飽きっぽくて何事も続けられない僕がデジタル教育の会社を起業した話
2021年4月22日に、31歳でおもに学生やIT未経験者を対象にしたデジタルツールの教育と実践の場を提供するオンラインスクールを立ち上げました。
31歳で起業すると聞くと順風満帆な話に聞こえるかもしれませんが、そんなことは全くありません。
それまでの人生で「これだ!」といった成果もなく、特にいま生業としているIT業界に来てからは大きな挫折も味わいました。
このnoteでは特に目立った功績もなく、飽きっぽくてやりたいことも見つからなかったぼくが、まだまだひよっこの会社ではありますが、サービスを立ち上げして無事黒字で1期目を終えられるまでの話を書いてみたいと思います。
何事も続かない幼少期〜学生時代
ぼくは昔から何事も長く続けられませんでした。
幼少期の習い事は、水泳、テニス、ボーイスカウト、習字、英会話と多岐に渡り、大学生になってからのアルバイトも引っ越し、ハンバーガー屋、映画館、東京ドームの清掃、カフェと目まぐるしく変わっていく….。
始めるときはそれなりのワクワク感を持っていたはずなのに、気づけばいつの間にか熱は冷め、「これは何か違う」と言って次々に新しいものへと手を出していました。
そんなことは受け入れられるはずもなく、「なかなか続けられない飽きっぽいやつだな」と周りからは思われていたでしょう。
転職を繰り返す20代
いろいろなことにすぐ手を出してしまうぼくでしたが、勉強だけは真面目にやっていました。
高校は千葉のそこそこの進学校に通い、そのまま浪人せずに都内の大学へ進学。自分の中で唯一まともなところといえば、学力だったかなと思います。
そのおかげもあってか、新卒は都内の地方銀行に就職。
しかし「なぜそこにいったか?」と聞かれると特別な理由もなく、いかにも文系専攻のふつうの大学生という感じでした。
そんな新卒の会社ですが、ぼくは2年で辞めてしまいます。
そこにはいくつか理由がありましたが、一番大きかったのが昔と同じで「これは何か違う」と思ったことでした。
当時は今の妻になる会社の同期の彼女もいましたし、実は次が決まっていたわけではありませんでした。(公務員試験を受けるため勉強に専念という理由です)
それでも彼女も両親もぼくに対して大きな反対をせず、背中を押してくれたことは今でも感謝しかありません。
そこからなんとか公務員試験には合格し、国立大学の職員へと道を進めます。
しかし、そこでも「何か違う」と思い始め、結局2年1ヶ月で退職。次に目指したのが、IT業界でした。
ここまで来るとちょっとおかしいやつに思われるかもしれませんが、ぼくも毎回闇雲に転職しているわけではありませんでした。一応毎回反省だけは次に活かすようにしています。
今回の転職に至ったのは、主に以下の2点。
・公務員より銀行の時に感じた民間での自由度や楽しさをまた味わいたい
・銀行の時に足りなかったと感じていたのは、提供できるお客さんや商品が限られていたので、世の中にもっとニーズがあるところでやってみたい
また自分で商品を作ってみたいという思いからITエンジニアを志し、未経験でも採用してくれる会社を探して転職。
その会社では、お客さんと話をするところから実際にエンジニアとしてサービス開発するところまで全てを横断的に経験させてくれました。
どんどんエンジニアにのめり込み、気づけば毎日ずっとコードを触っていました。
そこからもっともっとエンジニアを専門的にやってみたいと思い、フリーランスエンジニアになることを決意。その会社に入社してから1年2ヶ月のことでした。
その時、28歳。気づけば3回の転職を経験していました。
職人にはなれない
エンジニアとしての1番の面白みは、自分が書いたコードが思った通りに画面上で動かせるようになることでした。
1つ前の会社では人数も少なく、自分もコードを書く機会をたくさんいただけたので、実際にお客さんのサービスとして稼働するものを形にしていくというところがまさに楽しいポイントでしたし、実際評価もいただけていました。
しかしその評価には「未経験にしては」という前提があったことに自分自身きちんと気づけていませんでした。
フリーランスとして独立するということは、当たり前ですが、「自立している」ということです。
ぼくは言われたものをそれなりの形にして動かす自信はありましたが、まだまだ知らないことはたくさんありましたし、何より自分で考えてどんどん作っていくレベルまでには圧倒的に経験が不足していました。
