極大重力に抗う人
死の淵で賢人は闇が正しいと知る。
欲望とは全てを無条件無差別に引き寄せる圧倒的な重力の塊にして、底の存在しない・誰もその底を見た事が無い巨大で真っ黒な大穴だろう。
極大重力惑星であるブラックホールに質量を持つ全ての物質が落ちて行くのは、この宇宙に存在する以上必然でしかない。
ならば、欲望が精神のブラックホールであるのなら、人はどうなのだろう?
誰もが一度は自分の全てを以て、その極大重力に抵抗する。
それが可能な脱出速度を生み出せる力を得ようともする。
そう成れると信じて、ただひたすらに。
しかしそれでもブラックホール。
空中を舞う綿毛や塵埃も、いずれは地面に落ちる。
質量が零と捉えられている光子ですらも脱出する事は不可能。
ならば始めから勝ち目の無い抵抗と考えるべきなのかもしれない。
抵抗に抵抗を重ね抵抗の限りを尽くした人が、極大重力の大穴に飲み込まれ己の身体が極限圧縮されながら細長く引き延ばされる様を実感しながら、その人は何を思うのだろう。
結末を理解しながらそれでも”敢えて”を選択し続けた人が、知っていた結末の状態に在る自分をどう観察して何を想うのだろう。
心だろうが身体だろうが、人は一度自身のそれが死の半歩手前まで行かない限り、いずれは重力に身を任せるしかないのかもしれない。
絶対に変わらない結末を知りながら、それでも抗う人は。
「それを辞めた時は自分の存在が終わる時だ」
そう直感で気付いているのかもしれない。
だから無駄な抵抗を無駄と知りつつ、いつまでも全力で抗い続ける。
「生きていても活きていないのならそれは存在の死と何も変わらない」
そんな青臭い言葉に震える魂の熱さを知っているからだ。
そして死はいつも(人生を歩き続ける)その途上でその人に訪れるのです。
その人が死んだ時、一体何の途上であったのか、多分その事が重要なのだと思います。