彼女の宇宙 その7
向かう先に白い輪っかが見えてきて、少しずつ広がっていく、ところどころきらきらと輝く、宝石がちりばめられた指輪みたい、輪っかのなかは真っ暗でまん丸い穴が空いたよう、知らない銀河系に入ったはずなのに、誰かが穴の両端をつかんで、ぐいぐい押し広げていく、知らない天の川の底で光る砂も、かきよせられてとぎれてしまった、
ブラックホールの重力圏、と隣の席の彼が言う、空間がゆがんで光すら曲げられてしまう、重力レンズ現象、ブラックホールの向こう側にある星の光が密集して輪のように見えてるんだ、近づけば近づくほど光の届く範囲がせまくなっていく。
つまり、私はブラックホールに近づいているってこと?
円の中心にブラックホールがあるんだ、中心から円までの距離をシュバルツシルト半径、円を事象の地平線とか言ったりする、あれ、それ知ってるかも、って言ったら彼はいつの間にかイシダさんにかわっていて、光が閉じこめられて出てこれないから内側がわからないの、宇宙の果てと似ているでしょうって笑った、そのあいだにもどんどん穴は広がって、みるみる輪っかは外側へ、ついに行く先は真っ暗になってしまった、ふりかえるとリングがいっそう強く光りながら縮んでいく、トンネルみたい、私は透明なからだをぶるっと震わせる、
ブラックホールに近づくと死んじゃうって誰かが言ってた、私、死ぬのかな。
死は存在しないの、とイシダさんが言った、認識できないし体験できない、認識し体験するわたしが存在しないから。
でもひとは死にますよ、どうやって? 心臓が止まって、意識がなくなって、意識はいつなくなるの? 脳波が弱くなったりしたとき? 心臓や脳の停止は、死そのものではなくて、そうなったら死んだことにしましょうという約束でしかないの、死は存在しないから測れないけど、死体として残る肉体を測って、生きている肉体と比較して、死んだように見えるって言ってるだけなの、相対的にね、だから本人はもしかしたら死んでいないかもしれない、本人にもわからないかもしれないけど、
じゃあ、私は死なないのかな。
そもそも、アマノさんは生きているのかしら、ってイシダさんが意地悪っぽく笑う、生も死と同じくらい不確かなものよって、私はちょっと考えてから、今は特によくわかんないけど、でもとりあえず私はここにいますよって言ったら、そうね、それでじゅうぶんだと思う、
そうしてまたイシダさんは消えてしまった、私はひとりになった、でもたぶんそれは今さらな話で、私はずっとひとりだったし、それはどこまで行っても、宇宙になっても変わらないことなんだと思った、
ただ、私が知らないうちに、ひとりになったことよりも、もっとさびしいことがあったような、そんな気がしていた、男の子やイシダさんといっしょに、私も消えてしまったんだと思った、半分だ、半分の私は、宇宙になった私からはなれていなくなってしまった、ここにはもうひとりも残っていない、それがとてもさびしかった、
光の輪っかはもっと小さくなって、ミラーボールみたい、ビー玉みたい、コンペイトウ、塩の結晶、そうして私はブラックホールにのみこまれた、
もう一度ふりかえって正面を向こうとしたけれど、上も下も左も右も前も後ろもわからない、上も下も左も右も前も後ろもブラックホールだった、
こんにちはブラックホール、
さようなら私の宇宙、
さようなら私、
気の遠くなるような空間、
気の遠くなるような時間、
気の遠くなるような闇、
気の遠くなるような無、
これは、死、なのかな、
でも、まだここにいる、
ここで、思う、考える、
思い出して、名前、
誰か、知ってる、
あなた、誰、
私は、
私、
、
、
光
が、
…………
……………………
「おなまえは?」
しらないひととがいう にこにこしている
おかあさんもだまってみてる
あまのゆう
ってだれかいった
だれ?
ちがう
ぼくのなまえは、
みずかみこうた。
<終>