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言いたいことはある。けど私の中で育まれるもの。


日々、なんであの人は、と
不平不満を垂れ流したい気持ちが
24時間ずっとあると言ってもいいほど
私は何事にも気がいってしまう。

それをどう消化しているのか

今までは知り合いだらけのSNSに書き込んだり
話を聞いてくれる人に言うことが多かった。

でもこれ、前者にしろ後者にしろ
あまり誰も幸せにならない。

議論になって解決策が生まれればいいけれど
そんなに大きくない問題に対して
そして他人が経験したことに対して
どうこう言う人がいるかと言うと多くない。

でもそんな中、私が出会ったのは
誰にも見せないし私すらも見返さないノート。

今ここで使ってるコンテンツじゃないですよ?
実物の、紙のノートです。

私がこれを始めたのは
中学生のとき。

私は空想の世界が好きで、
夢を見るのも好きで、
でもそんな空想の話や
私が夢見てる話をしたところで
変な子だね、と思われるか、理解されないか

あまり人の反応に期待できなかった。
なら私の中でとどめとけばいいか。

そう思って始めたノート。
将来は何をしたいか、
音楽で世界一になりたいだなんて
好き勝手に書いてた。

けど当時の私からしたらそれは本心で
世界中の人から大喝采を受けてみたい。

それは今も少女の私が夢に見ている。


今は、大人になってかなり現実を見た
逆に夢がなく無邪気さもどっかに行ってしまったが
色んなことを思ったり考えたりしてしまった
物思いにふける夜も少なくない。

頭の中に生まれてしまった疑問や不満を
吐き出していた今まで、
話してしまえばどうってことはなくなってしまった。

さて、果たしてそれはいい事なのか?

話すと全てどこかに行ってしまう。
後日「あの時のことはどうなったんだっけ?」と
思い出せなくなってしまうほどに。

それが、なんだか悔しくて
あそこまでおかしいと思ったのに、悔しかったのに
話してしまったことでその傷が浅くなって

結局私には何も残らなくて
何も学べなかった。

話すことで満足してしまうのだ。
芸術に生きる人間として、それはいいのか?

いや、良くないよな、
傷はしっかり自分で癒えるまで手当てをするし
治る経過も全て知っていたい。

次、傷ついた時に何が最良の治療なのかを知る為に。

だから、例えば目の前で
誤った言動をしている人を見たら
「それはおかしくないですか?」と
言ってきた今まで。

それで満足してしまう自分。
間違ったことはしていなかったから
訳が分からなかったが、
自分から敵になっていたのだ。

それでは馬鹿を見るじゃないか。

だから、自分を守るには
思っても、それを伝えたくても、
私の中でグッと堪えて
私だったらどうする、何をしないのか
私の中で消化すればいい。

言うことで、終わったことになってしまう。
自分より外に出さないことでかなり学びになるし
心に残ったままになる。

それでいい。
何度も考えをめぐらせて
色んなケースで、色んな視点でものを見られる人に
慣れればそれでいいじゃないか。


誰にも分かられなくていい。
私さえ成長出来れば問題ないのだ。

心に留めとくことで
私の免疫になる。

だから、誰にも言わない。

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