風呂場が安心

風呂場で地震のゆれを感じたら、そのままいたほうがいい
みたいな曖昧な記憶の知識がある。

数年前
体調を考えず、遊び歩きまくり
旅行がてらに野外ライブへいき雨にふられ
職場の遠足(芋掘り)のあとにマイコプラズマ肺炎になり
入院治療した。

たぶん風邪をこじらせたのだと思う。
"湯船で体をあたためる"のが何事にもいい、と
きき真夏以外は湯船で過ごす時間をとるようになった。

よく、本を読みながら過ごし(図書館の本)
湯の温度がさめきるほどまで、つかっている。
出るタイミングが、つかめん。
なんとなく、あたたかい湯を流すのは罪深い。

肺炎になった年齢は、母が"肺炎ぽくなった"時期と
ほぼ同じで、祖父(母方の)も同じだったらしい。
そして3人とも出っ歯だ。
インスタグラムでみた、子ども養育漫画で
"下唇を上の歯に巻き込む癖がある"とそうなりやすいらしい。
くせも似ているのかもしれない。

わたしは感情がもれちゃうな、てときに
よくしているかもしれない。
なので、いまでも歯が出つづける行為をしている。

きゅ、と口をむすぶ時は我慢だったり
かなしかったりするときで
何かに折り合いをつける努力をしている気がする。
いまは、どきどきしてしまって
などのポジティブな気持ちを隠すときにもする。
だって恥ずかしいもの。

すきなひとができると、途端に安堵したり
るんるんする。
占いも結婚を勧めるはずだ。
そらゃあそうだ!と思うほど
わたしは、ひとりきりではふらふらしすぎる。

いまのすきなひとは付き合ってはいないが
なんかしらロマンチックをくれるひとだ。
タイミングよく
わたしの不安の種をほじくりかえして取ったり
不安じゃないものへ変えたり
わたしのジョハリの窓を手際よく換気がてらナチュラルに開けていってしまう。不用心にならない程度に。

それが、うれしかったり
こじつけかも知れないし"職場のひと"の域を
出ていないのかもしれないが
ものすごく、心地がいい。
いちいち心がこもっていたり、思いやりが
もて余さない程度の質量で伝わる。

本人は、わりとシャイで恥ずかしがるし
感情表出をフラットにしているけれど
きちんと側にいてくれる感じのひとだ。
ちいさな約束でも、軽くいった気持ちも汲み取って
守ってくれる。

1日の終わりの風呂場で、差し出してくれる
さりげない思いやりにあまえて泣くことがある。
うれしいのと、失くす可能性について考えると
泣いてしまうのかも知れないし、探るまでの
理由を必要としていないので深くは考えていない。
風呂場は、すぐに水を"然るところへ処理できる場"
なので安心できる。涙だって、すぐ川へと放出される。

クエン酸スプレーを購入し
スポンジでなでつけるだけで
終わらせていた掃除を本格的にした。
めっちゃ汚くて怯えた。