また周りを見渡せばとんでもないスキルを持ち合わせた猛者たちが尋常じゃないスピード感でサービスを開発していました。
実力がないなりに必死に食らいつきましたが、ただただついていけない毎日に絶望感を味合っていました…。
そんな時によく思っていたのが、技術をひたすら突き詰めていく彼らのような職人にはなれないこと。
彼らは本当に楽しそうに日々やっていて、飽きっぽさを兼ね備えている自分にとってはどこか違う世界の人たちのようにも思えました。
独立して最初に契約していただいた会社はぼくを切ることこそありませんでしたが、1年9ヶ月エンジニアとして関わらせていただいた期間、ほとんどお役には立てませんでした。
今でもその会社には感謝しかないですし、いつか恩返しはしたいなと思っていますが、自分としては不甲斐なさすぎて、社会人になってから一番精神的にも苦しい時間でした。
サービスを開発する側から導入支援する側へ
そんなぼくの不甲斐なさが嘘のように、会社のサービスは順調に伸びていきました。
ぼくがジョインした時は全部で5人の会社だったのが、気がつけば20数名の会社に。
そうなってくるとエンジニアではない方も次々と入社してきますが、メインのサービスを理解しないわけにはいきません。
業務委託という立場ではありましたが、あまりの不甲斐なさを少しでも薄めるために、その人たちにシステムや社内について説明することを積極的に行なっていました。
そこに目をつけて頂いたのか、ちょうどその会社のサービスをもっといろいろな方に使って欲しいということで、そのサービスの導入支援の別会社を立ち上げた方に「役員として一緒にやらないか?」と声をかけていただきました。
その時はエンジニアとしてなかなか芽が出ないことに意気消沈していましたし、元々銀行の経験からお客さんとお話しするのは好きかつそんなにありがたい機会はないと思って、快くそのお話をお受けすることにしました。
サービスがより加速していく
開発として関わっていたサービスはビジネス向けのLINEを主軸においたものでした。
簡単に言うと、企業や自治体がLINE上にアカウントを作成し、そこに個人の方々に友だち登録して頂き、情報発信などを行うものを「LINE公式アカウント」と呼ぶのですが、そのLINE公式アカウントをより便利にする拡張ツールのようなサービスです。
導入支援の会社に携わらせて頂いたタイミングあたりから、大企業もお客さんとのコミュニケーションで少しずつLINEを活用することを検討し始め、またちょうどコロナが始まった時でもあったので、全国の多くの自治体がLINEを使って住民に対してメッセージを配信したいという要望も重なり、最初の一年は本当に忙しかった。
ただその忙しさの中では、IT業界にきてから約3年間培ったエンジニアの経験が活き、またそれがお客さんにも貢献しているという喜びが実感として感じられる充実した時間でもありました。
きっかけは女子大生への授業
そんな忙しい時間帯を過ごしている時にとある自治体とLINE公式アカウントを一緒に作る話になりました。
そこは他の自治体と違い、住民全体にまんべんなく情報発信するのではなく、「空き家」という全国的に今後全国的に課題になっていくものを解決するスキームの中でLINEを興味を持ってもらったり、情報を配信する場で使っていきたいというものでした。
その中で面白い取り組みだなと感じたのが、「空き家という身近そうな課題でもあるにもかかわらず、興味を持ってもらえないのは自分ごとじゃないから」という理由で民間や大学など周りの様々な団体を巻き込んでいくことでした。
その取り組みをする中で依頼があったのが、「女子大生にLINEのツールを教えて解決案を出してもらうイベントをして欲しい」ということでした。
ぼくはその話を聞いた時、「とても面白そう」と直感的に感じました。
というのも実際に1年以上そのツールを触ってみて、「基本を覚えてしまえば簡単に操作できるようになるし、そこからたくさんのアイディアを生み出すことができる。だからこそ、若い頭を持っている大学生にそれを使えるようになってもらったら可能性は無限大だ。」と感じていたからです。
そこから実際のカリキュラムを練って実際にイベントを実施。
結果としては自分の想像を超えて多様なアイディアが出てきて、まさに大成功のイベントとなりました。
深掘りしないからこそ「わからない」がわかる
そこからそのイベントをいくつか横展開してやっていくことになるのですが、いろいろな方に「教えるのが上手ですね」と言われることに気づきます。
