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夏子Kakoの庭 14 父と弟(2)
中2の夏休み前に数学の難しい問題集を弟の春人と一緒に6時間ぶっ続けで取組んだことがきっかけで、父と弟が何かしら同じ趣味を持ったような関係を築くようになってきた。パーツの細かい姫路城のプラモデルも買ってきて結局は春人が最後まで仕上げたし、ディズニーの一片だけだと何が何だか分からないすごく細かいジグソーパズルもお父さんは買ってきては、結局投げ出し、この時には意外にもお母さんが最後まで仕上げて春人にも尊敬のまなざしを受けていた。
男同士の親子の会話って、わたしとお母さんのように他愛のないことを話す会話とは違ってぼそぼそとした感じがする。ことばには頼っていないような気もする。
何もなければ普段はうざがられる父親が、春人の方が逆に自分の発想や考えをいう機会も増えてきて、それはそれで自己主張でいいのかもしれない。
「この問題、こういう風に補助線を引くとこの角度がここの角度と等しくなる」と自分の道筋を整理しながら話している。お父さんはお父さんで、「そういう考え方もあるな」と返した。答えの道筋とは違うことが多いらしく、二人とも黙ってしまうことが多い。でも1週間ぐらいするとお父さんが「寝ている時に思いついた」と答えを説明しだすこともある。だから、春人の言葉をすぐに否定しないところがまたいいと思う。でも、そろそろ春人の発想の方がお父さんを上回ってきたようで、お父さんはお父さんで「自分なんか世の中解けない問題だらけでアップアップしているから、こういうパズルみたいな難問に取り組んで、自分は玉砕するくらいがちょうどいいんだ」ってわけのわからないことを言っている。お父さんの人生訓だと言っている。
お父さんも数学の難問だから、解けない問題とわかっていて、二人して取り組むことが実は楽しみなのだろう。勝つも負けるも、解けるも解けないも同じように大切な価値のようだ。
こんなことが話題になっていたのを思い出した。春人がぶっきらぼうに
「算数や数学って人生の何に役に立つのか分からない。計算ができたって三平方の定理を知っていたって何も役に立たないし」と突っかかってきた。
わたしや母も「そうかもしれないし」くらいにしか、この話題にはついていけない。すると、お父さんが俄然にはりきって切り崩しにかかってきた。
「確かに計算が早くできたって、電卓やコンピュータにはかなわない。でもたけしが面白いことを言っていたぞ。
あのビートたけし、北野たけしってすぐには結びつかなかったが。
「たけしが言ってたぞ。たとえば因数分解があるだろ。あの式の展開は考え方を整理するのと同じことなんだ。考え方を整理するために数学はある。だから単純な計算だって道筋をしっかりと見極められる眼力をつけるために役立つんだぞ」また、「足し算だって同じ単位の物しか足せないわけだし、算数や数学は日本では計算だけとかなにか技術的に解いていくような側面が強いが、外国では言葉で論理的に算数や数学を学んでいく」
ほんとうにそうなのか分からないが、自信をもって言っているのでそれらしく聞こえてくる。
「春人も高校に入ってから三角比とか三角関数がでてきただろ。関数も『変化と対応』の領域で、一次関数は比例定数があって直線だし、二次関数は
曲線になる。三角関数や導関数なんか複雑になっていくが、関数は漢字では「函数」とも書くし、functionのfが関数の記号だぞ。三次式の因数分解の導き方は美しんだぞ」
美しいという言葉を出してきた。お父さんも算数や数学に関心があるようだ。
春人もこれ以上つっこんでも話題がマニアックになると思ったのか、勝手にお父さんに言わせている。でも小言を言われるよりは聞き流せるほうが楽なので、それはそれとして聞いている。周りに活気が出てくるので我が家にとっては、お母さんの思いついたことをどんどん射撃のように話題にするのとどこかしらにている様で、三者三様に人それぞれで、興味や得意の分野が違っているな、と思う。自分はどうだろうかと考えてしまった。
わたしはフラワーショップの佐伯さんからいろいろと教えてもらって、花の育て方や植物について考えたり、植物図鑑を眺めていても飽きない。この間、本屋で道端や学校の庭に咲いている草花を特集にしたハンドブックがあったので買って読んでいる。何気なくどこにでもあるような植物について「雑草」とことばに括ってしまったりするが、「世の中に雑草という草花はありません」という名言を植物学者でもある昭和天皇が話された、と雑誌で読んでハッとした。ものの見方がその時以来変わった。わたしも誰にも見られないところでひっそりと咲いて、ひっそりと種をつけて、次の世代にバトンタッチするような花や植物が自分自身と重なってみえる。自分の人生の進み方とぴったりだと思っている。自分で大切なものを、人とは違っていてもしっかりと見つめて見極めようと思った。