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ペンギン・ハイウェイとフィクションのリアリティ
今自分の関心事がフィクションのリアリティだからなのだろう。フィクションのリアリティが大変興味深い話だった。
が、結論から言うと個人的には残念な作品だった。
以下、ネタバレっぽい内容を多少含む。出来るだけガチネタバレは回避してます。
基本的にはこういう鑑賞を作者は求めてないとは思うのだけれど。
現実的、論理的、物理的思考の少年とSF的存在との交差。それは一瞬、僕の大好きなとなりのトトロの後継作になり得るような広がりを感じさせる。
しかし最終的には、SF要素を現実的な少年が、そして世界が受け入れてしまう=理解してしまい作品世界の現実になる。
そこで起きていた事は我々の現実世界においては非常識でSF的であった。
子供の妄想ともリアルとも付かない形で、SF的?宗教的?解説は説明される。また、さらりと背後で作品世界としての捉えられ方が述べられるシーンもある。
しかし、我々の世界と同じ(に見える)作品世界で、それが受け入れられてしまうのを納得できるほど詳しい説明はない。視聴者はおいてけぼりになってしまう。
となりのトトロは、子供たちの妄想であるという可能性を上手く残していた。本作はそれを捨てざるを得ないほど、作品の現実と繋がってしまった。そして説明がなかった。
途中のどんどん謎が深まるミステリーバルーン方式はワクワクする。(この手の構成が個人的にとくに好き。)
しかしそれは一方的にミステリーでなくなり、その瞬間、一気にしぼんでしまった。
まさにフィクションのリアリティを失う良い例だと思う。
となりのトトロ、ペンギン・ハイウェイ、デス・ストランディング、これらを俯瞰的に眺める事が必要かもしれない。
引用画像:(C)2018 森見登美彦・KADOKAWA/「ペンギン・ハイウェイ」製作委員会