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【創作】謎のポケモンドーナツ
カップラーメンの謎肉を丸呑みにしながら麺を啜る。
僕らは茅野市まで旅行に来た帰りだった。車の中でズズっと飲み干す音を合図にタケルが顔を上げた。
「なんだか、足りないな」
口の周りについた油が、街灯に照らされて青白く不気味に光る。タケルは舌で少し唇を舐めてカップラーメンの余韻を味わっている。
「足りないなら、ポケモンドーナツ買いに行かない?」
「ああ、ミスタードーナツのやつ」
「そう! 実は毎年ポケモンコラボを楽しみにしているんだ」
「それはいいね。ハヤマはどのドーナツにするんだ?」
僕は少しの間、何がメニューにあるのかスマホで調べた。見慣れた黄色い電気ネズミが一番気になった。
「やっぱりピカチュウかな。カスタードがとじこめてあって美味いんだ」
「カスタードがねえ」
「そう、表面はホワイトチョコだしちょっと食べたいって欲は満たされるんだよ」
タケルは黙ってうなづいてから何かを言いたそうにした。一瞬だけ口を開きかけてつむぎ、車のセルを回してエンジンをかけた。
「どうしたんだ、なにか気になるのか」
「ミスタードーナツはどこだったかなって思ってね」
「もっと大事なことを言いたそうだった気がしたけどな」
僕がそう言うとタケルは『ああ』と短く言って国道20号へ車を向けた。ミスタードーナツの閉店間際の茅野市は、人通りが少ない。街の「ようこそ! 茅野市へ!」というポップな明るい萌えキャラのイラストに活気があるだけに、閑散とした街はなんだか背筋が涼しくなる。
「謎肉ってなんだかわかるか」
交差点で信号待ちに捕まり、誰も居ない信号で僕らは信号が青に変わるのを待つ。
「謎肉って謎だから謎なんじゃないの」
「よく知っているね、謎肉はそれが正体さ」
「というと?」
「謎そのものなんだ」
僕はその哲学めいた回答に屁理屈じゃないかと苦笑した。
「牛肉が牛の肉なら、豚肉は豚だし、鶏肉は鶏だ」
「どうしたんだよ、急にそんな当たり前のこと言い始めて」
「でもミンチにしてしまえば何かはわからない。謎肉だ」
何の話をしているのか分からなかった。これから僕らはミスタードーナツのポケモンコラボを食べに行くだけなのに。
「ポケモンドーナツ」
タケルが一言だけ呟く。
「それがどうしたの」
「あれがポケモンの肉だったら僕らは気づけるのかな」
「えっ、急に何を言い出すんだ」
信号が青に変わり、車はなだらかに、一つの揺れも起こさずに進む。街灯が減ってきて、遠くの方にミスタードーナツの看板の灯りが見えてきた。いつもなら暖かなあの光が今日はやけに猟奇的に光る。
「だって謎肉は分からないじゃないか。僕らはこれがソレだと言われたら、そう信じて食べるんだ。それがワシントン条約で保護されている動物だろうが、実は野菜だろうが、謎肉と言われれば、謎かと思って食べるだけだ。そして美味ければ美味いとだけ言って次の日には忘れている。」
タケルがいっぺんに言いながら、ハンドル横のカップホルダーからコカ・コーラを取り出して飲む。そう言われると、コーラが何のなのか僕はよく知らない。
「昔、戦争中に飢えをしのぐために」
「ちょっと待って! その話は何となくオチがわかる」
彼がその続きを言いかけたので、僕はさえぎった。
「ハハ、まあともかく僕はモンスターボールを選ぶってことさ。あれはあきらかにモンスターボールに似せて作ったドーナツのようなものだ」
「そこは言い切ってくれよ」
「僕はモンスターボールを知らないからね」
タケルはそういうとハハと乾いた笑いをした。
「もし仮にモンスターボールが、ゆで卵のようなものなら、僕はモンスターボールから本来生まれて来たかも知れない謎のモンスターもろとも食べることになるんだ」
「考えすぎだよ」
そう否定しないとタケルのペースにすっかりハマってしまうところだった。
「そうかもね。でも、別に強要はしないけどピカチュウでいいんだね」
「あれは間違いなくドーナツだからね」
「そう言い切れるなら大丈夫だ。僕らは信じたものを食べられる」
車がミスタードーナツの店の前に到着する。入店すると店員の明るい挨拶が現実に戻ってきたかのような安心感を与えた。閉店間際のミスタードーナツはもうほとんどのドーナツが売り切れているが、ポケモンドーナツは運よく4つだけ残っていた。
「良かった、間に合ったね」
「やったー、ラッキーも食べよう!」
僕はピンク色に加工されたラッキーのドーナツをトングでもちあげた。
そしてピカチュウにも手をかける。タケルの言葉が頭の中で響き、馬鹿馬鹿しい疑問が頭をよぎる
『これが本当にピカチュウを加工したものだったとき僕は気づけるのだろうか』
厨房を少し覗くと何かの粉が大型のミキサーでかき混ぜられていた。以前、ハンバーガーチェーン店のハンバーガーに爪が混入していたことが思い出される。あそこにピカチュウを混ぜたところでわからない気はした。
「いやでも、ピカチュウは存在しない」
僕が口に出すと店員がこちらをちらと見たのを感じる。タケルはふふと笑い、モンスターボールとピカチュウをトングで手に取った。
「その通り。存在していたとして、僕らはきっと気がつかないよ」
「大丈夫、それでも僕がピカチュウを信じない限り、ピカチュウを目の当たりにしない限り、ピカチュウは永遠に存在しないんだ」
「じゃあ、食べるのかい。ピカチュウを。これから」
「もちろん」
僕は勘定を済ませてタケルと向かい合わせの席に座った。神妙な面持ちで、黄色やピンクのカラフルなドーナツを盆に乗せた僕たちは奇妙に見えるだろう。ただでさえ、男同士のドーナツデートはこの茅野市では目立ちすぎる。これが歌舞伎町ならなんてことなかったはずなのに。
でも、歌舞伎町だって本当にあるかはわからない。あそこに行くまでは、世間の常識として君臨しているだけのことだ。
「いただきます」
僕らは無言のまま、ピカチュウにかぶりついた。表面のホワイトチョコのコーティングが分厚い化粧を破るように、不規則に割れる。その下のイースト生地がクシュと音を立てて潰れるとカスタードクリームがニュッと飛び出て、僕の口の脇に張り付いた。
「美味いか」
タケルが口角を上げながら尋ねてきた。彼も顎にピカチュウの中身を浴びていた。手には彼の体温で溶けてしまったピカチュウの顔の一部が染み付いている。
僕があのとき言ったのはおそらく美味いってことだったはずだけど、今となってはあれがどんな味だったかは思い出せない。ただ覚えているのは、タケルの袖を汚してしまったピカチュウのチョコレートと、彼の口の周りにベトベトとこびりついたカスタードクリームだけだった。