カテゴライズ
皆さんこんばんは。
明日は1限からだと言うのにしっかり目が冴えてしまっている私です。
最近私は果てのないことばかりを考えています。
友人関係、恋愛関係について。
例えば、恋愛関係とはどういうことを言うのか。
好きな者同士のこと、付き合おうとなって交際がスタートした状態なのか。
私には決まった定義はないように感じます。
私が人を好きになる時には、決まって尊敬から入ります。
環境や身だしなみへの美意識だったり、言葉選びのセンスやその人が作る雰囲気など、私の思考の範疇を優に超えた人を好きになります。
だから、かっこいい、好きな見た目である、なんてことで好きな人が出来たことはありません。
一目惚れなんて、してみたいものです。笑
最近はLGBTQ+認知の風潮あってか、ジェンダーレスが謳われる社会になり、いろいろなカテゴリーが生まれるようになりました。
でも私はこれに疑問を覚えました。
カテゴリーを増やす必要はあるのかと。
そもそも、そのカテゴライズ自体を辞めてしまえばいいのにと思います。
性別だって生物学的には2つに分類する必要はあるかもしれませんが、自称する時には必要ない気がします。
私は、言葉で表現するのが苦手なので、同性の友達でも嬉しいことを共感したいときや、悲しくて包み込んで欲しい時にはにはハグなどスキンシップで分かち合いたくなります。
下心などなく、私の本心であり本能です。
でも、今までの私の恋愛対象は男性です。
私は人としてを見ているので、女の子が恋愛対象になることも無いことも無いのです、可能性として。
だから、男だ、女だ、性の不一致だのそんなのいりません。
一人間として生きるべきなのです。
料理が出来ない女性がいたっていいし、スカートが履きたい男性も履けばいいし。なんでもいい。
直ぐに分けたがる、この社会が私には生きづらくてなりません。
分けるなら人それぞれで分けるべきです。
付き合ってる人としかハグはしていけないとか、キスしてはいけない、体を許しては行けない。
そんなの綺麗事でしかない。
私は、人生で一番心が許せる人に出会って、いろいろなことをした。
お笑いを見たり談笑したり、ご飯を食べたり、時には抱きしめあったりキスもした。
これを傍から見た人は、不純だと思ったり関係性はなんなのか明白にしたがるだろう。
でも、そんなの私にとってはどうだっていい。
好きとか嫌いとかそんなんじゃなく、心許せる相手、として存在していきたい。
何でもカテゴリー化して決めつけられたくない。
皆が皆、いろんな人間関係の形を持っていいと思うのに。
関係を明白にして安心したい気持ちもあるのは分かる。
けれど決まった形の関係に放り込まれて、息はできるのだろうか。
私は不安で仕方ない。
不安にならないように明確にしたことが、自分を、相手をしばりつけて不安にさせる。
どちらにせよ不安なんじゃないか。
私はその曖昧な関係の中に、普通の人では分かり得ないものがあると思う。
私はその渦中にいる。
わかって貰えないかもしれないけど、このままマイペースにやって行けたらなと思う。
なんでも決めつけず、私という人間として。
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