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だいふく


【あらすじ】

東京で夢の洋菓子職人になることを諦めた主人公・タカシは、実家の和菓子店に6年ぶりに帰省する。そこで両親が体調を崩し無理な営業ができない有様を目の当たりにし、自らも駄菓子屋でバイトするだらしない生活に絶望する。

父の入院をきっかけに、タカシは両親に東京での失敗を打ち明ける。夢を捨て、実家を離れてしまったことへの後悔と自責の念にかられる。両親の姿を見て、これまでの人生を振り返らずにはいられない。

そんな中で家庭内で作られる「大福ケーキ」に着目する。和菓子と洋菓子を融合したこのケーキに、タカシ自身の新たな可能性を見出だすことができるのだろうか。

#創作大賞2024 #オールカテゴリ部門

だいふく

東京に出てきてから6年の年月が流れた。夕暮れの古びた駄菓子屋で、私はレジ台の上に置かれたスルメイカのパッケージとビール缶を手に取った。仕事中にも関わらず、軽くビールを飲み始める。
この店は古くからこの地にあり、昔ながらの佇まいを残した木造二階建ての建物だ。入り口のガラス引き戸の脇には、いつの間にか古びたガチャガチャが狛犬のように佇んでいた。スライドレールを渡ると、引き戸は日が沈むまで開け放たれている。
駄菓子を買いに来る子供たちにとって、この店は大人なショッピングモールのようなスリリングな場所だったに違いない。駄菓子を両手に抱えて小路を抜けると、そこには東京タワーの代わりにレジが控えている。
店番の私は敷かれた畳にあぐらをかいて、ちゃぶ台ほどの高さのレジに肘をついて子どもの買い物を待つ。東京タワーには決して居ない怠惰なレジ打ちだ。
程よい高さに調整されたレジ台は子どもの胸くらいの高さで、私と子供は話がしやすい。かつては私が子供の立場で、そんな怠惰なレジ打ちと日が暮れるまで会話を楽しんだことが懐かしい。
しかし、少子化の波は深刻で、私がこの店でアルバイトを始めてから子どもの姿を見ることは無かった。
加えて、買い物の利便性の高い東京では駄菓子屋は生きる化石。滅びの道を辿っている。
この店の客といえば、金曜日の閉店間際にこの店に思い出のあるサラリーマンが、晩酌のつまみがわりに手に掴めるだけの駄菓子を買って車で帰るくらいだ。
そんな私も、貰ったアルバイト代でスルメイカをつまみに酒を買って帰る。人通りの少ない木曜の日はアルバイト中に酒を飲むことさえある。
都会の近いため利便性は都市化したものの、八王子に位置するこの周辺はまだ自然が残っていて、東京の田舎だ。
軒先を開けているので差し掛かってきた夕日を、レジ台に置かれた金属の缶が淀んだ光を反射している。
ヒグラシの涼しげな鳴き声と林のざわめきがほろ酔いの心を和ませた。
「よう、泥酔紳士。今日も仕事サボってビール片手に夕涼みか?」
カリカリしたおばさんの声が背中を叩いた。振り返るとそこには2階に住んでいる店主のナツミさんがいた。
ナツミさんは、ジェンダーフリーの時代になったとはいえ男性でも珍しい、熊のように頬を覆った髭が特徴的な50代後半の女性だ。
この歳になると身だしなみは気にしないのかと思いかけたところで、私もさして変わりないかと思った。身だしなみに性別は関係ないのだ。
「ナツミさん...俺は昨日も今日も朝から頑張ってたじゃないすか。休憩ですよ、休憩」
「休憩も昼間からされちゃあ、給料は出せないなあ」
「この店で一番売り上げに貢献している有料社員ですよ、ぼくはっ」
元気な声に押されて尻もちついた私は取り乱した。
事実を突きつけられなんだが落ち着かなくなった。
千鳥足で立ち上がり、泥酔していないことをアピールした。
「ほら、見てください!一杯くらい飲んでも大丈夫です。足取り普通です。」
「ほら毎度同じこと言わせるなよ。明日は帰省なんだろ?今日はビール控えとけよ」
「すみませんでした...」
ナツミさんに怒られ、私はがくりと頭を下げた。表向きは反省の素振りを見せたが、心の中では舌打ちをした。
母親面をしやがって、どうせ人来ないんだからビールくらい良いだろと、せっかくの夕涼みを正論で濁され恥ずかしさとわがままの間で毒づいた。
私はむしろ昔からこういう態度なのだ。
幼い頃から、親に怒られると表面上は素直に頷き、半生の色を見せた。しかし伏せた表情は怒りに燃え、裏で舌打ちしていた。
長野の山奥にある大福屋の二代目長男だった私は、東京でパティシエ修行に出たことが知れ渡っていた。 そのため、周りの期待が重かった。どこに行ってもまだ継いでいないのに、たまに帰省すると「よっ、2代目!」と呼ばれていた。
(しょうがねえよな...東京に出て頑張ってる振りしてるしさ...)
私は内心でつぶやく。
地元の中年達は、私が洋菓子を研究することで和菓子に新しい風を吹かせてくれるのだと勘違いしている。
しかし実際は高校卒業後すぐに家を出て東京に出てきてからの6年間、大して頑張ってこなかったのだ。
(あの頃、和菓子なんか嫌いだったよな...)
私の胸中を、子供の頃の記憶が過ぎった。
父に習わされた精緻な大福作り。
櫻の花弁を一枚ずつ丁寧に引き剥がし、塩水で濡れた脱脂綿に並べる。これをもの心ついた時からやっていた。学校から帰れば、家の手伝いで塩水を毎日扱うので手を痛めた。
春過ぎた初夏はいつも手がひりひりしていた。やっと落ち着くのはヒグラシがなく頃で、喉元過ぎればというがこの時にはさくら大福の痛みなんかはすっかり忘れている。それよりは夏休みが終わることへの寂しさに思いを馳せていた。
ヒグラシが姿を消すころにはまた大福屋の手伝いで夜遅くまで仕込み、朝は登校前に仕上げの繰り返しだった。そうすると水に酷使された手は米糊に固められ、一部はふやけた状態に戻る。
今ではすっかり綺麗になってしまった手を見て、そんな地獄のような記憶が甦る。
(あれに嫌気がさしていつしか、洋菓子の世界に夢を抱くようになったんだよ...)
当時の憧れを思い出してみれば、小田舎に突如現れた洋菓子店に並ぶ華やかなタルトに初めて出会った時の衝撃は今でも鮮烈に脳裏に染み付いている。
これまで見たことのない色鮮やかなデコレーションに目を奪われた。一つひとつのタルトが小さな芸術品のように映った。
生まれ育った大福屋の質素な和菓子とは打って変わって、視覚だけでなく嗅覚をも楽しませるさまざまな香りが漂う洋菓子の世界。清潔で開放的な店内は、閉ざされた和菓子の世界とは対照的な印象を与えた。そのときから、私の中で次第に大福屋を出る決意が芽生え始めていた。
パティスリーこそ私の居場所だ。と思った。
(でもよ...結局、東京でもダメだったしな)
日が暮れたので駄菓子屋の戸を閉じるため立ち上がると、「チョコケーキ」と書かれた駄菓子が目に留まり、チョコケーキの前で立ち止まった。
「チョコケーキ」は直径10㎝ほどの生成スポンジに、ほぼ由来不明の植物油脂で作られた準チョコレートをコーティングしたものだ。
本来であればスポンジや、チョコの生成を考えるとおよそかけ離れた存在である。
チョコケーキの概念を要素還元させれば間違いではないが、駄菓子という名が示す通り、概念を集約させ簡便にしたそれは私が目指したパティスリーで扱うような菓子ではない。かつての私ならこの駄菓子を一笑に伏していただろう。
しかし一度、挫折を経験するとこのチョコケーキは完成された、一種の和菓子なのだと思う。
チョコケーキひとつでつまらない現実に逆戻りしてしまった。私はレジに20円を放り投げ、チョコケーキを手に取りかじってまた駄菓子屋の入口へと向かった。
砂糖が主原料の駄菓子のチョコケーキは、口に入れた瞬間、強烈な甘さが広がり、先ほどビールで潤したばかりの喉に再び渇きを与えた。
悪くない。駄菓子はビールにとても合う。
「でも・・・」
と言いかけて、私が作っていたカカオがふんだんに使われ、フルーティな香りとチョコ本来の苦み、スポンジの甘みが調和した繊細なチョコケーキが脳裏によみがえる。
「これはチョコケーキではない」
そして今度は憧れが打ち砕かれた苦い思い出がよみがえった。

