ブルーノ・カタラのデザイン技法
『傭兵隊長』『あやつり人形』『キャメロットを覆う影』『これは何?』(Was'n das?)『キャッシュ&ガンズ』『カーゴ・ノワール』『世界の七不思議』『ディクシット』『ファブラ』……ここに挙げたゲームの共通点がわかるでしょうか?
答えは出自。いずれもフランスのデザイナーの手によるものです。
『世界の七不思議』に続く『ディクシット』のドイツゲーム大賞受賞以来、フランス流派は第三の流派としての地盤を固めました。“美的”、“物語的”、“感性指向”、さまざまな特性を指摘される一方で、そのデザイン流儀はいまだ詳らかにされていません。そこでデザイナー勢の言説を拾い集めてその片鱗を訪ねていこうという趣旨です。
そういうわけで、今回の翻訳記事は“Opinionated Gamers”(「ゲーマー直言居士」くらいの意)アンドレア・リガブエ氏による、ブルーノ・カタラ氏のインタビューです。原文はこちらです。公開を許諾してくださったデール・ユウ氏とアンドレア・リガブエ氏にこの場を借りてお礼申し上げます。
なお、この記事に興味を持った人は“Mechanics & Meeples”のこの記事もおすすめ。ブルーノ・カタラ氏とセルジュ・ラジェ氏との合同インタビューで『キャメロット』カードゲームをはじめとする協力型ゲーム全般を話題にしています。
前書きが長くなりました。以下、本文です。
デザインの技法:ゲームデザイナーインタビュー第8回——ブルーノ・カタラ
(2011年6月28日投稿 アンドレア・“リガ”・リガブエ)
本日は、いわゆる“フランス流派”における最も著名なデザイナーの一人であります、ブルーノ・カタラ氏のインタビューをお送りします。ブルーノ氏といえば『キャメロットを覆う影』と『ミスター・ジャック』ですが、歴代の作品にはまだまだ優れたデザインがたくさんあります。このインタビューではいつものようにブルーノのスタイルそしてサインに重点をおきました。ブルーノ氏のデザインに対するアプローチ方法を耳にした際は興味をそそられます。いわく「私が自分に課しているルールはただ一つ、自分がプレイしたいと思えるゲームをデザインすることだ」またチーム作業について語る中で、彼は私たちにこう告げます「創ることは疑うこと。そしてその疑いを仲間と分け合うことで、自宅で独り疑っているよりも安らかでいられる」たいへん興味深い視点です。インタビューの核心部分に触れますのは、まさしく彼のデザインすべてに共通する特徴である「プレイヤーは小さく、それでいて決定的な選択に対峙しなければならない」という主張。……ではそろそろインタビューに入りましょう。
——こんにちは、ブルーノさん、あなたにインタビューできて光栄です。“Opinionated Gamers”のサイトへようこそ。今回はゲームデザインが本の執筆や映画撮影と変わらぬ芸術の一形態であるという考えのもとに、あなたの作品を振り返りながら、ブルーノ・カタラ・スタイルを見つけ出したいと思います。BGGの記載が正しければ、あなたは2002年のデビューからゲームと拡張を合わせて40を超える作品をデザインされています〔訳注: http://boardgamegeek.com/boardgamedesigner/1727/bruno-cathala 2014年5月現在すでに70を超えている〕。10年に満たないキャリアで実にめざましい数字です。あなたの出世作といえば『キャメロットを覆う影』と『ミスター・ジャック』だと思いますが、ご自身の作品中、特に自信があるものはありますか?〔訳注:『キャメロットを覆う影』はアーサー王伝説を下敷きにした協力ゲーム。『指輪物語』を開祖とする大人向け協力ゲームに“裏切り者”の概念を導入したことで名を馳せている。『ミスター・ジャック』は二人用推理ゲーム。プレイヤーは探偵側と容疑者側に分かれて、切り裂きジャックの正体を巡り争う。情報戦に特化した『スコットランドヤード』のようなゲーム〕
私は本当に幸運な男だ……いや本当に信じられないよ、そんなに何度も出版されていたなんて。これからもこうありたいね。
君の言う通り、私の作品の中で一番よく知られているものは『キャメロットを覆う影』と『ミスター・ジャック』だろう。
けれど私は『キクラデス』も『ダイスタウン』も『ジャマイカ』も『家紋』も自信作だと考えている。
(最後のはたぶん私のゲームの中で一番知名度が低いけど、今なら AppStore に並んでるよ)〔訳注:すでに販売終了している模様〕
いまでも週に何度かプレイしていて、飽きることがない。もうゲームデザインについて考えることはなく、いちプレイヤーとしてね。これらは私が遊びたいと思うゲームそのものなんだ。
最後に一つ、本当に自信のあるゲームを挙げるなら、処女作の『ローレス』どこかで再版してもらえないものかなあ!
