獣が牙をむく――『追われる男』
ジェフリー・ハウスホールドの『追われる男』(創元推理文庫)は英国冒険小説の古典である……というと、清く正しく明朗快活な冒険物語を思い浮かべるかもしれないが、この小説はそういうものではない。
……なんなんだ、この主人公は?
読み始めてすぐに困惑が押し寄せる。
主人公が何者かを暗殺しようとして失敗し、捕らえられるところから始まる。彼は拷問を受けた後、事故を装って殺されそうになるが、なんとか一命をとりとめる。ここまでわずか3ページ。
その後は主人公の逃走とサバイバルが語られる。個々の場面での彼の思考とアクションは、簡潔ながらも十分に描かれる。
その描写から男の性格が浮かび上がる。他人に頼らず、厳しく自身を律する不屈の精神。自己の信条を徹底して貫く姿勢。……と書くと恰好よさそうだが、その頑固さは無茶にも思える行動につながる。一般的な現代の日本人が警察に頼りそうな場面でも、決してそういうことはしない。他人の助けを借りるのは必要最小限。これまでの暮らしを惜しげもなく捨てて、大胆、あるいは極端な行動に出る。読んでいて戸惑うことがある。
そもそも、彼の行動の背景が分からない。彼が狙ったのはヨーロッパのある国の要人だったと語られる。だが、彼はなぜ暗殺を企てたのか? 何者かの命令を受けたわけではない。自らの意志による行為だが、その動機は語られない。
戸惑いながら読む。読み進むにつれて、徐々にわかってくる。
この男は獣だ。平穏な市民生活とは相性が悪い。群れの秩序から離れ、獰猛さを抱いて生きる獣だ。そういえば、この小説の原題は"Rogue Male"――群れから離れた雄の野獣を意味する語句である。
『追われる男』が発表されたのは1939年、第二次世界大戦が始まる直前。文中では明示されていないが、主人公が赴いた国はドイツ、狙ったのはヒトラーの命だ(本文の記述からも推測できるうえ、続編の『祖国なき男』では明確にそう記されている)。当時はかなり生々しかったのではないだろうか。
ストーリーはきわめて単純。
第二次世界大戦開戦前夜のヨーロッパ。英国人の男がある国の要人を暗殺しようと試みる。企みは失敗し、男は国の治安機関に捕らえられる。拷問を受けた男は前述のとおり逃走を続けて、故郷のイギリスを目指す。だが、男が生きていることに気づいた彼らは、執拗な追跡を開始する。かくして、追う者と追われる者の間に密かな、しかし激しい戦いが繰り広げられる……。
この小説は主人公の手記という体裁をとっている。
シンプルな物語を、無駄のないスタイルで語る。無駄がないどころか、むしろ語られない余白が多く設けられている。冒頭の展開の速さも、主人公が多くを語らないからだ。地下鉄のトンネルで死闘を繰り広げるシーンも、決定的な瞬間については間接的な叙述にとどめられている。主人公自身の名前も記されず、いかなる人物なのかという記述も最小限にとどめられている。そもそも主人公が訪れた国がどこなのか、暗殺のターゲットが誰なのかも明確には記されていない。
だから疑問も生じる。彼はなぜ他国の要人を暗殺しようとしたのか? なぜ手記を書いているのか? なぜ警察や公的機関に頼らず、無理をして逃走を続けるのか?
そうした主人公の事情が明かされるのは結末近くになってからだ。
物語の途中では、アクションとそれに関わる思考が丁寧に描かれる。
追っ手の行動にどう対応するのか。なぜそうするのか。相手の動きと自分の置かれた状況をどうとらえて、どう思っているのか。行動と思考。そこに、この名前もわからない男の特異な個性が色濃く反映されている。動機も背景もわからないまま、ただ主人公の行動原理を見せられる。
この小説には過剰な何かがある。
ストーリーをシンプルにして、語りから余計なものをそぎ落としたことで、むしろ過剰さが際立っている。
その過剰な要素とは何か。主人公の不屈の精神と表裏一体の獰猛さ、あるいは凶暴さだ。獣性といってもいい。
いくつかの場面で、主人公は自身を獣にたとえる。
「それはハンターに追われる獣の思考だった」
「それは巣穴のなかでじっとおびえて待っている、野獣の面相だった」
「獣になって生きてきたわたしは、本当に獣になってしまい……」
物語の大部分で、彼は追われる獣だ。だが、いくつかの場面で、追いつめられた獣は生き延びるために牙をむく。その様子が丁寧に語られることもあれば、ほとんど語られないこともある。いずれにしても、彼の獣としての凶暴さが噴出する瞬間である。
彼の逃走あるいは闘争を支えたのは、不屈の魂と獣の獰猛さだ。その二つは、実は同じ事象の異なる側面なのかもしれない。
【追記】
続編の『祖国なき男』についてはこちらに。
『エージェント17』の作者ジョン・ブロウンロウが、自分にとって重要な作品として挙げた三作の一つがこの『追われる男』である。