後厄・最悪・メランコリー
つまるところ、父親が深昏睡状態である。
ついでにいうと大変に申し訳ないのだけれど、自発呼吸ができていない。
なので、いま貴重な医療機器を使わせていただいている。
それが揺るぎないらしい事実らしく
わたしは先月から憂鬱。
本厄を母娘共々、乗り越えて”なんで、いま”とも思っている。
後厄は、もっとイージーに過ごせると思っていたのに。
母は10年以上連絡をとっていないのに(ほぼ離婚じゃない!)”こんな時だけ連絡が来て夫の治療費を請求されてしまい(実際には緊急搬送されました・ご家族に連絡を差し上げましたという内容)娘に迷惑をかけないように自分自身で高額の保険金をかけて1年後にしななくてはならないと本気で思った”らしい。
それは金銭面では助けられる気でいるのかも知れないが、だいぶ自分勝手な考えで暴走しがちであったりピンチな時にはスピリチュアルを過剰に信仰してしまいがちな母を、端的に表した言葉だったと思う。
連絡があった際、ひどく母は取り乱していたそうだ。
わたしに連絡する際は、ひどく言葉がつめたかったように感じる。
結果的には、自分の知識をフル活用し地域の福祉を頼り成年後見制度を20万円で弁護士に依頼をかけ父親本人の財産管理を請け負っていたく申請中である。20万円は保険金をかけなくても母がだしてくれた。
わたしは病院や弁護士事務所へ行く用事や架電業務があるものの一切のお金は払っていない。
ほぼ1年ぶりに家のパソコンを開いている。
緊急事態宣言がでており、家に居らざるを得ないからだ。
これはほぼ1年ぶり2回目。
同じ状況のひともいると思う。
そして単純な発想で思っていることでも久しぶりに書こうかいな、と
同じ道をたどっている。
で、たぶん思うことを書ききって数日でまたいなくなる。
わりと緊迫した感じはなく(家にいることも、父親の病状を案じることも)”読まれる工夫”を強いられるnoteの方がすこし窮屈で恐ろしかったりする。
あんまり読まれるための行動を起こす気になることを書かないからだ。
おもしろがって読むひとがいれば、それでいいし仕事でブログを担当してからは”いかに読まれるようにもっていくか”に重きを置き、内容を精査し公開するタイミングを狙っている。もう、それは誰も分かってないだろうけれど健気だと思う。
いま、それに行き詰って(勝手に自宅でこしらえてしまおう、としているので行き詰ったところでなんやけど)ここに来たので、もうすきにさせてくれたまえ。そんな感じ。芸能人のブログなんかも商業的なものより、そうでないものの方がたぶん、絶対的に魅力的であるけれど炎上してしまうんだろうな。
大変、芸能人て。
ここ1か月
わりとメランコリー状態なので、あんなに毎日のぞいていたTwitterをみたり投稿しなくなってしまった。文字て案外しんどいし、商業的なものでフォローを埋め尽くしているInstagramの方が案外こんな時には健全に映ってしまう不思議だ。自分は文章かくの、だいすきなくせに。
1年ほど前から、すきなひとのことをよりすきになってしまう。
あまやかしてくれているのに、ぶっきらぼうになってしまったり、どうしていいのか分からくなって黙ってしまったり何かと自分で自分をコントロールできていない。
関係性の結論を急がず、いまみたいに大切にしていてほしい。
いまの状態で安心できるひとを失うかそうでないか(彼は大人なので、気まずくなるようなことはしないだろうけど、わたしの喪失感の問題)を考えたり、結果的に泣いてしまうことがあったとしたら”自暴自棄がマシ”で”半分よりすこし生きた感じ”で踏みとどまっている、いまのわたしを自ら壊す行動まではとりたくないからだ。
いまの自分を保つためにはいまの程度の安心感を距離でいいのだ。
言ったことは絶対に守ってしまえるひとなので、いまよりも例え親しくなったとしても”大切にしてくれてていいのか”とか”あまえてしまっていいのか”など、うっかり口にしないようにしなくてはならないと思っている。
自分は顔を覗き込むくせに、いざこっちを向かれるとすぐに目をそらしてしまう。それを見て気を遣ってくれるし、そばにひっついていても嫌がらないところがすき。
ちょっと足裏の魚の目のようなもの(できたことがないので判断のしようがないがネットをみるとそう)が足裏を使わないせいで、ふやふやになってきた。しめしめ。でも薬を塗ってみようかと考えている。