——多くのデザイナーがそうですが、あなたも一つのゲームだけを選び抜くのが苦手な質ですね! 普段どのようにゲームをデザインしているのか教えてもらえますか? アイディアはどこから来ますか? 時間はどれくらいかかりますか?
私が自分に課しているルールはただ一つ、自分がプレイしたいと思えるゲームをデザインすることだ。
次に出発地点についてだが、3つの状況がある。
• テーマ、つまり語りたい物語から始めて、次にそれに従うメカニクスを見つけようとする状況。
• メカニズムから始める状況。この場合、最初のアイディアは“数学”寄りのものになる。次にどのような物語ならばこの種のメカニズムと結びつくのかを考える。
• コンポーネントから始める状況。例えば燐光性のカードを使うゲームを作ろうという具合だ。
前にも私の友人で仕事仲間のブルーノ・フェイドゥッティ、セルジュ・ラジェ、アントワーヌ・ボザ、ルドヴィク・モブランと一緒に、私たちの作ったゲームの最初の火花の発生源を説明しようとしたことがあった。
http://www.auteursdejeux.com/10/page45.html(フランス語だ。すまない)〔訳注:リンク切れです〕
私の場合、最初のアイディアが生まれるのはテーマが半分、メカニズムが半分。
それからどれくらいの時間が掛かるかというと……
ゲーム次第としかいえないな!
例えば、『キャメロットを覆う影』それに『キクラデス』なんかは長くて……ぴったり今のバランスにたどり着くのに何年も掛かった。
もっとずっと短いのもあって、例えば『MOW(モウ)』なんて5分で作った。
けれどこういうのは極端な場合だ。ふつうは、まずそのアイディアがものになりそうかを判断するのにせいぜい1,2回のテスト用セッション、それから最終調整が済むまで6〜12ヶ月ほど掛かっているかな。
〔訳注:『キクラデス』は古代の島のギリシアを舞台にした建築ゲーム。海戦あり、神の加護を賭けた競りあり、特殊能力をもった化け物ありのリッチなゲームで、コンポーネントの意匠も細かい。『MOW』は数字の大小に従って手札からカードを出してゆく配置ゲーム。一部のカードにマイナスのスコアがついており、カードを出せなくなったプレイヤーがまとめて引き取る。「6」のつく某ゲームに似ているとかなんとか……〕
——あなたはたくさんのゲームを他のデザイナーといっしょにデザインしています。チームでの制作が好きなのかどうか、またそれはなぜなのかを教えていただけますか?
好きに決まってるじゃないか! でなきゃ、そんなにたくさんのゲームを作っていないよ ;-)
そう思う理由はいくつもある。
創るということは疑うということだ。その疑いを仲間と分け合えば、家で独り疑っているよりも安らかでいられる。
それにゲームが成功した後には、その成功を友と分かち合えば、家で独りで嬉しがるよりも大きな喜びが得られる。
チーム作業を別の視点で見るなら、ブレーン・ストーミングということになる。
自分以外のゲームデザイナーといっしょにアイディアに立ち向かうことで頭が揺さぶられ〔訳注:“shake one's head”というフレーズには否定の含意がある〕、それまで別々にいた二人のどちらにも新たなアイディアが到来する。
だがこのやり方にはいくつか制約がある。よその方向性に参入する際には自分のアイディアをいくつかあきらめることを容認しなければいけない!
