徳光PAに行ってきた話
年が明けました。昨年ご愛顧いただいた皆様ありがとうございます。今年からご新規でご愛顧いただく方よろしくお願いします。本日記の主旨はタイトル通りです。
経緯
実家が医業のため「帰ってくるな」と言われている悲しい友人を励ましたい。しかし彼の今いる大阪に行くのはどうよとなりじゃあ中間地点の辺りで何かしようと言ったのが去年の9月ごろでした。古民家を1日貸しみたいなタイプのお宿を見つけてそこでつつましく新年を祝おう的なプランが立てられた事で我々の金沢行きが決まりました。
この時点で始発で行って主催の行きたいお寺の拝観予約時間までに戻ればいいんだろう?などという極道入稿も真っ青な徳光行きの計画を立てていたんですが後から考えるとやってたら倒れてました
世の中のあれやこれやで一旦流れるかと思いましたが全員鉄の心臓を持っていたのでそのまま決行。お昼頃に金沢駅に着き宿に着いた時に主催から「神社はライトアップの時間に行きたいのでここから夕方まで自由時間です」宣言が発令されたので
「じゃあ日が暮れる頃には戻るので徳光PA行ってきていいか」
「いいよ」
という事で元日の昼間からガルラジ聖地巡礼を始めるオタクがひとり生まれました
道中
徳光PAへ行きますが使用交通機関は無論電車です。雪道を歩き金沢駅へ。着いた電車を見てうわっ両数少なっと思いましたがそれで賄えるくらいの人の移動しかないんだな…と思いながらプリンセス・ミルミルも使っていた(コミカライズ参照)北陸本線に乗り込みました
松任駅からはバスがあったのかもしれませんが寄り道したかったので徒歩で。「こんな、何にもない田舎町」と作中で評されてましたが見渡す限りエンターテイメントのかけらも無い風景が広がっていて手取川海瑠にとってはここはいたくない場所なんだなあという事を感じながら進みました。
途中、セブンイレブンに寄り道を。いつも素敵なイラストを描いている方がネットプリントで年賀状を印刷できるようにしてくださっていたのでそれを持っていきたかったのと思ったより長い旅路の予感がしたので飲み物の補充を行って再出発。行路的にも概ね折り返しくらいです
ヒートテックの上下とワークマンの手袋が無ければ即死だったと感じるような日本海の海風を乗り越えて徳光PAに着きました。公式サイトのイラストで手取川海瑠が砂に落書きをしていたのを思い出して誰もいない砂浜でひとり「2021年もガルラジ!」と書く限界中年男性を見かけてもそっとしておいてくれる優しさがこの町にはありました。道中、ちょうどお正月前後の話なのでチーム徳光1-2を聞き返していたんですがこんなクソ寒い環境で「恋ってギルティ、愛ってメルティ。緑茶はグリーンティ、崩壊するアイデンティティ」のくだりをやっていた海瑠は凄いやつだよなあ…と改めて感じました
ミルミル星、多分こっち側が客席で写真を撮ってる僕がいた側がラジオブースだったのかなあと思いますが二人はこの窓から日本海を眺めながら色々なトークをしてたんでしょうね…
僕の胃袋が宇宙だったらこの下の金沢8キッチンで徳光うどんを食べたり金沢カレー食ったりしたかったんですが旅行チームから「夜はスシ食いてえ!」という意見が既に出ていたので泣く泣く諦めましたが代わりに生きてるうちにもう一度徳光PAへ行って今度は食べたいと誓いを立てました
お土産といえば当然NEXCO中日本のプレミアムなおみやげ、「プレみや」です。NEXCO中日本のサイトで能登いかせんべいとみそまんじゅうの存在を認知していたのでそれを買うぞと息巻いていたのですがどうも能登いかせんべいが無かったので少し悲しみを背負いながらみそまんじゅうをお求めしました。あとおしゃれな金沢ワッフルみたいなのがあったんでご飯は食えんが少しでも現地にお金を落としていこうというオタク心理が働いて急遽おやつタイムと相成りました
他のPASAでは声をかけると出してくれるシステムになっているようですが徳光の手取川と吉田さんはレジの画面の上に前にオタクの載せていた写真と変わる事なく鎮座ましましておられました。おみやげコーナーのおじさんに「写真を撮らせてもらってもいいですか?」とお伺いして撮ったのですがおじさんはこれが何か全く知らなかった様子。嬉々として写真を撮る限界中年男性を不思議な顔で見ていました。2022年までにはPAのおじさんにも顔を覚えてもらおうね海瑠…
帰路も徒歩です。何でかというと今度はローソンに用があったからです。先程印刷した徳光の海風を浴びた年賀状に自宅宛の住所を書いてポストに投げ込むミッションです。往復都合10キロちょっと。普段ならそこまで苦戦する道ではありません。ただ重要な事を忘れていました。年末といえば献血の季節!と言って12/30に400mlの献血をしていたのです。賢明な人間なら配車アプリなどを活用してタクシーを利用したのでしょう。ただ僕は気付かない愚か者でした。いつも以上にパフォーマンスの悪い身体を必死に動かし半死半生になりながら駅まで戻ってまあすぐに電車が来るやろと思って電光掲示板を見たら次は15分後。日も沈んできたのでさらに寒くなった雪風に凍えそうになりながら拠点たる金沢駅まで戻ってきました
おまけ
流石吉田酒造店さんのある石川県。お寿司屋さんにもその辺のファミマにも手取川が置いてあります。マジで感動しながら飲みました。同行者たちにも布教しました。ガルラジ銘柄の日本酒に限りラベル収集癖があるのですが流石に出先で風呂に酒瓶を沈める奇行をするのはどうかと脳内議論が行われて泣く泣く写真に残す形となりました
ミルミル星のお正月はレトルトのチャンカレ食べてお笑い見るのが慣いだという事でお土産はチャンカレです。
徒歩勢ならわかる人がいるかもしれませんが松任駅から徳光PAの間に美容院が一軒あるんですよね…ガチの個人家屋でもあるお店をパブリックな場に出すのはどうかと思うので写真は控えますが質感の塊でした。手取川海瑠の生きている空間を実際に感じられたのが今回の旅の最大の産物でした
ガルラジ合同のあとがきのあとがきで書いた原稿の最初期案の手取川海瑠が急にふらっと消えた吉田文音をバイクで追いかけて金沢駅でマジ喧嘩する話ってのがあるんですがこんな感じの雰囲気だったのかな…ってのも感じる事ができました。いつかは追いついて、肩を並べてくれよと切に願うばかりです
最後に、家に帰るまでが遠足ですが昨今は家に帰ってから2週間平穏無事でいる事までが旅の時代です。あと9日平穏無事でいられますように 1/6 けいせん
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