12/23 プログラム・ノート(全曲)
分けて投稿していました12月23日リサイタルのプログラム・ノートですが、まとめてひとつでも投稿します。バラバラの機会に書いたものだったため、こちらの投稿では加筆、短縮、推敲などしてあり、個別投稿とは別内容になっております。
プログラム・ノート
デュカス : ヴィラネル
ディズニー映画「ファンタジア」でも有名な交響詩「魔法使いの弟子」など、わずか数曲のみを残し、納得のいかない多くの作品を晩年すべて破棄した、という完璧主義者ポール・デュカス(1865-1935)の、現存する唯一の室内楽作品。このヴィラネルは、ボザ、ビュッセルなど他のフランス人作曲家による多くの小品と同じく、パリ音楽院の試験課題曲として作曲され、今日でもコンクールの定番課題ですが、他と一線を画すのは、曲の一部分にのみナチュラルホルン奏法を要求している点です(現在では、その部分もヴァルヴを使用して演奏されることの方が多いです)。19世紀前半、フランスは、ドープラ、ギャレイら名手の輩出でホルン演奏技術の向上を先導し、その中心たるパリ音楽院では、オーケストラの現場でヴァルヴホルンが普及した後もなお、誇り高くナチュラルホルンのみが専攻楽器として教えられていましたが、1897 年から1903年まで、ようやく開設されたヴァルヴホルンのクラスと併存、その後ヴァルヴホルンに一本化されながらも、伝統的なハンドストッピングのテクニックも教えられ続ける、という過渡期の状況でした。1906年の試験曲、このヴィラネル(「田園詩」の意)の序奏とその再現部分には上記の事情から「ピストンを使わず」という指示が残っており、音楽史的にも重要な転換点を今に伝えています。
ツェルニー : アンダンテとポラッカ
カール・ツェルニー(ドイツ語での発音はチェルニーに近い。1791-1857)と言えばまずピアノの練習曲を連想する方も多いですが、ベートーヴェンの弟子にしてリストの師、チェコ系として生まれ育ったウィーン楽壇の主要人物であり、66年の生涯に1000曲以上の作品を残した王道の大家でした。ピアニストとしては、神童との評価を得、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番の初演に抜擢されもしたものの、作曲や指導で多忙になって以降は表舞台に立つことは殆どなかったと言います。
ホルンとピアノのためのアンダンテとポラッカは、作品番号が付されないまま遺作となり、出版は何と1973年になってからでした。ポーランド由来の舞曲、ポラッカ=ポロネーズと言えば無論ショパンの十八番で、序奏の付いたものとしては、チェロとピアノのための 序奏と華麗なるポロネーズ 作品3が代表的ですが、こちらが1829年、19歳の作なのに対し、ふたまわり上の世代であるツェルニーのアンダンテとポラッカは1848年、晩年に近い時期の作となります。気鋭の後進作曲家を高く評価する度量ある大家であったツェルニー、ショパンの若書きにも刺激を受けた結果かも知れず、オーソドックスそのもののナチュラルホルン書法に対し、ピアノの並々ならぬ華麗さが強く印象に残ります。
グリエール : 夜想曲、ロマンス
レインゴリト・グリエール(1875-1956)は、かつてはロシア帝国/ソヴィエト連邦の作曲家、と書かれることが多かったですが、今後は、ロシア帝国(現ウクライナ)出身の、との表記を目にすることが増えていくかも知れません。また、家系はフランスもしくはベルギー系、との記述も一般的でしたが、現在では、父はドイツ人の楽器職人、母はポーランド人、とされます。本来はドイツ系の姓Glierで、出版社の誤記によりGliér(フランス語として発音するならグリエ)とされたことに困惑した本人が、語尾のrを発音してもらうための措置としてGlièreと表記をしたため、このような風説が広まったようです。定説が時代によって変化していく例を列挙しましたが、作曲家としてのグリエールの評価も、また見方によって変化してゆくところで、ジダーノフ批判に晒されたプロコフィエフやショスタコーヴィチに比べ、ソヴィエトの支配体制側から危険視される要素が少なかったことも、逆に後世の評価を不当に下げる要因になっているかも知れません。交響曲第3番「イリヤー・ムーロメツ」のような実験的意欲作より、初期(この作品35を含め)や晩年(ホルン協奏曲)など、典型的ロマン派の様式による作品のほうが、演奏機会に恵まれがちでもあります。