自分としてはそんな意識はなかったですが、「なぜか?」と考えてみることに。
そして一つの仮説に気づいたのが、「飽きっぽく、深掘りしないからこそ、初めての人がどこがわからないのかがよくわかるのではないか?」ということでした。
どうしても職人のように知識がたくさんついてくればくるほど、当たり前のレベルがどんどん上がっていきます。それは他の人からすればすごいことだとしてもです。
それは仕事をする上でレベルアップしているという証でもあるのですが、それを誰かに伝える、教えるという時には大きな障壁にもなります。
それはぼくがエンジニアになってもよく感じることでした。
IT業界はわかりにくい言葉や概念が多いのですが、それは当たり前のように仕事上飛び交います。
そしてそれは知っていて当たり前という感じで話が進むので、それを仕事にしている人であれば頑張って食らいついていくものの、知らない人にとってはそれだけで辟易してしまうだろう…と思うことはよくありました。
だからこそ「難しいという感情だけはできるだけ感じてほしくない」という想いが自然とあり、そのためにできることを無意識にやっていたのでした。
無意識でできることは強み
今まで自分に向いていることなんてないと思っていました。
特にこれだけ転職を繰り返し、大した成果も残せていない自分にとっては、人に誇れることなんてないだろう…と。
しかし、今回の女子大のイベントを含めて多くの人にスキルを教え、オリジナルのアイディアを発表してもらう場を提供するということは心の底から楽しいと思えるもので、時間を忘れて取り組んでいる自分がいることに気づきました。
それはまさに自分がフリーランスのエンジニアになった時に、他のエンジニアに対して感じていたもの。
その時に「そうか、、これが自分の強みなのかもしれない」と人生で初めて思いました。
自分の得意は狙って作っていくものだと思っていて、それを作り上げようと必死にもがいてきましたが、気がついたらそれは無意識でできるようになっていたのでした。
デジタルな世界への一歩目を作りたい
このデジタルツールの教育と実践の場を提供することは個人的にはすごくやりがいを感じていましたし、ニーズとしてもあるんじゃないか?と感じていました。
というのも、ぼくがIT業界にきた時の理由を改めて考えてみると、需要がありそうという高尚な理由以外に「自分で時間や場所の働き方を選びたい」ということもありました。
ぼくがIT業界にきたとき、そういった選択肢を取ることができると感じていたのが、まさに選択したITエンジニアやWebデザイナーぐらいでした。(デザインセンスはないと思っていたので、エンジニアにしました笑)
しかし自分が今教えたり、企業や自治体に導入支援しているツールはコードを書くものではないけど、立派な仕事になっている。
だからこそそういった自由な働き方を求める人々への入り口、まさにデジタルな世界への第一歩になる場所を作れないかと。
そして教育するにあたって重要なのが、実践の場です。
それはぼく自身も経験としてあるのが、IT業界のことを覚える時にたくさんのスクールや教材を勉強しましたが、それを一番覚えているのって学習する時なんですよね。
つまりその後に実践する場所がないと頭からはどんどん消えてしまいます。。
幸いぼくは導入支援の会社でたくさんのお客様と繋がりがあり、そのほとんどが圧倒的に人材不足という実態もありました。
なので、この個人の自由な働き方を実現したい人に教育の場を提供し、その実践の場として企業や自治体の人出不足に貢献するということができればすごく可能性はあるのではないかと。
もちろん最終的な品質はこちらで担保します。
それでもこれが実現できれば、すごくワクワクする未来が待っているなと毎日考えるようになりました。
そこから教材を作り込み、実際にトライアル期なども経て、2021年4月22日に起業。
飽きっぽい自分からすると、会社を起業する日が来るなんて思ってもみませんでした。
最後に
今このnoteを書いているのは2022年5月、一期目が無事黒字で終わってほっとしているところです。
事業としては思ったよりサービス認知して頂けなかったり、授業のやり方を変えたりなど変更は様々ありましたが、当初やりたかった自由な働き方をしたい個人の可能性を少しは拡げられたかなと感じています。
まだまだひよっこの会社ですが、ここまで読んでいただいた方の少しでも何か力や励みになっていれば幸いです。
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