やっぱり親が嫌いな話
やはり駄目だ、嫌いだ。あの二人は。
それも絞れば父親だが。
父は両親、特に母親(祖母)に恵まれなかった人だ。そう本人からも母(私の)からも聞いている。
祖母は家族から逃げ続けた人だった。一家にある問題から目を完全に逸らし、宗教に没頭する事で全てを忘れていたらしい。幼い頃から自分や家族を無視する母(祖母)が父は許せなかったらしい。
私の個人的解釈からしても、父の癇癪持ちは間違い無くそこが源泉になっている。
幼心に自分の我儘すらも通してくれなかった親に対し、不満を全て隠して我慢を続けた男の、生涯決して消えなかった怒りの火種・燠だろう。
しかしてそんな父も又、家族つまり現在の私が属する組織から目を逸らし続けた人だった。
確かに宗教の様な対象にはハマらなかったが、その分借金を作った。そして家族、殊に子供が問題を抱えても、真剣に話に乗る事すら無かった。
少なくとも私の記憶に、穏やかながらも真剣な眼差しで私や私の兄弟の話に耳を貸す父の姿は、ただの一度も無い。故に思い浮かべる事も出来ない。
また母の話を聞くに、父は相当に気の弱いダメ人間だったそうな。若い頃から。
すぐに母に対し弱音を吐いて延々と泣き言を並べていたらしい。
…そんな男がなぜ結婚をし子供まで作ってしまったのか…今となっては嫌いだった母の方にかなりの同情票を入れられてしまう。
しかしその話を聞けば、自分の都合が悪くなるとすぐに不機嫌オーラを全開にし、面倒な話になるといきなり怒鳴って場を沈ませる父の思春期の子供の様な反応に納得も出来てしまう。
と言うか、若輩者の子供にここまで心情を汲ませるなよ。と言いたい。言っても良いのだが。
私は父を通して日本人の奇妙な、またはある種狂った価値観に今もってなお嫌悪感を抱いている。
それは「最も大切にすべき身内には乱暴粗暴に接し、どうでも良い赤の他人には徹底的に見栄良くし媚びへつらう」と言う誠に持って意味の分からない精神的文化だ。
自分を支え助けてくれる人達への態度対応は適当もしくは我儘放題で、いざとなれば見捨てられて当然の赤の他人へはまるで豪華絢爛な鎧甲冑を纏った五月人形が如き見栄の限りを尽くした精神で臨む。
ハッキリと頭がおかしいであろう。
きっと子供なのだろうなと思う。彼ら彼女らは自身の精神に確かなモノが何も無いのだと感じる。
だから「自分を既に受け入れてくれている人」に対しては正に内弁慶な態度を用い、「自分をどう評価するか分からない他者」に対しては嫌われまいと媚びへつらうしかないのだ。
精神的に自分の存在に対して余りにも無責任なのだ。だから自分以外に対しても平気で無責任でいられる。
子供ならまだ良い、青年期の大人であってもまあ良いだろう。
しかし重なる経験の果てに存在する大人とあっては、それは無いであろうが。と、吐き捨てたくもなりまする。
あぁ、久々に感情が激昂している。勿論一人の部屋で大声出したり物に当たって暴れたりなどはしないが。
きっと気温が突然上昇し、我が過敏極まるサーモスタットが過剰反応を起こしておるのであろう。恒例なので対処は可能だが、さりとて消し去れる反応でも無く。
なのでこうやってnote。
ある程度冷えた頭で少しだけ、先述の彼ら彼女らを憐れんでみる。
自身の成長からすらも責任を投げ出した人々は、一体どこに向かうのだろう?
一体何があれば満足出来るのだろう?
誰と出会えれば真の成長が始まると思えるのだろう?
答えは「何もありはしない」。
「自分の成長のタネは自分の外側に絶対確実にある」と確信している時点で、生涯その人々に成長はあり得ない。
稀にそのチャンスに巡り合えても、絶対にそれを使いこなせない。
包丁も握った事の無い人間が、高級食材を偶然手に入れたとしても、シンクの三角コーナー行きになり自身は不貞腐れながらカップ麺を夕食とするのは簡単な推測だ。
そして同時に私自身、この怒りを呼ぶ源泉も理解している。当然親に対しての怒りだ。
赤の他人であればどうでも良いのだが、なぜ私の1.5倍以上生きて来た彼らが若輩者の私の言葉の意味すら理解出来ないのか。そして理解しようとする意志すら見せないのか。
自分の親だからこそ腹が立つのだ。
「親と言えでも赤の他人」
親不孝という言葉が世にまかり通るのなら、子に親を諦めさせるのは「子不幸」と呼んで何ら差し支えないと思えるのですよ。
生に藻掻くしかない人々は永遠に戦い続ける戦士なのかもしれない。その道を自ら選び取ってしまえるのだから。
行くのだ。往くのだ。
逝くその時まで。
生き続けるしかないのだ。