私は最初、高校を出たあと父の反対を押し切り洋菓子の専門学校に行った。
それから東京に出て、まずはパティスリーでアルバイトを重ねたものの、想像を上回る過酷な修行に遭い、挫折してしまったのだ。
私の勤めたパティスリーは私の理想としたパティスリーそのものだった。
原材料に拘り、高い原価をそのまま販売価格に跳ね返すので高給パティスリーだった。しかしそのこだわりが客にとてもよくウケた。
その中でも「チョコケーキ」は売れ行きが激しいので、アルバイトでする作業といえば、「チョコ」の仕込みだ。
発酵乾燥の済んだカカオ豆を焙煎機に入れ、殻を取り除き、カカオニブ(実)を粉砕機に落とす。粉砕されたカカオマスに砂糖を加え混ぜ機に流し混む。
ここまでの作業が私の担当だった。
この中でも、殻を取り除く作業が時間との勝負だった。
焙煎直後の豆をすぐに粉砕させることで、風味を保たせると信じていたオーナーは、焙煎機から出したての高熱のカカオの殻を手作業で取らせた。
豆が冷え始めると
「Allez!Allez!(アレ!アレ!)」と急かされる。
フランス語で急げという意味だ。熱気にやられて汗が落ちないように額にタオルを巻き、急かされながら丁寧に殻をむいていく。
何とか殻を剥き終えると
「Vite!Le soir Approche!(ヴィト!レ サン クーシュ!)」
日が暮れるぞ!急げと急かされる。


「Oui!(ウイ)」
と真面目な顔で答えながら、私は心の中で舌打ちをしていた。
早朝の厨房の外はまだ暗く、すでに日は暮れている。それを言うなら日はまだ昇るだろうと毒づく。
それを察してかオーナーが再び
「Allez!Allez!(アレ!アレ!)」と叫ぶ。
結局、私がパティスリーでやったことと言えば、このチョコレートの実の殻剥き、粉砕、混ぜだけだった。そして、その半分は機械が行っていて、専門学校で行ったような手作業はどこにも登場していない。
この後の行程に入るころにはすっかり疲弊していて、体力がついていかず厨房の端に隠れていた。
フランス人かぶれの日本人見習いパティスリーたちは
怠け者「paresseux(パレスーズ)」と、項垂れる私に容赦なく言葉を浴びせた。
こんな生活にあっという間に私の憧れは絞り取られ2カ月もしないうちにアルバイトをやめてしまった。
そのあともいろいろな洋菓子屋を転々としたが、何か理由をつけては退職するのを繰り返し、ついに自分では何もしない駄菓子屋に納まってしまったのだ。

