毒親の条件と過去の後悔と

毒親の定義に関しては被害者による様々なシチュからくるパターンがあると思う。
でも多分だけど、個人的には最も大きな条件付けとして一つ定義できる要素がある気がする。
それは「自分の失敗した人生の復讐代行を子供にやらせている」という点を、大きな条件として良いのではないだろうか。


自分の人生の失敗のリカバーは自分の人生で行い完結するべきであって、それを自分とは別個体の他者に背負わせるべきじゃない。
なんて事は当たり前の考え方のはずなのだが、それが理解出来ない人がいる。
その人達はどうやらだが「あの時の人生の選択を間違えなければ自分は幸福になれていた」と確信しているようだ。だが、私から言わせれば勘違いも甚だしいと言いたい。
過去に戻れればなんてifを強く想うほど後悔する様な生き方をする人の選択、それも過去のものが、別の選択をしたとてそれが絶対正解だなんて考えられるものなのだろうか。それほど過去の自分の思考パターンに絶対の自信が持てるのだろうか。

又、仮にそのifを成し遂げたとして、そこから先を歩むのは現在失敗を悔いているその人自身である。であれば、その成功の後の人生が成功しか無いと思えるだろうか。
もしもifの成功の後に大きな失敗があれば、その人は又その件に関するifの人生を妄想する事に終始するだけだろう。
失敗から己を学ばないとはそういう事なのだ。

ちなみにこれは私自身がとても若い頃にバイク事故で落命寸前だった事を、その後に思い返す度に考えていて身に付いた思想と言えば思想のようなものだ。
つまり「あの場(事故)を運よく凌いだとしても、学ぶ事が無ければ別の何かで似たような危機に遭い、もしかしたら本当に落命をしていた可能性がある」という考え方だ。


結局のところ、失敗も成功も引き寄せてそれを自分のものにするのは、最終的にはその人の生きる癖そのものだと言う話。
そこを直す(治す、ではなく)事も無く、ただより好ましい選択さえしていれば人生は好転した、なんて都合の良い話などある訳がないのだ。

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