ぼくは今、精神科なんなら急性期病棟に入院している。問題を起こしてぶちこまれた訳ではなく、自分の意思で療養を決めた。任意入院というやつだ。自傷衝動の高い日が続いたり、パートナーに頼りすぎたりしている現状をみつめて判断を行った。いや、『ぼく』によって判断が行われた。入院に踏み切った瞬間の記憶は、例のごとく闇に消えている。まぁいいのだ。 入院していて感じるのは、絶大な安心感と無限の暇である。危険物は持ち込み禁止であるし薬の管理も看護師が行っている。いたずらはどうやったってできない
以前のnoteでは、解離性同一性障害(≒多重人格)について話した。ならば、書くことはひとつだろう。 人格たちの 自己紹介 および 他己紹介である。 各々の人格たちは、あくまで「はるな」を守るために存在する(らしい)。よって、実際に出てくることは多くないし、出てくる時はきまって「はるな」がキャパオーバーしている時だ。気持ちとしては辛い感情ばかりを負担する。だから、基本的に人格たちは外に出てきたがらない。あくまでぼくの場合は。 ということで、それぞれの人格に書いてもらうことは
── 多重人格について 最近のTwitterやnoteで記憶を無くす場面があることを綴った。原因は2パターン考えられる。 1つ目は薬の濃度が体に対して合っていない場合。2つ目は「自分の中の誰かさん」が体を使っている場合。意味が分からないよね。自分で書いていても、意味分かんねぇなって思うのだから。他人から理解されないのは、当たり前だ。 ぼくは、生育環境だったりストレスだったり 自身の発達障害による生きづらさだったり… そんなものを抱えるうちに 「解離性障害」 になっているら
自分は今日なにをしていて、どこにいたのか? そんな簡単なことも思い出せない。 鞄に入ったパンフレットやレシートを見て、行動経路を繋いでいく。まるで探偵だ。 そして、気付く。食事をとった形跡がまるで無い。 きっと今日は何も食べていないのだろう。 でも、そんなことすらどうでもいいのだ。 食事なんて大したことはない。現に生きてるし。 彼氏がぼくの行動をおおまかに分かっているから本当に助かる。どうやらぼくは、朝イチで区役所へ行ったらしい。確認すると、それらしき書類が入っていた。ぐ
文章を書くのは大好きだ。 読むのも好きだ、でも嫌いだ。 文字は気まぐれで、時には走って逃げていくから。 毎日のことではない。でも、例え話でもない。 読もうとしている文字たちは好き勝手走り出し、 読みたい列が白紙になる。面倒だ。 ……この話は、またいつかしよう。 ぼくは面倒な人間だ。 だから、せめて大好きな文章に昇華して、 ぼくの面倒な部分をあらためて晒してしまおう。 人を頼ってしまった時、倒れて迷惑をかける時、 相手の誰かの負担を減らすために 取り扱い説明書として文章が残し