は風前の灯でしかない。活気の溢れる、人々が誇りを持って生産に従事する現場が、ある日を境に停止し、閉鎖される。そんなことが、ビジネスという文脈においては避けられない現実なのです。
 
私は実演運転をする撚糸設備を眺めながら、過去への想像に思いを馳せました。
「このプラントが商業運転を終える最後の生産日に、長年支えた従業員の方はどのような思いで一日を過ごしただろうか。」
 
この文脈において、「頑張れば報われる」という言葉は真実ではありません。頑張らなければ、競争に負けて、確実に消滅する。そのうえで、頑張っても報われるとは限らない、という非情で厳しい世界がそこにはあります。
 
稼働中の工場の中においては、もうちょっとミクロなレベルでの改廃が常にあります。工場内で製造ラインが廃止になったり、新設になったりする。これも当たり前のことです。ビジネスにおいては、製品ポートフォリオは常に変化します。製造現場は、あるラインのカイゼンが進んで安定したからと言って、それに安住し続けることは出来ません。
 
私はここに、製造業がカイゼンをしなければならない深層の理由が隠されていると考えています。
 
製造ラインがカイゼンに取り組むことによって、人が育ち、チームが成長し、能動的にチャレンジに取り組む組織がそこに出来上がります。このチームが、ポートフォリオの改廃に、力を発揮するのです。
 
外部環境、ビジネスニーズの変化に呼応して、「出来ると思いますよ、やって見ます」と言うことを楽しみ、皆で乗り越えるチームがそこにあります。そして、ダーウィンが明らかにしたように、生き残るのはラインを強く合理化した現場ではなく、外部環境に合わせて変化できる現場なのです。
 
ですが、悲しいことに、最終的には工場が閉鎖される、ということもあり得ます。これも本人たちの努力とは関係なく、避けられないことです。しかし私はそのような状況下にあっても、「工場はなくなったがそこで育った人々は社会に羽ばたいていった」と考えるようにしています。環境がどうあれ、私には現場をカイゼンすることしかないのです。


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