——「創ることは疑うということだ」という主張、実に気に入りました。たいへん興味深い視点です。残るインタビューに進む前に、また組みたいと思うデザイナーがいるのかとその理由を聞かせていただきたいと思います。それから、“チームデザイン”においてなにか特別得意な事柄はあるのかを(例えば“発端のアイディア”、“テーマに取り組むこと”、などなど)。
率直に言って、毎回だ。どのパートナーも(ゲームごとに違って、ブルーノ・フェイドゥッティ、セルジュ・ラジェ、ルドヴィク・モブラン、アントワーヌ・ボザ、セバスチャン・ポーション、マルコム・ブラフ)組んでいて本当に楽しいし……毎回違う体験ができる!
どんな二人組(ゲームワークス〔訳注:スイスの出版社〕のチームと組む場合は三人組)ともそれぞれのやり方が出来ている。そのパートナーシップ全てに私が持ち込んだものがある。色々な関係性の全てに対して、どれが私の主な持ち込み分だと言うのは難しい。ただこれは言っておくべきだろう。私はゲームの仕事をする前から、材料科学の研究開発部門で(それまでなかったタングステン合金を発明したり製造したりする)仕事を18年間続けている。そして……ゲームを生み出すのに要するのはそれとまったく同じ方法論だ。つまり、私の脳は科学的研究開発の生活でフォーマットされている。研究開発チームの仕事における経験と方法論は私の強みの一つだろう。私は、一見答えのない問題に対しても答えを見つけ出せるよう訓練されている。考え方を変えたり、最良の調整に向かって収束するような実験計画を用いたり、他にも……それは君が訊くべきだな!!! この対話にそうした視点が入れば面白くなると思う……〔訳注:こちらの記事(2009年)によると2004年以降はフルタイムでゲームデザインをしているようです〕
——それがよさそうです。それでは、デザインの技法の深みに入っていきましょう。あなたのデザインに共通点といえるものはありますか?
私の立場では難しいな……それに答えるには私よりも君の方が適任だと思う。
私に説明できるのは、ただほとんどのゲームにおいて私が生み出したいと思っていることだけだ。
私は、プレイヤーが小さく、それでいて決定的な選択に対峙しなければいけない、そんな状況をたくさん生みだそうとしている。そのための“装置”は“一善一悪”‥‥どういうことかというと、もしプレイヤーが自分にとって本当に得になる選択をした場合、必ず別の側面で弱点ができるようにしている。その逆も然りだ。
私は全プレイヤーが知っている情報と、それ以外の隠蔽された情報の最適なバランスを見つけるよう努めている。私が作りたいのは、戦略的・戦術的判断を行うには十分な情報が開示されていながらも、未知の情報のために驚き、はったり、リスク管理が発生する、そんなゲームだ。
それから、可能ならばいつでも、メカニズムがテーマと結びつく位置が最大限近くなるようにしたい。私のゲームについて考えるプレイヤーがこれがそうだとはっきり指摘できるかはわからないけれど、そうしようと努力しているんだ!
——もちろんあなたがテーマを大半のフランスのデザイナーに劣らず重要視していることは伝わっています。先ほどあなたは、テーマはそれから始めることもあれば後になって現れることもあり、それでもデザインの最後には常にいくらか重視しているとおっしゃっていました。そこで伺いたいのですが、ゲームをデザインする中、その統合を探る過程において、ルールを可能な限り単純であるようにしますか? それとも完璧さと引き替えに、設定のらしさを出すために小さなルールを足そうとしますか?
