硝子越しに映るあなたはわたし

「吟子さーん!」
 指名が入った。珍しい。本当に珍しい。今日もお茶をひいているだけで1日が終わると思っていたから慌てて身なりを整え小走りで指定された座敷へと向かう。
 私みたいに愛想の悪い舞妓を指名しようなんて人は大体二手に分かれる。ひとつは今まで指名したことがないとか誰でもいいから。と思って呼ぶタイプ。顔と名前は覚えているけれども2度呼ばれる事はまず無い。そしてもうひとつは…案の定だった。

『変な人』

 幾ら愛想が悪く愛嬌が無いとしてもお客様を面と向かってそう呼んだ事は一度もない。けれどもこの人を一番的確に表している言葉はこれしかない
 物語が好きだと言うその人はその日読んだ草子の話を私にいつもしてくる。わたしは文字も読めないし特にそういうことに興味はないと言ったらびっくりした顔をして暫くわたし目当てに通い詰めながら遊んだりもせずにひたすら読み書きを教えにきた。あれは本当にびっくりした。そのおかげで私はおつかいに出る度に街で見る文字程度なら読めるようになったし自分の名前がどう言った意図で付けられたのかもようやく理解できた。その点ではどれだけ言葉を尽くしても足りないくらいの恩人だと思っている。
 けれどもこの人が頼んでくる事は大体変な事ばかりで、『時間いっぱいまで寝たいから子守唄を歌ってほしい』とか『最近耳の聞こえが悪いから耳掃除をしてほしい』と梵天を片手に頼み込んでくるとか『君の挽いたお茶が飲みたい』と言ってお酒も呑まずに延々とお茶を飲んだりするのでわたしの中での良いと悪いの印象は半々くらいだ。今日は何をしたいと言い出すのか…

 刻限を示す線香に火が灯され緩やかに煙が部屋を舞い始める

 わたしが差し出したお茶を受け取ると『変な人』は座敷の窓際に向かうと手招きをした。何事だろうか。と訝しみながらそちらへ向かうとドン!という凄い音が鳴った
 心の臓が破裂するかと思うくらいの震えと音。窓の外には大輪の花が咲いていた。時間をおいてひとつ、ふたつ。そしてまたひとつ。そうか、今日は金沢の街で花火大会が行われる日だ。ドン!ドン!お腹の底を揺らすような響きを感じながらわたしは『変な人』の横に座りふたりで花火が彩る夜空を眺め続けていた。

 刻限を示す新しい線香に火が継がれる

 『変な人』はわたしに向けて匙を差しだしあーんと口を開けるように促す。それは氷と餡子とお茶を使った特別なお客様にだけ供される氷菓子。舞妓はおろか一人前の芸妓さんですらこの味を知らない人は沢山いると言うのにわたしは『変な人』が毎回こうやって食べさせてくるのでこれがいかに抗えない誘惑なのかを知ってしまっている餡子の甘味と氷の冷たく突き抜けるような感覚、そしてお茶の芳ばしい香りがわたしの身を一瞬の涅槃に誘う。なんでこんな事を?と聞いた事がある。そうしたら『吟子ちゃんの食べてる顔が可愛いから』などと宣っていた。この人はだらぶちだと思ったが口には出さない。それが舞妓なので。

 刻限を示す新しい線香に火が継がれる時に『変な人』は係の者に何かを言ってその火をそのまま借りていった。何をしようと言うのだろうか…

 暫くすると私達の座敷の戸が開き…大きな金魚鉢が目の前に置かれた。これは…わたしの部屋の金魚鉢とその金魚だ。金魚鉢の中の金魚を自らに例える舞妓や芸妓は多い。鉢の外の世界に憧れてもただ外に出るだけでは息ができなくなり生きていけない。そう、身請けという奇跡でも起きない限りは。誰だってそう。例に漏れず私だって。
 『変な人』は徐に自分の服の懐に手を突っ込んでゴソゴソと何かを探して取り出した。
 和紙でできたこより…?『変な人』はそれを先ほど借りた蝋燭に近づけて火をつけた。火付け!?危ない!と反射的に動こうとするとそれはパチパチと音を立てて弾けるような光を放った。
 線香花火と言うらしい。先程外で見た大輪の花火をとても小さくしたようなそれは暫く眺めているうちに中心の火がポトリと落ちて金魚鉢の中へ消えてしまった。もうおしまいか…と少し悲しい気持ちでいたのを見越していたのだろう。懐からさらに沢山の線香花火を取り出してニッと笑う。わたしの反応がわかっていたんだろう。狡い人だ。
 そこからわたしと『変な人』と数匹だけの花火大会が行われた。ちょっと待っててと言っては『変な人』は刻限を伸ばし続けて持ち込んだ線香花火が無くなりそうになる頃にはもう丑三つも近くなっていた。
 最後の線香花火の火の玉がポトリと落ちる。楽しい時間はもうおしまい。これからまたひとりでいつ来るかもしれない呼び出しを待つだけ。そう思うと無性に悲しくなってきた。そんなわたしに気付いたのだろう。『変な人』は私の肩を掴んでこう宣言した。次会う時は外で一緒に花火を見ようと。学の無いわたしでもそれが何をするのかはわかる。こんなわたしを身請けしようなんて本当に『変な人』…
 返答を待ってそわそわした態度をしている『変な人』にわたしは金魚鉢を手元に寄せながらこう返した。
「今度はこの子達も一緒に…ですよ?」


「っていう話を考えたんだけどどうかな吟子ちゃん!」
「花帆先輩…いくら何でも私欲を出し過ぎ」
「えーそうかなあー。こういう感じのドラマ仕立ての配信をすればみんな吟子ちゃんの事もっと好きになってくれると思うんだけど」
「それは…そうかもしれないけど…とにかくダメったらダメ。他の先輩経由でやらせようとしても断りますからね」
 そう。とにかくダメなのだ。わたしは『変な人』の前で絶対に恥ずかしいような顔をしてしまうのだから


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