『急に膵臓を褒めるな』~膵臓が真っ二つになって学会で発表された話~
膵臓が半分くらい、動いていません。
22歳の時に、真っ二つに割ったからです。
あれは23年前、新宿三越でアクセサリー販売のアルバイトをしながらモデルをしていた頃のお話です。
当時私は、ティーンファッション雑誌のレギュラーを失ってからめっきり仕事は減ったものの、目と目が離れた「魚顔」はブスカワモデル全盛期の時流にあっていたか、ポツポツとCMやカタログの仕事をこなしていました。
そんな折り、友人がカットモデルをしていた表参道のヘアサロンの階段から真っ逆さまに落下して、階段角で胸の下あたりを強打して、背骨が私の膵臓を真っ二つにしました。
……というのは、後に手術をしてくれた主治医に聞いた説明です。
救急搬送された先の某有名大学病院ではエコーやレントゲンを撮った上で「骨にも内臓にも異常なし」と言われ、信濃町から千葉まで電車で帰りました!
膵臓って、半分に割れても歩けるんですよ。
歩けるし笑えるし自転車も乗れる。
ぶつけた瞬間こそ痛かったんですが、それから翌朝まで、意外と普通に過ごしていたし、なんなら夕飯も食べていました。
その時食べた豆腐の味噌汁やご飯は、真っ二つになった膵臓と隣接する胃の中で一体どうなっていたのか、想像するだけで食欲がなくなります。
そんなこんなで、実家で食事をして寝ていたら、居ても断ってもいられないくらい苦しくなってきて。
千葉の大学病院に診療時間外に飛び込んだら、また「異常なし」と言って帰されました。
異常無いわけあるかーい。こちとら膵臓真っ二つじゃー、と思うのですが。
46歳現在、プライベートでも医師の友人が何人かできて、こんな昔ばなしをしたところ、皆さん口々におっしゃいます。
「それ。救急外来じゃ厳しいっすね」
膵臓は、真っ二つになっても見つけにくい。ましてや救急外来の当直医には。たとえそこが、白い巨塔であったとしても。
これはやばいと思ったら、専門医に見せるべき。
町の消化器クリニックの院長の方が、実は大学病院の部長クラスだったりするので、大学病院救急外来の専門外インターンに当たるよりよっぽどいい。(夜中の救急外来に必ずしもインターンがいるとは限らないけどけっこういるらしい)
一旦は家に帰されたもののもはや顔面蒼白で、数時間後に家族にまた大学病院にかつぎこまれた私は、「消化器の先生がもうすぐ来るので検査する?」と言われて、胃カメラをしてみたところ、膵臓真っ二つ。
もうずっと、膵臓真っ二つ!!!!
ナイフで切ったの? てくらいきれいに割れていたそうです。
ちなみに、膵臓が真っ二つの状態で、麻酔無しで胃カメラをする苦しさ、って想像できますか?
私は、できません。覚えていないので。多分、防衛本能ってやつでしょう。
ただ、痛さは覚えていなくても、検査ベッドの上で戦争映画の野戦病院シーンのように呻きながら七転八倒して、4,5人に寄ってたかって羽交い締めにされた記憶はうっすらあります。
そこから先は、医療ドラマか? てくらい怒涛の展開に。
緊急手術、名医登場、珍しい術式で胃の後ろに膵臓縫い付け、胆嚢摘出、膵臓温存成功。
真っ二つになった膵臓は、胃の後ろに1つづつ、くまさんの耳みたいな体裁で取り付けてもらいました。
誠にありがたいお話ですが、気がついたら私は、「痛み、苦しみ、痛み、痛み、パニック」という概念だけが存在する、狭い箱(体)の中に閉じ込められいました。
もはや、涙と鼻水を垂れ流してギーギーうめくだけの存在に成り下がり……。
普通に考えて、そんな状況だと死んだほうがマシだと思うのですが、確か死ぬのは怖かったです。
つい昨日まで身近だった友人・知人が、宇宙の星より遠い存在になっちゃうんだなぁ。宇宙の星より遠くに飛ばされるってどんな感じだ?