(そりゃあ、両親にも黙ってたしね...父ちゃんに失望されるのが怖かったんだ)
私はその後、数年の過ごし方に想いを馳せた。
パティスリーを諦め、母からの仕送りを食い潰す日々が続いた。やがて仕送りは食べ物に変わり、両親の経済状況が変わったのかもしれないと思った。
いつしかアルバイト先にした駄菓子屋での口減らしと安酒に耽り、自堕落な生活を送り今に至る。

奇しくも和風の場所に戻ってきてしまった私は憧れと挫折の狭間で、客足の少ない店内で飲む安酒は私に束の間の安心を与えた。
私の価値と安酒の価値は天秤が取れているように思い、そこについ甘えてしまうのだろう。

(でも最悪なのは、父ちゃんには東京で小さなパティスリー開いてるって嘘ついたことだ...!)
駄菓子屋のシャッターを下ろして再びレジ台に戻った私は懺悔するように手を合わせた。
そして、ナツミさんに怒られた直後にも関わらず発泡酒をグッと飲み干す。
この所作は「いただきます」を言ってから一気飲みをしたように見えただろう。
ナツミさんからすれば叱ったばかりなのに商品のチョコケーキをかっくらい、再び酒をあおり始めている。
反省の色を見せず逆行動をしてしまうことが多かった。

私は閑散とした店内に響くさんの舌打ちを聞かなかったことにした。
私は両親に東京での挫折を打ち明けられなかった。
母からの健康を気遣うLINEについ、口から手落ちの嘘が出たのだ。
「パティスリーはボチボチ軌道に乗ってきた。もう少しで本格的な開店ができそうだ」
私のLINEの一節だ。

最近の私は電話をかけることを面倒くさがりLINEで似たような嘘を母に繰り返していた。声の調子から何かを察せてしまうことを恐れて、最初は母に電話は無視した。
メッセージを打つのが苦手な母からの連絡は月末くらいになってきた。
そんなある日、私のスマートフォンの通知画面に母からのメッセージが久しぶりに届いた。

「タカシ、忙しいところごめんね。最近はお店はどう?お父さんが長くないかもしれないの。顔出せる?」
私は飲み干した発泡酒の缶とチョコケーキの空の袋丸めてをゴミ箱に投げ入れてナツミさんに声をかけて店を出る支度をした。
「これでビールは終わりにしました。明日、実家に向かうよ。入り口閉めとくね。」
「そもそも就業中に飲むなっての」
ナツミさんは呆れ笑いをしながらツッコミを入れた。
ガラス戸を閉め千鳥足で自宅に向かった。
私は酒に弱いのだ。