2002年の処女作からこの方、私の作品には進化の跡が窺える。“新米”のデザイナーの頃は、まるで自分自身と全世界に対して証明すべき何かを抱えているかのようだった‥‥その結果、おそらく初期のゲームには必要以上に多くのものが押し込められている(これは新規のデザイナー全員に共通する既定事項だと思う‥‥もっと高い確率で、2つか3つの互いに異なる面白いゲームがその最初のデザインの中に見つけられるはずだ)。
今では私は常にルールを可能なかぎり単純なままにするようにしている。そうでないときは、贅沢さと単純さのほどよいバランスの見極めがいっそう精確であるようにする。(私の意見では、平坦なゲームになる場合を除き、単純さは善である)
そこで『キクラデス』のような“巨大な”ゲームとなると、ちょうどよい按排にたどり着くまでにルドヴィクと私は2年以上も掛かった。初期段階の作品でも出版してくれる所は間違いなく見つかったはずで、その時は今よりずっとたくさんの小さなルールがあった。だが私はここに力を尽くしていてよかったと思っている。それこそがこのゲームの成功の一因であるという大きな確信があるのでね。
——“贅沢さと単純さのほどよいバランス”に興味があります。これはいわゆる“ドイツ・スタイル”とは一線を隔すものです。実際、あなたと仕事をするフランスのデザイナーたちには、ある種“流派”といえるような、共通のなにかがある。我々は次々に浮かぶ案の中で、作品の美術的な部分だけを一番に置いてしまいがちですが、“ちょうどよい按排の探索”や狂いのない調整もまた、最後の一筆や最後の一彫りに近いものに思います。その点についてどうお考えですか?
贅沢さと単純さのよい按排はよいゲームの十分条件だが、それだけでは私がプレイしたいと思えるゲームにはならない。さらに3つ、非常に大切なことがある。
1. テーマとメカニクスの凝集性:自分が海賊になったり、カウボーイになったと感じられることが私には大事なんだ、卓上で一番の数学の専門家ではなくてね。
2. インタラクション:間接的なインタラクションしかないようなゲームはあまり好きじゃない。自分の分のボードしか見ずにプレイするようなやつだ。なかには本当に出来のいいものもあるけれど、私には何かが欠けているように思える。直接的なものの方が私の好みだ。
3. 美術:これが肝心なんだよ。プレイヤーを物語に飛び込ませてくれるからね。
私が思うに、以上の点はフランス語圏(ここにスイス、ベルギー、ケベックも含めたい)のデザイナーと出版社が極めて大事にしているものだ。たぶん、この大域的な按排こそ君が“フランス・スタイル”と呼んでいるものだろう。
——ええ、インタラクションと美術の全部に及ぶこだわりは、まさにフランス語圏のデザイナーと出版社に共通する特徴であると、我々が尊大にも“フランス・スタイル”と呼ぶ何かだと、本当にそう思います。
ところでたいていの芸術家は師を持つものですが、誰かブルーノ・カタラにとって師と呼べる人はいますか? ゲームをデザインする技法について多くを教わった人物は?
そうだな‥‥アレックス・ランドルフだろう。彼の仕事は計り知れない。それとたぶん、コンポーネントデザインの重要性を心得ていたゲームデザイナーは彼が史上初だ。活用したのもね!!
それからリチャード・ガーフィールドを称えないわけにはいかないな。『マジック・ザ・ギャザリング』がモダンゲームにもたらした衝撃はえらいものだよ!
2つだけ例を挙げよう。
『ミスター・ジャック』と『世界の七不思議』、両作の共通点がわかるかな?
どちらも『M:tG』のドラフトシステムを土台にしている!
『ミスター・ジャック』において各ラウンドでプレイヤーがプレイするキャラクターを選択する方法は、一方のプレイヤーだけが所有する『マジック』のカードを分配するのに使われるドラフトのやり方だ〔訳注:『ミスター・ジャック』では公開済みのラインナップから交互に一枚ずつ選択して使用する。全8枚のカードが偶数ターンと奇数ターンで半分ずつ用いられ、先手は交互に回る。ロチェスター・ドラフトに近い〕。
『世界の七不思議』のドラフトシステムはブースター・ドラフト競技そのままだ〔訳注:ブースター・ドラフトでは、各プレイヤーが始めに同数ずつのカードパックを持ち、以降、一枚選んで抜いては残りを隣に回すことを繰り返すことで各自のデッキ/手札を組み上げる〕。
私たちがこれらのシステムを使って作り上げたものはまったくの別物だが、影響は明白だ。
探せば他にもいくつもの例がモダンゲームの多くに見つかるだろう。
だからリチャード、もし君がこの記事を読んでいたら、君の仕事とモダンゲームにおける新たな領域につながる扉を開けてくれたことに、ただありがとうと言いたい。
——なんと! ランドルフとガーフィールドの二人とは! 驚きです! ふつうリチャード・ガーフィールドといえば『マジック』で世界的に知られていますが、私は『ロボラリー』の大ファンなんです。こちらも数多くのゲームに影響を与えた巧妙なデザインです。それでは他人の作ったゲームの中で、ぜひ自分が作ってみたかったと思うものはありますか?
