独りでは

独りは好きだ。独りならば見えるモノが沢山ある。独りでなければ見えなかったモノ気付けなかったコトが沢山ある。
独りで無ければ自分の底にいる自分には会えなかった。
だから独りで良かった。

独りで生きるとは、独りで全てを判断するという事。全てだ。自分に纏わる全てを自分で判断する。
知識も情報も感情も心の痛みも身体の痛みも、全てだ。
それはとても辛くて大変で困難で、そして凄く楽だ。全てを自分が勝手に判断すれば良いだけなのだから。
そして、それ故に惑う。

自分の姿を鏡の中にみても、それは自分にしか映らない。見慣れた姿にしか見えない。
独りで生きる困難さを最も実感する瞬間だ。

自分の人生が辛くて大変な事は何でも無い。それは当然の事だから。
でも自分に纏わる情報の価値が自分の中でしか創られないのはとても辛い。

「他者からどう思われようと自分で在れば良い」

闇の底から光の世界へ這いあがった今なら言える。それは嘘っぱちだと。
天地自然の中に自分一人と後は動植物だけならそれも良いだろう。現実は違う。社会は違う。
独りの辛さは他者から見た自分の存在が存在しない事だ。

以前とは独りの辛さの意味合いが根底から違う。
怖いのは孤独じゃない。外から見た自分の価値が分からない事だ。

「人は独りでは生きていけない、活きられない」

やっとこの類の言葉の本当の意味が分かって来た。


キミはキミ以外の誰かにキミの価値を見つめられているだろうか?
キミはキミ以外の誰かにキミの価値を認められているだろうか?

キミはキミの価値に目を向けてくれる価値ある相手がいるだろうか?

これが生きる意味、これが活きられる理由。

これが今日を生き、明日も在ろうと強く想える、真の理由。



※メイドインアビスのファプタの闘い編(独自呼称)を読んでいて、それが今の自分に重なってしまいました。
我ながら子供っぽい動機だな、と思うのですが、多分それで良いのです。それが正しいのです。
私にとってはね。

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