清潔で整っている受付台には初老の女性が一人。
長野の山間のこじんまりとした、とある病院に私は足を運んだ。
入口で用件を伝えると、私は受付すぐ脇の階段から二階へ向かうようにと案内された。
掃除が行き届いていて、LED化された室内は新しくリニューアルされた建物のように感じるが、建物の内階段の幅の狭さや天井の低さがどこか昔の建物であることを感じさせる。
階高の低さが反映されているためか、あっという間に階段から二階に上がると、二階は向かって左に入院患者向けのスペースが広がっていた。
入院患者の滞在できる部屋は5部屋ほどで、すぐに突き当りの窓に目線が届く廊下は狭く短い。私はなんだか小学校の頃の廊下を思い出していた。
「廊下は走るな」と張り紙は無いし、二日酔いのためか、私の歩幅は不安定で足取りは重い。足かせがついたように脚を引きずって歩いてしまいそうだった。
階段上ってすぐの目的の病室はひどく遠い。
(くそ、もう見えてるよ)
私は心の中で毒を吐いた。
念の為持ってきていた乾燥カカオの殻をポケットの中でカラカラと転がす。昔こそ憎んだカカオの殻だが、カラカラと転がす今では手持ち無沙汰な私を勇気づけた。
病室の入り口は駄菓子屋のそれとは違い、バリアフリーになっていて軽やかに開閉できそうなつくりで、今どきのステンレス製スライドドアだった。軒先が開けてあるのは父が少しでも閉塞感を感じないようにという母の気遣いであろう。
大雑把で豪快な母だったが、こういう細かい気配りも出来る人間であった。
しかし今日ばかりは入り口に近づきすぎると母たちから私が見えてしまうので、心の準備の出来ていない私にとって都合が悪かった。
入口の脇からこっそりのぞくとそこには窓際のセミダブルベットに横になる男性と、それを幸無さげに見つめる女性がいた。
いつも笑顔で愛想がよく、恰幅の良い父のあだ名は『大福屋の大ちゃん』だった。
そして、セミダブル幅のベットにすっぽり納まり、腕に血管を浮かせ静かに眠るのは私が今まで見たこともない男性だった。
私は入口の名札を確認した。名札には私の苗字が書かれている。
やはりあれは父だ。
大きく太った姿から名付けられた『大福屋の大ちゃん』はもうどこにもいない。
私はあまりの光景に入口スライドドアのガイドレールから一歩引き、その場に立ち尽くした。
あの女性はおそらく母だろう。
父がここまで大福屋として大成したのは、ひとえにこの母にあった。
母は毎日、父の作った大福を試食していた。
試食だから一個まるごと食べる必要はないのだが、父が新しい大福を天板に並べるごとに余計に一つ作ってもらい、天板が厨房に並ぶたびに一つずつ食べていった。
多い日には一日で10こは食べていた。父の作る大福が本当に好きだったのだ。
そして、ここに加えて1日3食しっかり食べる。
女性にしては食べ過ぎだったと今になれば分かるが、それは我が家の日常的な風景で、子どもの頃の私は太った母の腹の方を気にしていた。
嫁いだときは母はスレンダーで肌は大福の片栗粉のように色白で美人だったらしい。
それが私が物心ついた時には、色白ではあるものの栄養が行き渡った母の頬はほんのり赤く、大福のようにまん丸に肥えた姿はいちご大福であった。
近所の評判の美人な母の面影はどこにもなく、とくにスレンダーだという部分はどうも納得しがたかった。
水場で手が荒れ、店頭に立ち日焼けしている父よりも、大福屋にふさわしかったかもしれない。
そんな大きくて元気が良い2人の両親は『大福夫婦』と呼ばれており、商店街では有名だった。
しかし今の目の前にいる母の血色の良かった頬は青白く、やせ細っていた。そして水場から離れてすっかり乾燥している父の手を見つめていた。
父の腕に繋がれた点滴の先のパッケージには栄養剤がぶら下がっていて、部屋はほぼ無音のようであった。
母は私の姿を認めるとほっそり笑った。
「タカシ、おかえり」
思えば6年も会っていない。6年ぶりの家族再会が片田舎の病室だなんて、私は今朝飲んだ発泡酒を吐きそうになった。
嘘の手紙や電話を続けていたせいで、直接会う機会さえなかった。
(こんな姿になっちゃって...本当にごめんよ、父ちゃん)
私の頭の中は体裁を繕うための嘘の数々で一杯になっていた。
「パティスリーは軌道に乗りつつある」「次は本格的な開店ができる」。
次第に嘘に苦労した私からのLINEの間隔は広がり、ついには最後の母からの『元気してる?』というメッセージに既読スルーをつけてから半年経っていた。
それでも、わたしの嘘のLINEを楽しみにしていた両親の顔が浮かぶ。一体いつからこの二人はこんな姿になってしまったのか。
(打ち明けられない...父に失望されてしまうのが怖かった。勘当されてもおかしくない...)
私は床に視線を移し、壁際に寄りかかりたくなった。自身の過去を引きずり、母の優しい笑顔に私の胸は痛んだ。
パティシエに目がくらみ和菓子に嫌気がさし始めた頃から、私の道は狂い始めていた。
(まだ間に合うかもしれない...!)
私は長い沈黙の後、母を一瞥して痩せ細った父に声をかける決意をした。
実家に戻って親の店を継ぐことで、新たな道を切り開けるかもしれない。
しかしそのときだった。
枕に首をもたげ微動だにしなかった父が、わたしの存在に気づいたのか首をこちらに動かそうとした。
私は反射的に慌ててその場を立ち去ってしまった。
(ああっ、また言えなかった...)
背中の方で私を呼び止める声を振り払って飛び出してから病院の廊下を走りながら、私はひどく自問自答していた。
なぜ黙っている父になら言えそうだったのか。
嘘をついたことへの後悔と、父への申し訳なさ。そして新たな決意と逡巡の気持ちが、頭の中をぐるぐると渦巻いていた。
私は行く当てもなく、とりあえず実家の大福屋に向かった。大福屋は暖簾をさげていた。私は一度も閉店時間以外に暖簾の下がっているところを見たことがなかった。
入り口の窓からは厨房が薄く見えていて、壁には私が子どもの頃に書いた両親の似顔絵がセロテープで貼り付けてある。
似顔絵の中の両親は二人とも子どもの正直さを反映して、大きく大福のように丸々と描かれている。そして笑顔の二人の手には一齧りしたいちご大福が握られている。
明るい太陽に照らされた軒先を見て、過ごしやすい陽気とは裏腹に胃がキリキリと痛んだ。
もうこの大きな二人はどこにもいない。
立ち尽くしていると、母が後ろから声をかけてきた。
「タカシ!話を聞きなさいったら!」
タクシーから降りて息を切らしながら走ってくる母は痩せて大物女優のように見えた。商店街の評判は嘘ではなかったのだ。やはり昔は美人だったのかもしれない。
しかし長年の運動不足もあり脚が遅く、映画をスローモーションで見ているようだった。あるいは母はあまり運動が得意ではなかったのかもしれない。
すこし滑稽に思えたが走り慣れていない母の足取りはどこか転びそうだったので、私は母に駆け寄ると、力いっぱいに抱き寄せた。
自然に涙があふれてしまった。私は最後に母に触れたのがいつだったか思い出せなかった。それに私から抱きしめたのはいつだっただろう。
そんな母は少し困惑した表情を浮かべて、グッと私を押し戻すと
「話を聞きなさいって」
と、事情を話し始めた。
母に依れば、私が東京に出てから後継者育てに密かに野心を燃やしていた父はすっかりやる気を失い食を細くしてしまったらしい。毎日、大量に作っていた大福は父が作りたいだけの量となり、母の試食の量はそれに比例して減り、母も痩せて行ったそうだ。
最初は母は痩せたことを前向きにとらえて父を励ましていた。しかし、父は長年の体力仕事に加えて急な食事量の変化や、もともと米ばかりを食べる偏食家だったこともあり必要な栄養が足りなくなり、ある日倒れてしまったらしい。
今まで一度も父が倒れたことを見たことなかった母は重大な病気かと早とちりをして、私に父が危険かもしれないとLINEで連絡を送ったそうだ。それから父の容体を知ると訂正のメッセージを送ったそうだが、それは私が確認を怠っていた。
能天気なんだか、説明不足な所があったり、そそっかしかったりと、子どもの頃はイライラした母の苦手だったところを懐かしく感じた。
つまり、母が私に送ったLINEは父の容体を勘違いしたものであり、その後の訂正のメッセージを見ていなかった私は、病院に着くなり父の末期の状況に立ち会ってしまったのかと思ったのだ。
しかし実際は父は昼寝をしているだけだった。
私はほっと一息ついて、母親譲りの早とちりを身に着けてしまったのだなと思った。
母も心配から睡眠不足を起こし、うつむいていただけだ。
納得をして安堵しそうになったとき、
「でもね・・・」
と母はつづけた。
実際に入院をしてみると父は喫煙習慣や偏った栄養、睡眠不足、ストレスから様々な不調が認められてしまった。それで栄養点滴をしながら再び復帰できるまで様子を見て長めに入院することにしたのだ。
父が店頭に立って40年、始めて長期間閉めたことをに父はひどく落ち込んだそうだ。

