水/ひとさし指
水を飲んでいる。夜の道路で熱を持つからだを冷ましながら、まばらに光る星を見ている。
透明な水を飲んでいる。ベッドに転がって眠っている体で、延々と続くあなたの独り言を聞いている。
透きとおった水を飲んでいる。将来は魚になりたいと書いた同級生のことを思い出している。
無味無臭の水を飲んでいる。雑多な棘がささった痕を洗い流して薄めるように、ひとりで歩く癖がある。
冷たい水を飲んでいる。冬は好き、だけど寒いのは苦手、と言った彼女の手を握る。
生ぬるい水を飲んでいる。日が傾くまで寝過ごしたあと、蓋を開けたまま放置された生活を睨みつける。
硬い水を飲んでいる。言葉は角張っていて重く、口にしたそばから底へと沈んでいく。
軟らかい水を飲んでいる。誰もいない部屋の片隅でびしょ濡れになったTシャツを乾かしながら、ピアノの音色に耳を傾ける。
君の目の前には小さなコップがあります。私はそれに星を注ぎました。あなたは独り言を溶かします。僕はそのなかを泳ぎます。ひとりで歩いてそれを薄めます。彼女の手が冷やします。俺の日常が中途半端に温めます。彼の石が沈みます。ピアノの音が丸めます。
君は水を飲みます。おいしそうに、苦しそうに、勢いよく、ゆっくり味わいながら。
私は差し出された空のコップに水を汲みます。
*
右手が古代の建造物のように朽ちていた。何か変わらないものを求めた、どこにいたとしても、だから私は星を見つめていた。時間と水と空気、それらに流されてしまわないように、自らが旗になるように、私は立ったまま星を眺めていた。
あなたのひとさし指が触れていくものからあなたの人となりが浮かび上がる、背景と、あなたが過去に紡いできた言葉の道筋、それがそのままあなたを形づくる。
私たちは勝手にあなたの姿を創造する。あなたの決して語らない日常を創造する。見えない聞こえない触れられない、雨粒の通った軌跡で私たちはあなたの顔の輪郭を知る。ふんわりと膨らんだほほ、つんとすました鼻、伏せられた睫毛の一本一本、恥ずかしそうに笑みを浮かべる唇。煙越しに、波打つ水越しに、フィルタ越しに私たちはあなたに触れようとする。
(けれども、)
ひとさし指を何本並べればあなたに届くのだろう。どれだけのフィルタを介し、どれだけの夜を越えれば。今日はとても寒い、このまま消えてしまいそうなくらいに。私は自らの水分を恵まれない鯨に寄付し、残りを封筒に綴じて切手を貼った。窓際に置いておけば翌朝には届くだろう。