11の小品 作品35(1908年)は、様々な楽器とピアノのための2重奏曲を集めた曲集で、フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルンのために各2曲ずつ、チェロのために1曲、という内訳になっています。そのうち、クラリネットのための6. ロマンス、7. 悲しきワルツ、のホルン用編曲と、元来ホルンのための10. 夜想曲、11. 間奏曲、の4曲が、ホルン奏者の間では定番レパートリーとして親しまれています(ロマンスに関しては、オリジナルのクラリネット版よりホルンで演奏されることの方が多い程です)。伸びやかなメロディ、芳醇な和声は、帝政ロシア末期の爛熟した果実、という趣です。
ポー : 伝説
ベルギーに生まれ、アントワープとブリュッセル、後にポール・デュカスのもとパリで作曲を学んだマルセル・ポー(1901-1988) 。音楽批評や放送業界でも活躍し、ブリュッセル音楽院の院長やエリザベート王妃国際音楽コンクールの審査員長等の要職を長年務める一方で、7曲の交響曲、室内楽、合唱曲、吹奏楽、金管バンド用の作品をはじめ、幅広いジャンルで多数の作品を残しており、最晩年まで “時計のような規則正しさ” で作曲を続けたと言われます。作風は、ロマン派の影響が強かった初期から、徐々に叙情性・感傷性を排し明晰さを尊ぶものに変化し、「プロコフィエフに近い」と評されたりします。
19世紀後半以降のヴァルヴ楽器の普及によってホルンはソロ楽器としても改めて認識され、特にナチュラルホルンの時代に既にヴィルトゥオーゾ的伝統が育まれていたフランスやその影響の強いフランドル地方では、教職にある作曲家達が音楽院の試験用に数多くの技巧的小品群を残しました。それらの多くが “狩り” “森” といった西欧的なホルンのイメージを背後に持つのに対し、ポーの “伝説”(1958)はやや異色です。序奏部Andantinoの呼び声は、この楽器の音色が一方で内包する非西欧的・呪術的特色を引き出していますし、日本の陰音階を思わせる音使いが随所に見られ、Allegro decisoの主部に入っても、箏を連想させるピアノのアルペジオは東洋的な印象をいや増すものがあります。ポーが思い描いたエキゾティックな “伝説”の中身に想像を膨らませるのも一興です。
ネリベル : スケルツォ・コンチェルタンテ
ヴァーツラフ・ネリベル(1919-1996)は、主に吹奏楽の世界でよく知られている作曲家です。第一次大戦後、成立直後のチェコスロヴァキア共和国に生まれ、スイス・ドイツを経て1957年にはアメリカに移住していますので、プラハの春(1968)とそれを蹂躙するソ連の軍事侵攻より10年以上も前となります(「プラハ1968年のための音楽」で知られるカレル・フサも、1954年には渡米しています)。ネリベルが生み出した吹奏楽作品は、当時のアメリカ人作曲家たちの明快で楽天的な吹奏楽曲とは似ても似つかない、劇的緊迫感と厳しい音の衝突に彩られたもので、祖国を離れざるを得なかった作者の内心を想像させるものがあります。トリティコ(1963)、交響的断章(1965)、2つの交響的断章(1969)などの代表作は、鮮烈な響きの魅力と高い演奏効果から、日本でも広く演奏されています。
ホルンとピアノのためのスケルツォ・コンチェルタンテは、それらほど深刻な音楽ではありませんが、ドライでメカニカルな響き、民謡を思わせる(がセンチメンタルにはならない)旋法的なメロディ、といったネリベルの特色は色濃く、ホルンのリサイタル・レパートリーの中では珍しい、疾走感のある音楽となっています。
ネイガス : 至日
ジェイムズ・ネイガスは、ジョージア大学でホルンを教える傍ら、ホルンを含む編成を中心に多数の作曲、ピアノ演奏なども精力的に行っています。至日 Solsticeは、ネイガス同様、ホルン奏者であり作曲家、また教育者でもある、ウェイン・ルーのために2014年に書かれました。至日、という見慣れない訳を宛てましたが、通常summer、winterを前に付けて夏至、冬至の日を指す単語です(蛇足ながら、今年の冬至は、このリサイタル前日の12月22日)。なお、ネイガスには、別に、春分・秋分を指すEquinoxという曲もあります。
作曲者自身が「比較的長く厳しい冬に、私はこの季節の寒くて荒涼とした雰囲気と、柔らかな美しさの二重性が魅惑的であると感じました。この作品は、これらの対照的な存在の状態を旅しますが、必ずしも調和的に解決するとは限りません。冬はまだ半分しか過ぎておらず、暗闇が不気味に広がり続けているからです」と語るように、作曲時に念頭にあったのは冬至のようです。ゆったりした3拍子を基調に進み、温かいピアノのハーモニーに、ジョン・ウィリアムズの映画音楽における抒情的ホルン・ソロ(『オールウェイズ』など)も連想させる息の長いホルンの旋律が乗ります。時折、冬の荒涼たる厳しさらしい硬質な音も聞かれますが、それをも含めてこの季節の美を讃えているようです。
