人生のサイクル
タイトル通りである。
どうやら人生には始点と終点、それを繋ぐ線があり、それは一定の期間をもって一塊として成っているようだ。
一見すると実にスピリチュアルな見方であり考え方だ。実際これを言う今の私もそんな気分がある。
とは言え、自分の人生を俯瞰的に年表化してみると、どうにもこの「一定期間のライフサイクルパターン」のようなものが望むも何も無く可視化されてしまう。
昔の人々がこういった考えを捨てずに科学が発展し浸透した現代まで来た気持ちも分かると言うものだ。
(他の人が具体的にどういう人生を送って来たのかは知らないが…と言う枕詞を置いた上で)
私のライフサイクルパターンの始点と終点はとても強烈なものが多い。多かったと言うしかないような出来事ばかりだ。
『親に裏切られ、落命の際に行き、人生で最も大切な人と離れ、ゆりかごの様な環境を捨て、そして自分の人格を自分自身で根本から作り変える。』
この一つ一つの間はそれが起きてから自分の中で決着がつくまでの塊となっており、その間に休息期間は少しも無い。文字通り次から次へと雪崩が連続で起こるかのようにだ。まるでそれが連続した事象であるかのように。
だからこれまでこういった視点を持とうとすら思えなかったのかもしれない。法則性を見出すまでも無く、一塊の人生として無意識に捉えていたので。
しかし、改めて俯瞰的に振り返ってみてその凄まじさに驚く。
「血反吐を吐く様なこれまでじゃないか…」
自分史なるものを表し客観視すれば、どうしてもまずそう呟きたくなる。
そして
「良く…生き残ってここまで来られたもんだ…」
低い天井を見上げてその実どこも見ずにそう呟きながらため息が漏れる。
そして今、自身の作り変えに全身全霊を注いできたその心血の流れが明確に穏やかになりつつある。
「もう良いのだ。これ以上自分を追い込み追いつめても、このままでは自分が鬼の様な阿修羅の様な存在になり果ててしまう。」
自分の心体を虐めながら、同時に自分の吐き出す言葉が鉄球の如き重さと硬さを持つのを自覚していた。
それに対する心のブレーキがようやく現実に追いつき速度を緩め実りつつある、今はどうやらその初期~中期に差し掛かる段階の様だ。
そのように感じられる。
私はしばらくnoteから距離を置こうかと思い始めている。
勿論退会して…と言う意味では無く、あくまでも精神的な領域のアウトプットを少し控えてインプットとその消化と昇華をしたいと考えている。
とは言え、逆にこれまで控えていた趣味の記事なんかは書いても良いのかもしれない。
まあ何かを強制したり制限するものでもないので、全ては自由に行く。今はそれが一番良いような気がする。
…これまでの数十年、私の精神を・心を縛り付けていた鎖がようやく解け落ちて消えようとしているのだろうか?しかもそれを自らの力で成す。成せる。
精神の拘束が人生の基本状態であった私には、にわかには信じられない話だ。
だが…もしもそうであれば
「こんなに嬉しい事は無い」
ただそれだけしか出てこない。
※追記
公開する前に少し席を離れ家事をしながら「ここまでの凄まじい人生は、それを自分自身でありながら俯瞰的に評価出来る、今この時の為にあったのでは?むしろそれを自然と為せる時を待っていたのでは?」とふと考えました。
感慨深いなんてものじゃありません。人生の半分以上で起きた事柄が、今この瞬間、人生にある何でもないただのワンシーン、本当に何も特別な事が無いこの時にあると言うのは。
「言葉にならない」という言葉は、この時の為に在る様な、今の私にはそう感じられます。