ここまで聞いてやはり完全に安心してはいけないのだと思った。一喜一憂したが私はあのとき、心に思ったことは真実だと確信した。
私はこの店を継がなくてはいけない。
パティシエになれこそしなかったが、この細くなってしまった両親を支えられるのは自分しかいない。そしてまた、二人に大福をたらふく食べさせて、元の大福夫婦に戻ってもらうのだ。
それは決して簡単な道ではないが、私は東京で駄菓子とビールですっかり太らせてしまった腹をつまみ決意を固くした。
過程こそ異なるが、見た目はすでに二代目大福屋として準備を整えてある。
私はまたポケットに手を突っ込んで、カカオの殻が入っていることを確認した。

母と二人で踏み慣れたはずの玄関に上がると、昔なじみの匂いが心を撫でた。
カビ臭い東京の家に比べると生家が他人の家のように感じられた。
父が毎日こねた蒸した米の甘い香りが染み込んだ木造の居間の土間は、和菓子によくある上品な香りに思える。
それから私は母と家の周りを掃除して、父の復帰のための準備を整えた。
私は母と掃除が済むと東京のナツミさんに電話をして駄菓子屋を辞めることと、東京の家の解約手続きを進めることにした。

次の日には東京に帰り、駄菓子屋の私物を取りに行き、最後の挨拶をするとナツミさんは、ふんと鼻を鳴らして
「これでもう泥酔紳士がいなくなるのだと思うとせいせいするね!うちは飲み屋じゃないんだよ」
と毒づいたが、私の決心を悟ったのか餞別に駄菓子の棚からうまい棒、柿の種を適当に取ってレジ脇から紙袋を取って雑に突っ込むと私に持たせてくれた。
礼を告げてレジで受け取った紙袋を片手に店を出ようとすると、チョコケーキが見えた。
「あっ、これもちょうだい」
私は帰るついでにデザートにすることの多かったチョコケーキを5つほど取った。
「ったく、最後まで調子が良いね君は。はい、100円」
「金とんの」
私は意外だと言わんばかり食って返した。、
「当たり前だよ。それにその紙袋は退職金代わりだよ。それ受け取ったあとは、ただの客。客から金取るってのが、社会の仕組みなの。」
最後までナツミさんらしいなと思って私は100円玉を渡した。
自宅に帰ると、玄関の床に帰りがけに買ってきた発泡酒の入ったコンビニの袋と、ナツミさんにもらった駄菓子の入った紙袋を置いた。
靴を脱ぎ部屋に上がると部屋はビール臭と、部屋干しの服の匂いで臭かった。
私はずっとこんなところに居たのかと思った。
4畳半ほどのワンルームの天井には物干し用のロープが貼られていて、生乾きで干しっぱなしにしてしまったtシャツがかけてある。部屋の中央あたりの布団の脇には空き缶がピラミッドのように積まれている。ピラミッドの横にはピラミッドになれなかった空き缶と、空の駄菓子の袋が転がっている。
私は自分のだらしの無さにため息をつきながらゴミを整理した。
小さく狭い部屋なのにゴミ袋が見つからず、どこに置いたかと平積みされた私服をあさっていると何かに手が当たった。クリアファイルか何かのようだった。
「xx専門学校卒業証書」
と書いてある。
両親を押し切って卒業したパティシエの専門学校の卒業証書だった。
バインダーのようになっているそれを手に取ると、中から母の手紙やゴミ袋などがボロボロと落っこちた。
私は整理が下手だったので、平たいものは何でもここに突っ込んでいたようだ。
私は床からゴミ袋を取ると雑に空き缶と菓子袋を突っ込んだ。
それから少し考えてから卒業証書もゴミ袋に入れた。
「こんなもん結局何の役にも立たなかったよ」
私は玄関にゴミ袋を放り出して、代わりに置きっぱなしにしていた発泡酒と駄菓子を持って戻った。
「これを機にお前ともお別れだな」
私は宙に発泡酒を掲げて、自分に乾杯した。
そしてナツミさんからもらった駄菓子を開封していき、最後の晩酌を始めた。
二缶目を開けたあたりで、柿の種とうまい棒を食べ終えたので、チョコケーキに手をかけた。
「お前はどっちなんだ。」
チョコケーキの袋の端は切り取り用に山型に、切られていてパッケージは開けやすくなっている。チョコケーキの中央あたりを両手でそれに手をかけて、引き裂くように開くとチョコケーキはぴょんと飛びてて、床に転がった。
すぐに私はチョコケーキを拾ったが、表面に床の埃が少しついてしまった。
「家を飛び出したけど、埃まみれになっただけかな」
私はチョコケーキの表面を軽くはたくと、口にぽいと放り込んで、咀嚼しながら三缶目の発泡酒を開けて一気に流し込んだ。
「結局、中途半端な俺には菓子じゃない、駄菓子で充分てことか」
私は口いっぱいに広がる均質で凶暴すぎるが、一瞬で小腹を満たせるチョコケーキの味に口角が上がった。
そこにはパティスリーで食べたチョコのようなカカオのような香りはなく、実家の砂糖のようにほんのりと優しく包む甘さもなかった。
工場で大量生産されたそれは、20円の価値にふさわしい工業製品で、複雑な味わいは要求されていない。しかし、こうした寂しい心を埋めるのには一番にちょうどよく、もはや私にとってふさわしいと感じた。
「でもな、駄菓子にすらなれてないよ、俺。誰が俺の菓子なんか食いたいんだ」
私は全国流通し、子どものスターである駄菓子に自分を重ね合わせようとしたが、到底無理だった。まだデビューすらしていない私には価値すら与えられていないのだ。
それにきっとこの駄菓子のチョコケーキには元になるチョコケーキがあったはずだ。それを安価で色んな人に届けたいという想いがあったのだろう。
そんなことを酔った頭で考えながら私はまた、いつものように寝てしまった。

