石川医報(令和4年正月号)の元:削って短くする前の原稿 :-)
はじめに
私が、体の異常を自覚したのは、平成27年10月5日のことでした。夕食後に右の背部に急に強い鈍痛があり、鎮痛解熱薬を服用してとりあえず収まりました。翌日、自院で胸部写真を撮影したところ右肺野に大きな腫瘤を見て、腰が抜けたことを覚えています。
その日のうちに、同級生の済生会金沢病院呼吸器内科(現・金沢春日ケアセンター)の小川晴彦先生に診ていただき、種々検査を進めながら外科(現・福岡大学医学部呼吸器外科)の早稲田龍一先生に主治医を交代して、同年12月28日に病理診断を目的にした胸腔鏡手術をしていただきました。結局、胸腔内に見えている壁側胸膜の腫瘤をすべて切除していただきまして、病理診断では腺癌、原発は不明だがおそらく肺(としても臨床病期はM1c/IVB)ではないかということで、引き続き、放射線治療や化学療法を早稲田先生にお願いいたしました。
原発不明癌の5年生存率は5%未満、ということで、平成28年1月から診療所の売却先を探し始め、平成30年に齋藤雅俊先生とめぐり逢い、平成31年4月30日をもって中村医院は閉院、さいとう家族のクリニックへの承継を果たすことができました。
そして、令和元年5月1日から、妻と子供たちと残された人生への旅が始まりました。
旅のはじめ
5月3日から縄文杉に会いに義兄弟と屋久島へ。
6月21日に妻が大ファンの槇原敬之のコンサートへ。
7月6日に妻の同級生が局長に赴任したNHK金沢放送局の新しい局舎の見学ご招待に随伴。
7月10日から立山黒部アルペンルートへ。
7月26日からサンフランシスコマラソン出場とグランドキャニオン観光のためにアメリカへ。
9月14日に仁徳天皇陵を見物に大阪へ。
9月30日に山下達郎のコンサートへ。
10月9日から関西電力黒部ルートで黒部第4発電所の見学へ。
10月11日から日本血液学会のため東京へ。
10月27日に4回目の金沢マラソン出場と完走。
12月6日からホノルルマラソン出場のためにハワイへ。
…と、旅行やらコンサートやらの楽しい8ヶ月をおくりました。
新型コロナ
新型コロナについて「これは非常にまずいんじゃないの?」という話を諸先生と初めて真剣に話したのは、令和2年1月28日の金沢市医師会西1区総会の時だったように思います。私は、以前のSARSとの類似性から、飛沫感染・糞口感染の可能性を話していたのを覚えています。
友人との宴会の記録は2月20日の柿木畠「いたる」まで、ライブの記録が2月23日の「ポセイドン石川@もっきりや」まで残っています。日本でも患者さんが出始めて、このあとの予定表カレンダーは定期的な外来通院や入院の記録しか残っていません。
数々の旅行の予定が中止になってしまいました。
令和2年2月に上海蟹を食べる上海・蘇州ツアーは1週間前に中止決定。
4月5日のグアムマラソン出場のための個人旅行は、航空券も宿もお気に入りのところをがっちりおさえましたが中止。9月に延期されましたが、やはり中止になりオンラインマラソンになりました。
6月21日に台湾沖で皆既日食を観るための「ダイアモンドプリンセス号で行く」クルーズ船ツアーは当然のごとく中止。
オリンピックの聖火ランナーに応募していましたが選ばれなかったので、7月終わりにサンフランシスコマラソンかロサンゼルスマラソンに行こうかとしましたが断念。
10月の金沢マラソンも中止でオンラインマラソンに。
12月のホノルルマラソンも中止。
令和3年4月に能登鹿島の駅で花見をしながらお弁当を食べてたらNHK「ドキュメント72時間」の取材を受けたのはご愛嬌でしたが…。
世界中どこへ行ってもコロナの影響があるので、つらいのは私たちだけではないし、我慢してるのは世界中一緒なんだからしょうがないよね、と、理性では理解してるんですが、感情がついていかないからなんとなく心が重い日々が続いてました。
公衆衛生・予防接種のお手伝い
しょうがないから、SNSやら、ニュース、役所の広報などから自分目線で大切そうな情報をSNS(Facebook)に投稿することにしました。もともと血液内科で感染症臨床はそれなりに自分のものにしていた(ひどい自惚れ)ので、デマを排除して、政治的・思想的なバイアスを排除して、自分や大切な人の身を守ることが肝要と情報の発信をしてきました。
令和3年に入って、ワクチン接種が開始され、金沢市医師会と石川県を通してワクチン接種のお手伝いを始めました。友人の伝手で老健施設や職域接種のお手伝いもさせていただきました。治療を受けながらでも時間の制約が少なく接種会場に行きやすいフリーターとしてたくさん使っていただきました。会場ごとの報酬の多寡は関係なく、スケジュール帳が空いていて移動時間が確保できれば、ほぼ出向させていただいたと思います。
もうこれは、早くコロナを収めて、女房と旅行に行きたい、気兼ねなく観光したい、できれば海外旅行にも行きたい、の一心であります。
ということで
原病は初発から時間が経過して、お薬の効果も今一つになってきて、そこら中に病変がぽんぽんと出現してきているのを浅ノ川総合病院のノバリスで焼いていただく「モグラ叩き」になっている状況ではあります。しかし、なんとか令和3年10月の金沢マラソン完走(完歩)を果たし、同日に小学校から高校までの同級生が衆議院議員選挙に当選したとの吉報を聞きました。めでたい娑婆を喜びながら、QOLを保って、令和4年の始めを年男として笑って過ごせるといいな、コロナが収まって旅行に行けるといいな、と、今はそんなふうに考えています。
沈痛解熱薬を鎮痛解熱薬に直しました(^_^;; (2022/03/19)