あるある!!!!!! 『ハイパーロボット』!!!〔訳注:『ハイパーロボット』は2次元のマス目で表現された図面の上でロボットを目的地に移動させる最短ステップの命令を探し出すゲーム——正確には競技パズルである。作者はアレックス・ランドルフ。一方『ロボラリー』は道具立てこそ似ているが、それぞれのプレイヤーが自分のロボットに命令を送るレースゲームで、ロボット同士の衝突が生み出すカオスが醍醐味〕
——私は『ロボラリー』が好きなんですが、どうしてまたそれほど『ハイパーロボット』がお好きなのでしょう? 私が思うに、先ほどおっしゃっていたよいゲームに必要な特質(美術、インタラクション、テーマとメカニクスの凝集性)からは大分かけ離れているのでは?
まったくその通りだよ!! 私のリストに合うのは一つ、“インタラクション”だけだ(プレイヤーが一斉にプレイする全てのゲームと同じように)。でも『ハイパーロボット』は、なんていうか特別なんだ。それが本当にゲームといっていいのか……分からないのだけれど、私の中ではあれはもっと“解の探索”とか“方程式の求解”に近いものなんだ。そう、チェスの駒の模範手で、「あと3手でチェックメイトさせるには?」という類いの〔訳注:原文には round とあるが move の意と採った〕。
私にとって、数学と方程式の求解は、ゲームなんだ、学生の頃から、ずっと。『ハイパーロボット』をプレイすると、それとまったく同じ感覚になるんだよ。私は競技者でもあるから、誰よりも先に答えを探し出すのは、私の望むところでもある。
その上、『ハイパーロボット』には美的な様相まである。私が言いたいのは、つまりたいていの場合、一つの状況に対してはいくつもの解決策が存在するのだけれど、そのうちある場合には、多くの解は“凡庸”で、残りのいくつかはもっと玄妙ということがあって、私はこの種の“美”、数学の問題などより同等の……もう一度頼む。
その……私は本当にこのゲームが好きなんだ……けれど君もわかっているだろう? 私が好きだと言うまさにその理由で、たくさんの人がこのゲームを嫌いだと言う!!
だから今じゃ、このゲームの王冠にどれだけ世間の賛同が得られるものか、確信はないねえ。
——ゲームをプレイすることはよいゲームデザイナーになるのに大切なことだと思いますか? あなたは普段からたくさんのゲームをプレイし、新作の知識を日々更新していますか?
モダンゲームについて何も知らない人がゲームデザイナーになるのは無理だと思うよ。市場で主流のゲームについて最低限の知識がないと。だからって全部のゲームを知る必要はないけど!
私はといえば、新作を全部プレイする時間はないので、ほんの数作だけだ。
私は自分のプレイ時間を自分自身(と友人たち)のプロトタイプに取り組むのに充てている。
時々は一つ新作をプレイするために時間を取ることもある……誰かがルールを説明してくれさえすれば!!
