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小さな世界
こんばんは。
今日は、私が今生き延びられている理由を少しだけお話したいと思います。
私は、今住んでいる環境とは似ても似つかない土地に生まれ、18年間生活していました。
そこは、自然や動物がいきいきしていて、
自然と人間の共存、なんて理想論がしっかり
現実になっている場所です。
つまり、理想郷です。
友達の家に遊びに行くのにも
車を使わなければ行き着けない、
子供の力ではどうにもならない場所で
人々が自然と寄り添いあって生きている場所でもあります。
人に干渉されたり、ご近所付き合いが面倒くさいと
思う人にとっては地獄です。
今、私は朝晩関係なく満員電車になるような
高校生の時の私には想像もできないような環境で
暮らしています。
私は、地元にいた頃は
周りからどんな服を着てもいちいち反応され、
“見られている”意識が働いて、好きな服が
着られませんでした。
少しでも目立つような服を着ようもんなら
「あら、そんな服着てどこ行くの?」と
良くも悪くも、注目を浴びるのです。
それが苦しくて、
似合わないけれど似合わない服を、
バレない自己満足のメイクを。
自分らしさを出すなんて出来ませんでした。
でも、今住む場所では
好きな服を好きなように着て、
「素敵なお洋服ですね」、なんて
最初言われた時は照れくさくて仕方なかったけど、
家に帰って、鏡の前で嬉しくて泣いた。
私の世界、
本当は着たかった服が自由に着られて、
魅せたい自分の目や唇を大好きなコスメで彩り
私でいられる感覚がたまらなく幸せだった。
田舎はいいところです。もちろん。
私を育てた愛すべき故郷です。
さあ、そんな故郷を守るためには
何をしたら良いのか、
私は何ができるのか日々考え中です。
人々が認めあえて、
自由な国。
そんな私の故郷を夢見続けています。
さて、外見の話をしたところで。
私は、こうして過去の経験から
“檻に閉じ込められる”ことに慣れてしまって
他人の檻にも閉じ込められて、窒息しそうになった経験をお話します。
次の記事にしようと思いましたが、
このまま続けたいと思います。
前述の通り、私は田舎という
小さいコミュニティで生きてきた影響で、
他人の目を気にして生きることが
いつのまにか習慣になっていました。
そのせいか、他人の思考や行動に縛られることに
苦を感じなくなっていました。
そのため、好きな人の好きな人になるために
好きな人から嫌われることを恐れて
顔色を見て生活を続けました。
今ではもう思い出したくもないけど、
当時の私は、全然可愛くない。
人工物みたいで、私の好きな部分が何も無い
外側がよくできてる空っぽ人間です。
写真の中の私は全然楽しくなさそうで、
どこかに影があって、
今すぐにでも助けてあげたい、そう思えるほど
目元に涙の気配すら感じる。
だから、年頃の女だけれども、
色気がないのです。
人間的魅力とも言えるでしょうか。
その人から感じる魅力や光がなくて
最新のiPhoneはそんな部分まで
写せるようになったんですね、すげえ文明の利器。
なんて、皮肉たれていますが
それくらい、当時の私は全然可愛くないです。
私も悪い。
けど、私を縛る人ももちろん悪い。
私を檻に閉じ込めているのを見て見ぬふりなんて、
殺人のようなもの。
自分の好みにさせている、
好みでなければ平気で「違う」と言えてしまうことに
私は未だに理解できないし、
言ってあげることがその人にとっては
私にいいことだと思っている。
その思考が先ず間違ってる。
そんな檻から私は自分で飛び出した。
許可なんて取らず、一目散に。
私が私じゃない、と
感覚的には鏡に映る自分を見て、
その醜さに驚いて鏡を素手で割る感じ。
手には破片と血、でも、
それでもいいのだと思えるくらいに。
映るものばかり追いかけて、
反転してることに気づいてない私はとても醜くて、何十年見てきたのに気持ち悪くて
直視できないほどだった。
傷が癒えるのにも時間がかかった、
逃げた私を追う手がなかなか引かず、
私も後ろ髪を何度もひかれそうになったけれども
逃げる私をかくまったのは
先に見える、私が描く美しくて強い私。
まるで、幼少期の私のような影が見えた。
正義感が強くて、よく勘が働いて
人の何倍も考えすぎて、
なんでもないものをじっと見つめて
美しいものには目がなくて、
よく泣いて、その何倍も笑って
何をしても怒らない祖父はずっと家にいて、
祖父にはよく怒るけどなんだかんだ一緒に
テレビを見てる祖母、
おしどり夫婦の祖母がいつも家にいて、
誰とも遊ばず、好きにその辺の猫を追いかけたり、
その先で出会ったおじさんと仲良くなったり、
誰もいない公園で歌って踊って
遊んで家に帰ってきた満足そうな私を見て
嬉しそうな祖父母の顔
私を縛ることを苦としない彼と今も一緒にいたら
そんな祖父母の顔、きっとこの先見られなかっただろうな。
私が好きなことを信じて、突き進んでいくこと、
その姿でいることが家族も幸せだろうし
そんな家族を見る私も幸せだろうな。
だから私は、生まれたまま、
そして強くなった私でいなきゃ。
まさに、原点回帰。
私は、男の前で馬鹿な女を演じたり、
人に媚びたり、嘘をついたりしたくない。
安い女には絶対になりたくない。
姑息な手も使いたくない。
PRADAだって自分で買う。
私は、私でありたい。
私を縛る人と別れる時、
振ってしまった私はもう幸せになれないと思った。
苦しくて、きっと相手も苦しくて、
生きていることに罪すらも感じた。
けれど、1つ世界から一歩下がってみたら、
周りには親切で最高で最強で大好きな人達が生きていて
私の可能性は無限であると気づいてしまった。
たった一人で一瞬しか会わない客なのに
丁寧に接客してくれるコンビニの店員さん。
持ってる荷物が邪魔じゃないかとまとめてくれる
大きい袋も小さい袋も同じ金額で売る服屋さん。
ちょっと太っても美しいと言ってくれる大好きな
きらきらした女の子。
世界は自分が思っているよりも良いもので、
美しい世界は思ったよりも近くにあって
意外と世界って小さいなって。
小さくも美しいこの世界に
ひとつでも何かをお還しすることが出来たなら。
私の生きた意味や
私の生きたい意味が
いつか分かるんじゃないかって
希望を持ったりして。
今死にたくてたまらない人、
もう生きられないと思ってる人、
自分を見失って自分が見つからない人へ。
それは今、自分の中の世界が作られてる最中だから。
完成した時、
自分は何者で、自分は何を持ってて
自分を幸せにするものはなんなのか
逆に何が自分を苦しめていたのか
きっと見られるようになっているから。
今は苦しくて、今にも息が止まりそうで
頭がおかしくなりそうになるかもしれないけれど
必ず手を差しのべられるから。
それは他人かもしれないし、
自分かもしれない。
その手が見えたら、絶対に追いかけて
掴んだら離さないで。
その時に、高台から望む
私が心から欲しいと願った
素晴らしくて、暖かくて
愛すべき世界が見えるはずだから。
手を差し伸べる人が居なかったとしても
私が、このいつ書き上げるか分からない
私のペースで書き続けるこの拙い文章で
あなたに優しく手を差し伸べるから。
小さな世界から、一緒に作っていこう