2020/07/18
今日はなんだか心にぽっかり穴が空いたような、息苦しいような。
生について考えさせられる一日でした。
いつだったかな、私も一度だけ、たった一度だけ、
日が伸び始めた、いつもより少し明るい夜に
死んじゃおうと行動を起こしたことがあって。
理由は、なんだっけなぁ、本当に逃げたくて、真っ新になりたくて、
…でもそれくらいだったかな、
大した理由はなかったんだと思う。
日々積もりに積もったものが、ある日急に溢れ出しちゃって、
よし、今なら行けるって、
日常、少しずつ崖っぷち追いやられて、
ある日背中をひょいっと押されて
さらっと行動に出る感じ。
でも私はなぜ踏みとどまって今ここにいるのか。
理由は、酸素が頭に行かなくなってみた幻覚だか夢の中で、自分の葬式で泣いて私の遺影に手を合わせる学校の先生がいたから。(近親者出てきませんでした、なぜ?笑)
しかも私は相当なビビリなので、未知の死の世界には相当な恐怖心があって、怖そうで立ち寄れないかなって、自分の力で踏みとどまれた。
死ぬのをやめるのなんか、どんな言い訳でもいいと思う。
私の経験上、いざ追い詰められるとそんな気持ち、出てこないんだよな〜。逃げ道が封鎖されちゃって、今自分にとってできる逃げ道は、自分の力でできる、“自殺”というひとつの選択肢。今考えたら相当ばかばかしいが。
運良く生還した次の日には、優しい友人と沢山お話して、
一日の終わりにはお母さんの美味しいご飯が食べられました。
なんで昨日はあんなだったのだろう?変だなあ。そう思えるくらいまで心は回復できてよかった。
生きてる時、周りに迷惑かけるのは当たり前のこと。
私が誰かの役に立つ時、それは誰かの迷惑かもしれない。
何をするにも賛否両論あること。
それが当たり前のことなのを知ってから、割り切れて、もうストレスには感じなくなったけれど。
今、近くで救急車の音が聞こえてる。
ああ、あの時を思いだした。
下手したら人生最初で最後の救急車だったかも。とかね、
逝くのも自分、生きるも自分。
病気になったり事故で亡くなる時には、どうも出来ないけど。
もうダメだと思ったら、
とりあえず寝てみたり、
もう少し踏ん張ってみるか、を毎日続けて、
一息つくか、と自分を守る時間をとって、
気がつけばもうこんなに頑張ってた、なんて振り返って思えたり。
のんびり自分のペースを守って、
自然と、あるがままに生きていこう。
私たちは仕事や勉強をするために生きてる訳じゃないし、他人のために生きる訳でもない。
動物と同じ、生き物なんだから。
そもそもマンモス狩ってたような人間なんだから、机に向かって勉強なんて、他人のために気を遣うなんて原始人からしたら絶対無理!!
ずっと根詰めてたら、息が出来なくなるのは当たり前。休みすぎだと思ったら動いて、動きすぎと思ったら休んで。
でも、絶対に自分の息だけはとめないで。
また明るい話をしよう。
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