見出し画像

夏子Kakoの庭 03 シクラメン

ベランダ越しのプランターのジキタリスは日本ではキツネノテブクロと呼ばれて「きつねの手袋」でもあって、でもカタカナで植物の名前が学名になると少し堅苦しくなってしまう。手袋みたいだし、なんで「きつね」なのかも由縁がありそうで、また外国の呼び方もそれぞれに理由があるのだろう。樹木や草花、植物や動物、魚だって分類されて名前が付けられて、でもニックネームでも呼ばれている。

キツネノテブクロは毎日見ていても飽きないし、見れば見るほど表情がある。ベランダは小さいが、まだプランターが一つだがいつかはもっとたくさんの草花を、ターシャチューダーのイングリッシュガーデンのように一年中手を入れるような庭が憧れだ。今日は、いつもの駅に近い花屋さんに会社の帰りに立ち寄ってみた。「フラワーショップはな」というシンプルな店の名前なので逆に「はな」はオーナーさんの名前で華か華子さんか、外国の方でハンナさんかなどとも考えてしまう。

並んでいる鉢植えを眺めていたら先日、種からジキタリスを育てる方法を教えてくれた店員さんが声をかけて近寄ってきてくれた。

「こんにちは。キツネノテブクロどうですか」
種を買ってから何か月も経つのに、その続きから話しているようだった。

「ちょうど咲き始めて、ほんとにきつねの手袋のように大きいのも小さいのもあって、みんな個性的で絵本に出てくるようですね」
自分でもことばが自然とたくさん出てくるので不思議だった。
「ていねいに育ててくれてありがとうございます。種から育てると毎日の少しずつの変化が楽しみになりますよね」
「私の庭は、ベランダのプランターだけの小さな場所なんですけど、でも自分の庭があるといいですよね。いつかは」夏子は自分でもどうしてこういう流れで店員さんに話がつながるのか、じぶんから自然にことばがでてくるのがなぜだか不思議で、でも会話は心地よかった。

数か月が経って年の瀬が近づいてきた。

「今日、小ぶりですけどシクラメンを入荷したので見ていってください」
と、店員さんはそう言ってレジの方に背を向けた。こちらがウィンドーショッピングをしているときには放っておいてくれて、自然と距離を縮めて声をかけてくれるタイミングの良さには、会社の岸さんにも似ているところがあるなと感じた。

シクラメンは緑色の葉と凛とした茎に赤い花が、その色のバランスがいかにもクリスマス色を象徴している。たくさんの鉢の中で、あまり大きくなくて、花もひっそりと誰にも見られたくないように咲いている一鉢が気に入った。なんだか私の性格のようだなと思って、でも表情にも出さないようにしたが、口元がすこしだけ緩んだ。レジの店員さんの方を見たらにっこりとちょっとだけ会釈してくれたので、ずっと見られていたようで少し恥ずかしかった。

レジに持っていき、手提げ袋に入れながらこんなことを話してくれた。
「部屋の中で窓越しに昼間は日の光があたるといいですよ。水は受け皿に足してあげて、自分の根っこから吸い上げるタイミングで育ててみてください。寒い時期なので一気に花が茎からしおれてしまう時がありますが、そこであきらめないで、またその時はお店に寄ってくださいね。どうもありがとうございます」

店員さんの名札には「佐伯」と書いてあった。私よりの一回りくらい上で30
歳くらいであろうか。お子さんもいるのかな。落ち着いていて髪は大人なのに珍しく三つ編みをふわっとさせていた。ああいう風に年を重ねたいと素直に思ってしまう人の一人だ。

数週間がたった時に、佐伯さんが言っていたように、昨日の夜から気温が低く朝になったらシクラメンが花の重みを茎が支えきれないで、一気にしなってしまった。

あわてて、会社の帰りに「フラワーショップはな」に立ち寄って、店先を箒ではいている店長さんらしい方に話しかけた。
「あのー、佐伯さんいらっしゃいますか」
店長さんは店の奥の方へ行った。
「佐伯さん、お知り合いの方がお見えだよ」
自分でもまだ自己紹介もしていないのに「佐伯さん」って言ってしまって、店長さんも知り合いのように感じてしまってどうしようと思った。

「お久しぶりです。シクラメンどうですか。育てるの少し難しいですよね」
佐伯さんはこちらが話しやすいように話題を提供してくれる。
「今朝、一気にしおれてしまって」
「昨日から寒いですよね。でも大丈夫です。中には、ここであきらめてしまう方も多いですが、ちょっと手助けしてあげるとまたすぐに元気になります。しおれた茎を1~2cmくらいのリボンのようなもので支えるようにふわっと巻いてくださいね。あと20度くらいのぬるめにしたお湯を土にしみ込むようにかけてくださいね」
「助かります。母が毎年シクラメンを買ってくるのですが、やっぱり寒い朝にしおれてしまって。それで水をあげたりしてもだめで、結局はそんな繰り返ししかなかったので。早速帰ったら養生してあげます」
自分でも「養生」なんて古臭い言葉がここで出てくるとは思わなかった。会社の工場の人たちが補修用やなにかで薄緑色の「養生テープ」というガムテープみたいなものが身近な話題にいつもあって、つい使ってしまった。

「早速、養生してあげてくださいね」
と、笑いながら、こちらの気持ちを察してくれたように佐伯さんが返してくれた。
「ところで、私の名前どうしてご存じなのですか。さっき店長からお知り合いって言われたので」
「ごめんなさい。前にシクラメンを買った時にネームプレートで佐伯さん、って書いてあったので、自分の中ではそれから店員さんではなくて、佐伯さんってなってしまっていて、それで」
「そうだったんですね。ありがとうございます。私からは何てお呼びしたらいいですか」
中学の授業の時に英語の先生が、外国では初対面であいさつするときに 〝What can I call you?" って聞くんだぞって、自信ありげに言っていたことを思い出した。教科書では"Just call me Yuka."って書いてあった。

「私は西原って言います。名前は夏に子とかいてKakoとよびます。漢字からは、なつこ、としかいままでに呼ばれたことはなかったですが、家族や友達からは「かこ」とか「かっちゃん」って呼ばれます」
なんか岸さんと給湯室で話したことと同じ場面だなと思った。
「それじゃあ、西原さんとかKakoさん、てお呼びしますね」
「じゃあ、kakoさんでお願いします」自分でも不思議に一歩も二歩も踏み出せた。

佐伯さんも一気に人と人との距離を縮めてくれる天才だって思った。
高校を卒業してすぐに就職したので、家と会社の往復が毎日で、休みの日でもとくに買い物や友達と出かけるくらいで、あっというまに2年が過ぎて、このようなリズムでずっと行くのかなって薄々に感じていた。でも岸さんや佐伯さんのように声をかけてくれる人がいる。なにか自分でもわからない糸に引っ張られているようにも感じた。

家に帰って早速シクラメンを「養生」してみた。それから1日、2日とあまり変化はなかった。3日目に佐伯さんが言っていたように、本当に元のように凛として花が生き生きと蘇っていた。