生活に必要な荷物を取って帰るとあっという間に父が退院する日になった。




東京から帰ってきたそのままの脚で実家に戻り、土間で靴をほどいていると
「おかえり」
と母が今から私に声をかけた。
そこには、かつての大福屋に相応しいでっぷりとした両親の姿なく、お互いに肌を寄せ合い、やっと支え合う朽木のような父母の姿があった。何度見ても目が慣れず、他人のように感じるが、二人の笑顔は昔の面影を残している。
父は私の方を見つめてただ黙っていた。
私はぎこちなく、それでいて必死の思いで口を開いた。
「父ちゃん、俺...東京であれこれと...」
言葉に詰まった。
「良いから、早く上がりなさい。」
母の優しさが私の決心をにぶらせた。
私は今ここで、重ねた嘘の数々を打ち明けるべきかどうか。迷いに迷った。
母の手招きを振り払い、私は口を開いた。
「俺、実は」
「ほら、靴脱いで」
私の必死の決意を察したのか勘のいい母が、病み上がりの父を気遣かってか私を居間へと促し私は根負けした。
自分の方が辛いはずなのに明るくふるまう両親に、私は安い虚栄心で固められた嘘で息が詰まりそうになった。
東京での挫折、それをごまかすために積み上げた嘘。私の心には、いくつもの虚飾が重くのしかかっていた。
「母ちゃん、父ちゃん、俺、正直に言わせてくれ」
タカシは無意識のうちに握った拳に力が入った。爪が手のひらを刻む。
「俺、東京でパティスリーを開けずにいた。全部ウソだった」
この重い告白の言葉から、私の心の奥底に染みついていた罪悪感の塊が染み出してくる。子供の頃から大福作りに磔された嫌な記憶。それでも、再認識した両親への愛を裏切ってはいけないと思っていた。
しかし、私は嘘をつき続けてしまった。今こそ真実を掃き出さなければならない。
「こんな息子で、ごめんね...」
私の目からはひとりでに涙があふれ出した。自分だけが楽になるためなのか、今まで胸に押し込めていた疚しさが感情の栓を一気に吹き飛ばした。
母親は驚きの表情を浮かべたが、父親の方は慈しむような穏やかな眼差しで私の後方を見つめていた。そして力なく手を伸ばし、私の手を優しく包み込んだ。
「分かっているよ。しかし、夢を諦めずにいたことが何よりも嬉しかった。誰にだって間違えることはある」
「違うんだ…俺はダガシ」
と言いかけたところで母がピンと伸ばした人差し指を口に当てた。
温かな父の掌の薄く脈打つぬくもりに、私の心は少しずつ浄化されていった。結局、私は夢半ば、駄菓子屋で管を巻いていることを白状出来なかった。
これまでの罪悪感と、希望が雑多に入り交じる。
父の優しさが胸に刺さる。これを抱いたまま大福屋を継ぐことがせめてもの罪滅ぼしだと思った
「さあ、早くこっち来てみんなで食事にしよう。今日はデザートにタカシの好きな大福ケーキもあるぞ」
それは大福がロスにならないように母が考案した大福アレンジメニューの一つだった。
大福と小麦粉と牛乳、バター、そして卵を潰して混ぜ合わせ、ベーキングパウダーで膨らませたそれは、パウンドケーキの見た目をしている。
少し熱を冷まして、切り分けたケーキを口に頬張ると、ほんのりと香る小豆の風味とバターの香りが和と絶妙に調和していて美味しい。
最初は向かいのパティスリーに憧れていたこともあり、地味だがケーキのスポンジのような味のそれは子どもの頃の私をとても喜ばせた。
しかし牛乳、卵やバターを組み合わせたその味は洋菓子に近く、あまり過度に喜ぶと和菓子に生涯を捧げてきた父を傷つけてしまうかもしれないと思い、自分からはねだらないようにしていた。
それでも両親は私がこのケーキを大福以上に気に入っていることを見抜いていて、特別な日に焼いてくれることがあった。
「大福ケーキ!楽しみだ」
私は咄嗟に口を隠したくなった。本心が口を滑って飛び出た。
「いや、大福があってこそというか!」
取り繕うほどにボロが出る。
「知ってるよ。そもそも洋菓子に憧れて家を出たじゃないか」
父は乾いて笑った。つられて母もふふと笑って
「修行してきたタカシに叶うか分からないけどね!」
と付け加えた。
私はろくな修行もしないで駄菓子屋で管巻いて帰ってきただけの自分の過去をほじくり返されてる気がして、ズキズキと胸が痛んだが、当然の報いだと受け入れた。