(私はいつもルールを教えるばかりで、たまにある、ただ聞くだけの人でいる時間が心地良いんだ‥‥)
とはいえ、市場の動向は常に把握するようにしているよ。毎日仕事始めにはフランスにおけるボードゲーム専門の二大ウェブサイトを読んでいる(Trictrac と jeuxsurunplateau)〔訳注:それぞれ http://www.trictrac.net/ と http://www.jeuxsurunplateau.com/ のこと。なお“Jeux sur un Plateau”は2012年に惜しまれつつ閉鎖された〕。
そこに詳しい報告があれば、流行を把握したりそれが本当に面白いかを評価したりするのに実際のプレイをせずにすむからね。
——ゲームの記事を読むのは、すべてのゲームをプレイする時間のないあなたにとって(実際には誰しも悩んでいる事柄ですが)本当に大事だと思います。さて、これまでの全員に尋ねていることなのですが……ブルーノ・カタラを自身の3つのゲームで表現すると、どうなりますか? 理由も教えてください。
ううん……すぐには答えられない……
こうかな……
『キャメロットを覆う影』は内なる裏切り者の私、
『トニー&ティーノ』はマフィアの私、
『セベク』は宗教的に堕落した私——
そうさ、みんな知ってる、私はワルなんだ!
——インタビューを締めくくる前に、最後の質問をさせてください。ウォルフガング・クラマーがインタビュー中に尋ねるようおっしゃった〔訳注:このシリーズの第7回〕ことなのですが……あなたはなぜゲームをデザインするのですか?
ふうむ……実にいい質問だ。一言二言では答えられないよ!
私がゲームをデザインせずにいられない、主な理由は3つだ。
1- 退屈ゆえに……
私は子どもの頃からしょっちゅう退屈を感じていた。たまらなかった。独りでいるときはもちろん、友達や家族と連れ立っているときも。学校に通い、やがて就職してもそれは変わらなかった。憶えている限りでは、こうなるまいといつも自分だけの物語を創っていた。それらの物語では、私はよく現実にはいそうにない(ツキもない)ヒーローになったり、一人の中立的な観客になったりしていた。この自動退屈能力が今になって、ゲームを通じて世界中のプレイヤーと分かち合う物語を創る助けになっている。
2- 臆病さ/愛されたいがゆえに
私はかつての私のような子どもが、いまの私のような大人が好きだ。けれど私はいつだって自分が愛されるに足るものか疑ってやまない。この疑心によって自身を公衆に晒さずにはおけなくなったと言える。喜劇役者として劇場に立ったとき、あるいは自分のゲームが発売されたとき、見ず知らずの人々から返ってくるたくさんの声が、私にはとても大事なんだ。劇場にいる観客の反応も、その種のウェブサイトにおけるゲーマーのコメントも。加えて私という男はひどく臆病なものだから、接触する気のない人々と出会い対話するには、ゲームを制作するほかによい方法がないというわけだ。
3- 死の恐怖ゆえに
人生が仮住まいだと認めることが、私にはどうも我慢ならない〔訳注:新訳聖書、ペトロの手紙一2章11節への言及か。判然とせず〕。それについて考えない日は一日だってない。創造とは私にとって、命を続ける何かを自分に残すことを試みるための手段だ。馬鹿げたことだってわかってる。しょせんは束の間だとね。それでも、自分が死んで数年、人々がまだ私のゲームを楽しんでいる光景を、そして数世代が過ぎて子孫たちが見たことのない曾祖父の人生の糸口に触れている事態を想像すると、いくらかの慰めにはなる! それにね‥‥自分自身に対してゲームのルールを作ってやれば‥‥人生というゲームに押しつけられたルールも拒めるというものだ!
つまるところ、ゲーム制作は私にとってただ成功を手にした趣味というだけではなく、生き方なんだ。それは恐怖や他者との触れあいへの欲求への答えと結びついている。単純に言えば、愛されたいという欲求への答えだ。
——最後に。“ゲーム芸術家”という険しい道を行こうとする若いデザイナーたちに何か伝えておきたいことはありますか?
ううん……私は、みなそれぞれ自分の道を見つけるべきだと思ってる。だけど、たった一つ、本当に大切なことは、私が思うに、自分の本当によいと思えるものを作ること、そして誰かの唱える、客の望むものを作ろうとしないこと。
本日はありがとうございました。よいゲームを。
リガ
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