ゆるゆる経済批評⭐️生き方上手
ふと気がついた。前々から何となく引っかかっていたのだがようやくうっすらと見えてきた。
世の中にはお金にならないことほど大切なものはないということだ。逆にお金にならないことの方が多くお金になることは人生の一部分という見方が人間らしい知恵である。
世の中を力強く生き抜く清涼剤のように感じている川柳がある。何にでもくっつけるのだ。「それにつけても金のほしさよ」をつける。江戸時代の長屋や井戸端の笑い飛ばして景気づけるような生活の知恵だ。
朝顔や つるべとられて もらい水
それにつけても 金のほしさよ
降る雪や 明治は遠く なりにけり
それにつけても 金のほしさよ
泰平の 眠りを覚ます 蒸気船
たった四はいで 夜も寝られず
それにつけても 金のほしさよ
いろいろな方面からケシカランと言われそうだが高尚な俳句や自分には手の届かない世界に感じる内容にこそつけてみると馴染んでしまう言葉遊びである。笑い飛ばして現実をしたたかに生きる知恵だと思う。
最近は金融商品が多くまた株や投資などがにぎやかだ。確かに世界経済は近代経済理論の複雑な研究で分析できるのだろう。コンビニエンスストアの売れ筋動向と天気や気温の関係や個々人の思考や消費傾向。また消費をくすぐる話題の演出やニーズの喚起など興味深い世界だ。
今の時代いったいいくら収入があれば暮らしていけるのだろう。いくらあっても多い方がいいに決まっているが、確かにそうだが。
遥か昔の高校の政治経済の授業で「働かざるもの喰うべからず」とか「拡大再生産」や「利潤の追及」「一物一価」などのキーワードが出てきた。そんなものかと通り過ぎてきたが最近どうも世の中が元気がなく閉塞感がある。
考え方ひとつかもしれないがおそらく的は獲ていると思うことがある。それは「世の中貨幣価値や一物一価お金になることばかりではない」ということだ。最低賃金が都道府県ごとに決められている。確か時給1,000円前後で揺れ動く。ちびまる子ちゃんの川田さんは川田守さんという名のごとく川の掃除がライフワークだ。家の掃除や洗濯食事の用意はお金になるのか。お金のためなどという姑息な発想はない。誰も時給いくらなんて当てにはしないだろう。同じように農家の畑の草むしりは時給いくらなんてはかりはしない。試しに算出してみた人もいるようだが。家事は月20万以上、現状の米農家の時給は20円?なんて見方もあるようだ。
世の中にはお金にはかえられないもの価値基準を同じモノサシでは測れないものがある。安直に家事をするから20万ちょうだいとか農家の時給を最低賃金になどと発想するのは知恵のない戯言だ。
このようにあれこれ辿っていくと利潤の分配、再配分がどうもバランスを欠いているように感じる。拡大再生産が小規模に渦巻いていればまだよかったがどうも一極集中の弊害がではじめた。様々な意見はあろうが企業のノブリスオブリージュは、また社会に還元するという発想は日本には馴染めない。
何を戯言というかもしれないが労働の斡旋と生活の最低保証は確保できる構造をがんばってつくることはいかがだろう。川田さんの川掃除、公園の掃除、道路沿いの花壇、地域の子ども(おとな)食堂、、、。ピラミッドは実は労働力と富の分配のためであったという見方もある。ただしこれらに携わるなるべくたくさんの人に労働の対価として賃銀や運営費は個人や企業など幅広く善意のお金が循環できるようにする。要は参加できる場をとにかく多く作って皆んなに物やお金を配分する。清貧は美徳で無償のまたは材料費のみの給食センターがどの地域にあってもいい。その日に食べるだけの魚を釣り食べるだけの野菜や果実を食する。
バブルまでの「終身雇用」は社員には利益の分配の少なからず配慮が会社の発想にはあった。世の中に余裕がなくなって普通に暮らしたくてもそれも今では見通せない。鳥や動物でさえ繁殖や子育てをあたりまえにしているのに人間だけが窮屈だ。
実は収入やたいした貯金がなくても生きる上では支障はない。安心が見通せないのだ。身近なもの同士が助け合って楽しく食べて楽しく暮らしていけば莫大なタンス貯金の不安定さよりももっと心づよい。資本主義の静かなる変容はどのようにしてこれから進行していくのか。
元々は誰のものではなかった土地や自然を個人の所有という制度が弊害を生んでいる。イギリス湖畔地域のナショナルトラストは一つの活路だし景観や自然、田圃や畑も個人所有というよりは皆のものという多視の見方が違った方向を照らしてくれる。
この間カナダの友人と話をしていておもしろいことを言っていた。
「貯金なんてどの家でも100万やそこらだよ、何でそんなに貯めないといけないの」「日本人は働きすぎ、自分の時間は大切だから収入は少なくても自分は構わない」
色々な考え方はとても参考になる。朝起きた時に今日も朝目覚めることができた。ありがたい。きっと満足や不満足、幸せの基準はその人ごとにあって共通の指標などないのかもしれない。物は潤沢にあるのに精神的に満足できない、大人になりきれていない日本人と指摘されても半ら言い得ている。
これから稲刈り脱穀の時期を迎える。それぞれ忙しく作業をするが子どもたちの役割は基本そこにいればいいというものだ。休憩にはお茶やお菓子を食べて、あとはじゃましないように遊んでいて昼にはおにぎりを頬ばる。何もしない人が居場所のある環境を誰もが心がける優しさは後世にはしっかり伝えたい。