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アジアゾウ「フー子」

動物園。子どもを連れて日長を過ごす楽しい思い出の代表選手。サル山ではたくさんの個性的な中から何となく自分に似たしぐさの一匹を見つけるのが楽しい。上野動物園もパンダを見に行ったこともあるし、そういえば群馬サファリパークもあるなと知っている動物園の記憶をたどった。今では自然に近い環境でなるべく動物が過ごすことができるように工夫がされはじめているそうだし、オリではなく水族館と同じように大きなアクリルパネルで手の届くような視界で見ることもできる工夫もされている。

昨日の日曜日、長野市篠ノ井にある茶臼山動物園を訪ねた。畑で栽培しているトウモロコシの仲間のソルガム(高キビ)の収穫後の1.5~2mの茎がゾウの好物だと聞いたからだ。通用門から軽トラックで入る。両腕に抱えるくらいに束ねたものを15束と収穫後の根から成長した20~30cmの葉茎を段ボールで搬入。昨年も運んだので勝手知ったる計量器のある搬入場所へ積み荷をおろす。新芽はカピパラやウォンバットの好物らしい。さすがに長野市立の動物園は人気スポットだけあって晴天の日曜日とも重なり開園から多くの家族連れを中心ににぎやかだった。家内からはついでに見ておいでとは言われたが一人動物園デビューは気がひけたのでやめる。ただゾウや小動物が食べているところには興味があるので飼育員さんに動物園のSNSへのツィートはお願いしてみた。

ソルガムは雑穀の一種で栄養価が高い。昔から栽培されてはいるがその実はハンバーグ風にしたり白米と一緒に炊いたり、スィーツ系ホワイトソルガムは菓子類に工夫されている。長野市若里にはアンテナショップもありパンや菓子類など豊富に売っている。種まきの時期には買いに行く場所だ。ソルガム茎はバイオ燃料にもなるそうでちらほら話題になることも多くなってきた。そんなこんなの接点で身近に位置する動物園とアジアゾウ、アジアへの視点とまさかつながることになろうとは思ってもみなかった。

茶臼山動物園のアジアゾウの「フー子」。

帰路に運転をしながらふと寒い長野まではるばるやってきたアジアゾウについて気になって家に帰ってからカタログやツイッターXで追ってみた。

信濃毎日新聞に45歳になる象の「フー子」の記事にまず目が留まる。

「たくさんの元気もらった」「40周年の顔」ゾウのフー子に感謝状 長野市茶臼山動物園でイベント  

 長野市茶臼山動物園(篠ノ井有旅)は17日、開園40周年の記念事業の締めくくりとなるイベントを開き、開園当時から飼育している45歳の雌のアジアゾウ「フー子」に感謝状を贈った。「40周年の顔として大いに盛り上げてくれた」と、節目の1年の働きをねぎらった。イベントに訪れた親子連れは、餌やり体験などで楽しんだ。
 フー子の飼育舎前で、古沢規至(のりゆき)園長(59)が「たくさんの元気と勇気をもらった」と感謝状を読み上げ、担当飼育員に手渡した。フー子は来園者に近寄るなど「人が好きな性格」といい、40周年の象徴的な存在だ。子どもを連れてフー子を見に訪れた会社員村松知美さん(38)=長野市篠ノ井布施五明=は「来園した時は必ずフー子を見に来る。これからも元気でいてほしい」と話した。
 同園は1983(昭和58)年8月に開園。昨年から開園40周年記念のさまざまなイベントを開いてきた。この日は動物の慰霊祭もあった。

信濃毎日新聞  2024.3.17

ゾウは長生きとは聞いていたし上野動物園の人気ものだったゾウの物語も読んだことも思い出した。水族館や植物園はまだしも動物園は人間に近しい生き物が相手だけに楽しい反面なんとなくもの悲しくなることもある。魚や昆虫には名前はつけないが動物には名前を付ける。世界のニュースで、どの国の話題だったか、反面教師で動物園にhuman beings と銘打ちベッドやテーブルを置いた人間の暮らしを見せるオリがあったのを思い出した。

SNSでは次の記事にも目が留まった。動物の劣悪な飼育環境の改善を訴える記事から「フー子」の来歴が垣間見えた。

1978年1月1日生まれ
1983年5月39日 愛知の動物園から長野県 茶臼山動物園へ搬送
2008年12月16日 ゾウのダンボ(34歳)が亡くなり、それから一人きりです。

動物解放団体リブ編集部より

信州に暮らすアジアゾウには生まれた古郷からは遠く離れるが一期一会なので元気に長生きしてほしいという、おそらく誰も口にはしないが「でんでんむしの悲しみ」のような背に負った殻につまった思いはどこかしらで共通していると感じた。

アジアへのまなざし。『第三批評』創刊号のこの特集を仲間と分担して編集している。今日2024年10月21日が初稿締切りである。自分の担当記事を整理して先日入校した。まさかこの記事を原稿締め切り日に並行してアジアゾウの話題をnoteに書くとは想定していなかった。物理的な距離と精神的な距離の遠近感は違うとは言うものの自分とアジアの距離感には考えさせられることが多い。何も知らないことを知ったことに因る。中東、中近東、東南アジアなどその国や人々に辿り着く以前から曖昧過ぎる視点しかない。情報を集めるにしても肌感覚で馴染めるにはとにかく時間が必要なことはわかった。

しかし意外なところでアジアゾウ「フー子」が身近にいた。

脚下照顧。

大上段に構えなくても「アジアのまなざし」はすでにある。聞こえているのに聞いていないと錯覚している、見てはいるのに見えていないという感覚と似ている。