夕食が済むと、食卓には母と父の共同作品の大福ケーキが出てきた。
子どもの頃はその見た目の地味さにちょっと寂しさを感じたこともあったが、冷蔵庫から出てきた瞬間に広がる懐かしい香りが腹がいっぱいだったはずの胃にスペースを作った。
それから母は配膳台にケーキを乗せ、18cmほどのパウンドケーキ型から溢れようとする大福ケーキを机の中心に二つ並べた。
そのうちの一つを半分切り、大福ディスプレイ用の大皿にどしんと乗せ私の前に差し出した。
「お代わりもあるからね!」
とあの頃のように言うと自分たちの分は、残りの半分を薄くスライスして、小さな皿に取り分けた。
私は両親は本当に少食になってしまったのだと胸が張り裂けそうになった。とはいえ、その歳の人間にしては夕食も食べ、デザートも食べるのだから充分なのだろうか。
子どもの頃はこの巨大なケーキのうち一つは私が平らげて、残りは両親2人で食べていたのだ。時には勢い余って、父が追加で大福をこしらえたこともあった。
私は両親の食事量が減ったことを切なく思いながら、母の大福ケーキを口いっぱいに頬骨った。
(懐かしい)
あの頃は地味だと思っていた見た目と優しすぎる甘さが今ではちょうど良く感じられた。
それは元気で豪快だが、主張しすぎない母と、繊細で丁寧な父の大福の完璧な調和だった。
しかしその時、私に一つの考えが頭を浮かんだ。
「母ちゃん、一個だけいい?」
「いいよ!一個と言わず、ほら食べなさい」
母は半分に切った残りのケーキを私の皿によそおった。
「いや、違くないけど、違うんだ!」
母は困惑の表情を浮かべた。
「どうしたの?まだ切ってない大きい方が良かった?」
「それもちゃんと食べる!そうじゃなくて、俺に大福ケーキ、教えてくれないかな」
父はとっさに私の方を見た。
「大福、やるのか?」
大福ケーキを作るということは、大福がかかせないのだ。
「大福、やるよ。でもパティスリーもやる」
父は一瞬、口を一文字に固めた。
「この大福ケーキ、すごく美味いよ。お世辞抜きに。店でも出したい。でもね、そのままじゃこの店継いだことにならないと思うんだ」
父は沈黙している。母は私にケーキをよそおったままの姿勢で立っている。
「俺、東京に行ってやった事はカカオの皮剥きくらいなんだ。だからごめん、俺本当はプロのレベルで作れるものは碌にないんだ。
それに東京のパティスリーに行って修行してたけど、気になって浅草や亀戸、言問にも行った。なんだかんだ大福が気になったんだ。それで色んな大福食べて改めて思ったよ。やっぱり父ちゃんの大福は一流だったんだって気づいた。
それから和菓子の腕もパティシエの腕も磨かず、駄菓子屋でバイトしながらひたすら駄菓子を食べてた。そんな駄菓子のことも特徴も無い、無機質でつまらない工場の味だなとバカにしながら酒のつまみにしてた。
いつしか俺自身、バカにしてた駄菓子のようになってたんだよ。
でもね、駄菓子屋で思ったんだ。
チョコケーキって知ってる?
あれさ、あれに乗ってるのチョコじゃないけどケーキに乗るとチョコに感じるんだよ。
ケーキ生地もパウンドとは遠いしやっぱりそういう意味では駄目な菓子だ。
それなのに駄菓子屋で過ごしてるとわかったことがあったんだ。駄菓子のチョコケーキって、洋菓子じゃないけど和菓子だし、和菓子じゃないけど洋菓子で、駄菓子だ。
駄菓子である点で唯一無二なんだ。
そして俺は、伝統ある和菓子屋のだらしのない息子だ。
大福も洋菓子もどれも中途半端で、今から修行してもまだまだ大福の看板を名乗るには早いと思う。
それなら、一流の駄菓子を目指そうと思うんだ。
どうかな」
「駄菓子?」
父は怒りの表情を浮かべたが、何かを考えているようだった。母は呆気に取られている。
実は駄菓子屋でバイトしてたことの突然のカミングアウトや、駄菓子の発想、なにより私の奇妙な理屈。
アナログ時計の秒針の音が静かな室内に、カチカチと響いた。
ややあって、腕を組んでいた父が重たい口を開いた。
「駄菓子はダメだ」
私は当然だろうと思った。むしろ決して手はあげない父だったが殴られる覚悟さえあった。
「タカシ。やっぱりお前は賢いな。賢い子になるように名前に意味を込めただけのことはあった。
昔ながらの手を痛めてひたすらに技を磨くようなのはお前に合わない。
だから、タカシ。駄菓子じゃなくて、孝史(たかし)を作れ。お前自身の菓子を作るんだ。
そこに大福と母ちゃんのケーキが要るなら、俺たちは協力を惜しまない。」
今度は私が口を開いてしまった。側から見れば、目の前にケーキが置いてあるので、そのままケーキを突っ込めば口に収まってしまいそうだ。
「えっ、タカシ」
何を言ってるのだか分からない論争を始めた自分にも落ち度があったが、父もなかなか負けては居なかった。
つまり、認めてもらえたということなのだろうか。
「タカシを作るってのは、俺の考えた菓子を作れってことだよね?」
私は意味の確認をした。
「そうだ。大福は今まで通り俺が作る。だからタカシはお前が作るんだ」