ネイガス : 紡がれる旅路
引き続きネイガスによる作品です。2本のホルンとピアノのための 紡がれる旅路 Woven Journey は、2022年に作曲されました。作曲者自身によれば「リンデル・ニューウェイの節目の誕生日を記念し、二人の共通の旅を祝うために、パートナーのアレックスからの委嘱で作曲されました。作品の各セクションは人生の旅路に沿った段階を表し、織り成す関係の経路を捉えています。リンデルはプロとしてオーストラリアのフリーランスシーンでホルンを演奏する一方、才能と創造性のあるキルターでもあり、自身のロングアームキルティングビジネスを経営しています。」いくつかの異なるテンポ・拍子を持つ各セクションは、人生や人間関係の各段階を表している、「織られた・紡がれた」を意味するwovenという形容は、リンデルさんのもう一つの専門分野キルティングにも因んでいる、ということがわかります。
曲は、最も快活なテンポの4/4拍子の部分をほぼ中央に置き、前後は比較的緩やかな3拍子系のセクションを複数配置する、というような構造になっています。ネイガスの作品は、形式的には王道の、バランスの取れたものが多いのですが、この作品は例外的に、もう少し続きそうなところであっさり終わってしまいます。おそらくですが、リンデルさんの人生の旅路はまだまだ途中、現在進行形である、といった含意があるのではないでしょうか。演奏者、聴き手にとっても、いま辿っている旅路に想いを馳せたくなる作品です。
ビシル : ヴァルス・ノワール
ネイガスに続き、現役のホルン奏者による作品です。ロンドン・フィル、ロイヤル・オペラ・ハウスの首席ホルン奏者を歴任したリチャード・ ビシルは、作・編曲家としての活動も目覚ましく、「ロンドン・ホルン・サウンド」 のアルバムのための編曲(キャラバン、ボヘミアン・ラプソディ、タイタニック・ファンタジー等)、ベルリン・フィルのサラ・ウィリスのためのソロ作品「ソング・オブ・ア・ニュー・ワールド」でも知られてます。
この「ヴァルス・ノワール」は、フィルハーモニア管弦楽団首席ホルン奏者(当時)のナイジェル・ブラックのために書かれ、ウラジミール・アシュケナージのピアノと共に日本のクリストン・レーベルのアルバム「コルノ・カンタービレ」(2015)に収録されています。タイトルは、おそらくユーモアで奏者の姓にちなんだだけのものと思われますが、ジャズ風の夢幻的なハーモニーと揺れ動くテンポによる、移り気で陰の濃い、まさに「黒い」ワルツとなっています。ホルンとピアノが交互にメロディを奏で、カデンツァを経て主部を繰り返した後、終結部は徐々に白熱し急激な加速で華麗に結ばれます。
ピアソラ : ル・グラン・タンゴ
保守的なタンゴ愛好家からは「タンゴの破壊者」とまで呼ばれたアストル・ピアソラ(1921-1992)は、確かにアルゼンチン・タンゴというひとつのジャンルの枠内に留まる存在ではなく、彼の名前自体がひとつの独立した音楽ジャンルとなっている、と言っても過言ではないでしょう。クラシックの作曲家を志してパリに留学するも、師のナディア・ブーランジェの慧眼から「タンゴこそ自分の原点」と目覚めたエピソードは有名です。クラシック界にも多大な影響を与えたピアソラは、また特定のクラシック演奏家のためにもいくつか作品を残しており、このル・グラン・タンゴもそのひとつですが、献呈された大チェリスト、ロストロポーヴィチは、偏見から8年も曲を放置、他人の奨めで作品の魅力に気付くも、恣意的な改変をして録音、と、あまり被献呈者の名誉にならないエピソードが出てきます。おそらく彼のチェロ演奏に敬服し定冠詞付きの「大タンゴ」を捧げたにもかかわらず軽んじられたピアソラの心中も察するに余りありますが、現在多くのチェリストに名曲と認知され、演奏されているのは救いです。
ピアソラの他の作品同様、タンゴとして大幅な編曲を施して演奏されることもありますが、今回演奏するのは、原曲のピアノパートはそのまま維持し、チェロパートをホルン2本に振り分けた編曲となります。1本のホルンで演奏するにはあまりに息の長い旋律線、揺れ動く複雑で陰影豊かな感情、終盤の執拗なまでの繰り返しがもたらす白熱、お楽しみいただけますように。
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