なぜ世界一周が家族の夢になったか①
ごくごく普通の共働きサラリーマン夫婦だった我が家が
なぜ世界一周をすることになったのか
シリーズで振り返っていく。
まずは「これまでの我が家」の話。
出会い
夫とは地元の共通の友人を介して知り合った。
特にすぐにパートナーが欲しいとは思っていなかった時期で
なんとなく気が合うし、一緒にいて全く苦じゃないというところからお付き合いがはじまったように記憶している。
やはり決め手は周りの「人」
きっかけとなった友人も中学校からの大切な人。
一緒に会った夫の友人も、「いいな」と思う人だった。
結婚当初の生活
夫は勤続18年の会社員。
勤務時間は特殊で、明け方〜夕方まで、、!
休みは平日1日と、日曜日の半日のみ。
ゴールデンウィークやお正月休みもなく、ひたすら真面目に勤務してきた。
私は学生時代からいた愛知県よりUターンして福祉職に就いたばかりであった。
土日休み、フルタイム勤務。
とにかく「安定」が頭にあり、
’年功序列で長くいれば勝手に昇進していく
副業は認められていない’
そんな職場で定年まで働くのだろうなと思い込んでいた。
他人軸で生きていたころ
結婚をしてすぐに娘を出産。
そろそろ周りもお家を建てはじめているし、、と家を購入。
「世間的にこうだから、○○しなきゃ」
「親に〜言われたから、・・・する」など
必要以上の責任感を抱え、いろんな情報を収集し、
世間一般常識が正しいと思い込み、それに従って生きていた。
夫は優しいので、そんな私に付いてきてくれていた。
いろんなことを見つめ直すきっかけ
娘がある程度大きくなってきて
二人目を計画するが、なかなか授からなかった。
今まで健康体できて、娘の時もすぐに授かったので簡単に考えていたが
悩みに悩んで不妊治療に通う。
ようやく妊娠するも
赤ちゃんの発育が小さめであると言われ
県内の大きな総合病院に紹介となる。
なんとか無事に産まれてくれてからも
日に日に大きくなっていく眉毛の上の膨らみ・・など
心配事が尽きない毎日。
「その人に起こることは、その人にとって必要だから起きる」と
聞いたことがある。
その時は悩むし、辛い時間を過ごすが、
やはり無駄なことはないと感じる。
命の尊さ
限りある命だからこそ何に使うか
そんなことを見つめ直すきっかけが30代半ばにして
私に訪れた。