父の提案はややこしかったが、私の考えた菓子の構想にすでにタカシという名前をつけたようだ。私と同じ名前なので混乱しやすい。
ひりついた空気が和むのを感じとった母がすかさず割って入った。
「良かったじゃないの、タカシ。これで思う存分、駄菓子?だか、チョコケーキ?作れるじゃない!」
そういうと、私の皿に追加で更に、まだ切ってない方のケーキを半分切ってからよそおうとして、私にまだ食べてないケーキを食べるように促した。
私は慌てて皿の上のケーキを口に押し込むと、ごくりと一呼吸に飲み込んだ。
腹いっぱいに広がる大福とパウンドケーキの風味が呼気に戻って、あの時に食べた小さな駄菓子の究極系に感じる。
これだ。
これの小さいものを作るんだ。
私はケーキの香りを感じながらポケットの中に手を入れて、カカオの殻をカラカラと転がした。
大福のように気軽に食べられて、それでいて深い満足度。
カカオを転がす手が止まった。
そういえばこのパウンドケーキには飲み込んだ後に、口の中に残る余韻がケーキの香りだけで唾液や口内に混ざる他の要素が少ない。
本物のチョコレートケーキのように品は無くて良い、しかしそれでいて駄菓子のように偽物の素材で作るのは私らしくなかった。
この疑問を解消できればパティスリーでひたすらカカオの殻だけを剥き続けた自分の目指す姿がある気がした。
あの日々を思い出してカカオの殻を握り潰そうとするが硬くて手の平の肉が柔らかく屈伸するだけだ。
母は空になった皿にケーキをよそおった。
「美味しいよ。ありがとう。
やっぱり母ちゃんのアイデアと父ちゃんの腰の据わった大福がないとこのケーキは完成しないよ」
私はぼんやりと見えてきたイメージを形にするまで、両親に大福ケーキの感想を伝えた。
そして
「駄菓子屋のチョコケーキが駄菓子なら、俺のはタカシだ」
と父に決意を伝えて盛られたケーキをフォークで切ってまた口に放り込んだ。
今度は飲み込まずにスポンジを口の中で潰してから、飲み込んだ。
父は、うんうんと頷いている。
母もケーキを頬張った私を見て嬉しそうにして、机の上の残りのケーキを更によそおうとする。
ちょっとペースが早いと思ったので私は手で制してから、言った。
「それの半分、半分ください。そして母ちゃん。父ちゃん。そしてケーキと、大福の作り方、教えてください」
私はなんだか頼み方が分からなくなり、奇妙な敬語で頼んだ。
いつの間にか先ほどまで痩せ細って元気のない老人のようだった父の目に活力と生命力がみなぎっていた。
「もちろんだ」
幸薄げだった母の頬にも赤みが戻りつつある。
「もう映画には出られないわね」
私が何か思いついたことを察して母が冗談を言う。試食する気まんまんだ。
「何言ってるんだ、母ちゃんは太っても美人だよ」
老齢の両親ののろけを突然に聞かされて、ちょっと目を背けたくなる。
そしてこの日を境に、私は新たな人生への途を切り開くことにした。
「俺自身が二人の作品だとして、この大福ケーキを俺が表現するとしたら、足りないものは俺らしさだ。
ここに、俺のチョコレートを足したらどうだろう。
大福のように気軽に頬張れて、母のアイデアのように優しい洋菓子。駄菓子のチョコケーキのように和風でなのに、どこか洋風。
しかし素材にはこだわる。
駄菓子のように偽物の素材で作るのは、大福屋の二代目としてふさわしくない。
口を通過する前に、チョコを口の中で溶かして、カカオの余韻を残す。」
私は一つの可能性が見えてきて、椅子から立ち上がった。
「そっか、ずっと口に出していた。駄菓子のように良いとこどりで、父ちゃんや母ちゃんのようにみんなから愛される。
和菓子の大福じゃなくて、洋菓子の大福。
洋菓子のケーキじゃなくて、和菓子のケーキ。
そして、大福屋で育ってパティシエを目指したから作れるタカシ。
つまり、駄菓子のチョコケーキじゃなくて、タカシのチョコケーキ。」
私は皿に残ったケーキをフォークで刺して、口に入れた。
このままでも品があって優しく美味い。
しかし私らしさが足りない。
もっと二人の味を感じるためには、私のチョコレートで口の中を満たしたいと思った。
完成形は違う形になるかもしれない。
それでも試したいと思った。
「父ちゃん、母ちゃん。この大福ケーキに俺の生チョコレートをコーティングしたい。
試食お願いね。
そして俺の大福チョコケーキで二人ともまた大福夫婦になろうな」
私はこれからたくさん試食をしてもらうのだと決め、母におかわりを要求した。
母はふふと笑った。
「タカシ、もう全部食べちゃってるわよ。作り方、教えてあげるから、父ちゃんと大福作っておいで」
父はすでに腕まくりをして、やる気まんまんだった。
「忙しくなるな、タカシ」
と気合いを入れた。
腕まくりした父のシャツの袖はすでに解けようとしている。

私は頷いて、父と厨房へ向かった。

厨房の外は暗くなっていて、長野に東京より早い秋の予感を漂わせている。
遠くで鈴虫が鳴き始めていた。

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