とか、未知のものへの恐怖で気が狂いそうになり、母に手を握ってもらえるとありがたくて、命綱のように感じました。
もし身近に、意識が薄れるくらい苦しんでいる人がいたら、是非、手を握ってあげてみてください。
苦しい時に何度か考えたのが、昔読んだ「多重人格の子供」の話。
大人に虐待された子供が、自分を守るために、別人格を作り出して痛みを他者に任せる、という解離性同一性障害(多重人格)をもとにした本『24人のビリーミリガン』でした。
「私も痛みを別人格に任せたい。いでよ、別の私!」
と試行錯誤したのですが、いっこうに解離してくれませんでした。
PTSDになってもいいくらいの経験はしたと思うのですが、みんながみんな解離できるわけではないらしい。
しばらくは、鼻から胃までドレーンを通していたので、常に喉に指を突っ込んで吐こうと思っているみたいで、苦しかったです。
それでも若いだけあって順調に回復し、徐々にコミニケーションが取れるようにありました。
見舞いに来てくれた友人のジェンダーレス美少年を指差して「髪型……おぼっちゃまくんみたい…」と声を絞り出し「なによ。もうこないわよこんな店っ」て言われて、「店じゃ……ない……」と弱々しく言い返したり。
なぜかみのもんたのことを「ミノ・モンタン」とイブ・モンタン風に呼ぶ胃がん手術後のおばあちゃんと、折り紙をするようになったり。
そんなことをしているうちに、2ヶ月半が過ぎ、退院できました。
執刀してくれた先生は気さくな名医で、
「全部温存したから、暴飲暴食に気をつければ、普通に暮らしていいよ。半年に一回検査すればいい。フルマラソンしてもいいよ。お酒はちょっとならいいかも」
といってくれましたが、実際先生の手掛けた改造マシン(体)を使ってみたところ、
「確かにごく平凡には生きられるけど、老人くらい省エネしながら大事に生きないと、寿命は縮むだろうなぁ」
という体感だったので、普通には暮らしていません。
23歳からは、働くし結婚もするし出産もするしごくごく平凡に生きていますが、仕事以外は省エネ生活です。
お酒は一切飲まず、夜も早く寝ます。
結婚前は、そんな生活に併せてくれる同世代の男性なんているんだろうか? と思ったものですが、幸い夫は『天才柳沢教授の生活』という漫画に出てくる柳沢教授と同じくらい、規則正しい生活をしないと気がすまないタイプでした。
柳沢教授は作者・山下和美さんの大学教授だった父様がモデルとのことなので、一定数はいるみたいです「仕事はするけど引きこもり」男性。
結婚13年、夫が「飲みに行った」ことなど、冠婚葬祭同窓会くらいで両手の指で足りるくらい。
満身創痍な妹(私)が、
「おねえちゃーん、仕事はちゃんとするしコミュ力は普通の『引きこもり』を紹介して」
という無茶振りをしてきて、その通りの男性をスッと差し出してきたうちの姉は、もしかしたら天才仲人かもしれません。(編集者です)
主治医の先生とは、結婚して千葉から登場に引っ越した関係で検査する病院も変わってしまいましたが、今でも年賀状のやり取りをしています。
時折オーケストラでクラシックを演奏したりしつつ、クリニックの院長としてご活躍のようで嬉しいです。
新しくご紹介いただいた先生も、「上品なアスリート」っぽい雰囲気のとても良い先生で、定期的に検査をしつつ元気に暮らしています。
今でも大学病院で胃カメラをすると、若い女医さんが、
「吻合部分がまったく見えません。でもどこからか、膵液が出ています」
「ほんとだ、穴がないのにどうして出るんだろうね……」
とかイリュージョンのようなことを囁きあっていて、いたたまれない気持ちになることがありますが。
3年くらい前には、MRLを撮ってみた時は、「膵臓、大分萎縮していますね。多分今は半分くらいしか動いていない」と言われて、半泣きになりました。
大学病院の先生のすごく誠実で親切な方なので、その時に詳しくお話を聞けばよかったのですが、産後鬱っぽかったせいかぼけーっと家に帰ってからパニックになってしまいました。
もう一回行きたくても、大学病院は気軽に話しをしにに行くところではない。そんな時頼るのが、我がマンションの大天使・ファミリードクターE先生。
消化器は専門外なののですが、「ネットで検索するよりなんぼかいいからなにか気になることがあったら来なさい」と言ってくれて、本当に助かります。
博多大吉さんも『あさイチ』(NHK)でおっしゃっていました。
「これから大事なのはお金でもない、人脈でもない。かかりつけ医だと思います」
と。
E先生は、産婦人科がご専門で内科も併設しており、尾木ママのようにフェミニンな話し方をする美魔王(美魔女の男版)で、ものすごく頼りになります。
動揺でフガフガ言っている私に対し、冷静な口調で、
「でも、血液検査の結果を見るとちゃんと働いているからいいんじゃない。そりゃ、ピチピチの無傷の膵臓じゃないけど、片足なくてもよく働くじじいを雇っていると思えばよくない? 働かない若者より頼りになるわよ」
と説明してくれました。
障害のあるよく働くじじい。海外ドラマ『ダウントン・アビー』の従者・ベイツさんを思い出しました。
胃の後ろに控えし働くじじい、酷使しないよう気をつけよう。
そして一昨日は、久しぶりにエコー検査をしに大学病院に行ってきました。
今回担当してくれたのはご年配の先生で、
「偶然ですが、カルテを見たら前回の検査はちょうど二年前の今日で、やはり私が検査しました。覚えておりますよ。まったくお変わりがなくてようございますね……」
と言ってくれました。
齢46歳の女性として「お若いですねぇ」的な話かと思って、嬉しくなって、
「いえいえそんなことはないです…」
と照れ気味に謙遜したら、
「本当に、まったくお変わりありませんよ、膵臓が」
と、補足されました。
主語、膵臓でしたか……。
急に、膵臓を褒めないで……。
なにはともあれ、私の膵臓は、2年前と変わりがない。
手術してくれた先生への感謝を込めて、これからも大事にしてゆきたいです。
そういえば執刀医の先生は以前、
「北海道の学会で君のこと発表してきたよ」
と仰っていました。
私の知らないところで私の膵臓は、アカデミックな晴れ舞台に断っていたらしい。
ふと出来心で、「論文とかあるかなー?」と自分の膵臓の術式を検索してみたら、とある手術の参考文献とし私かと思われる症例のPDFが貼られていました。
膵臓が真っ二つになる人はそういないと思うのですが、今回私の膵臓を参考に手術をしたのは「牛に踏まれた50代の男性」だそうです。
手術は無事成功して、経過も良好とのこと。
牛に踏まれたおじさんのお役に立てて、本当によかったです。
牛、怖い。
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