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#note書き初め「感謝」

今年は"感謝する"を意識する1年にしようと思っている。

その理由は、先月、夫と「感謝」について議論し、
理解し合えず言い合いに発展したことが大きい。

考えがまとまっていないかもだけど書こ。

「感謝してほしい」はダメなのか

クリスマス休暇は夫+子ども達でイタリアの夫の実家で10日間過ごし、
私は仕事が長期で休めなかったため、別々に過ごすことになった。

おいおい、ヨーロッパでは、1番大切な家族と過ごす文化がある日に
おいてけぼりかよ。

と思う反面、

貴重なお一人時間、満喫しよ♡

快く送り出そうじゃないか。
と落ち着いていた。

高齢の義両親に来てもらうのは無理だし、
クリスマスを孫や息子(夫)と一緒に過ごすことが
彼らの唯一の楽しみであろうと容易く想像できたし、
それなら親孝行じゃん、と。

でもね、心のどこかで私は、
夫に感謝して欲しかった。
「快く送り出してくれてありがとう」
と言って欲しかったし態度でも示して欲しかった。
出発前に風邪をひいてしまい精神的に弱っていたのもあったかも。

でも夫は、
「そんなの当たり前。行くことを反対するなんてわがまま」
と言ってきたし、実際態度がそうだった。

私 「ありがとう、って言ってくれるだけで救われるのに」

夫 「感謝されたいからなにかするっていう原理が変。
人になにかよいことをすること自体に喜びを感じるべきで、
『ありがとう』を期待するのは間違ってる。
しかも、あと何回過ごせるかわからない親とのクリスマスに対して
難癖つけるのは、理解できない。わがまま」

私「難癖はつけないけど、
私だって一緒に過ごしたい気持ちがあるのに
そこを抑えて快く送り出そうとしてる。
そこに対する感謝とかないわけ?」  

何回も話をしたけど、お互い相手に対する理解できないまま、
今に至っている。

結論=「感謝してほしい」はダメじゃないけど、
感謝してもらえなかった時にものすごく傷つく(´;ω;`)ウゥゥ

おまけ : 癒しの言葉

夫の言うことが正論かどうか、私には判断できないけれど、
言い合いした翌日、スマホから目に入ったこの言葉に
癒された。
そして、私の正論を押し付けて、
誰かを傷つけることがないように
配慮しようと誓った。

正論というのは、「用法・容量」を間違えると
人を思った以上に傷つけてしまうので、
取り扱いには十分な注意が必要です。
相手の精神状態を配慮しつつ、
少し控え目な表現で伝えること。
正論というのは、常に正しいものですが、
正論が人を傷つける凶器に変化すると、
それは正しくない行為に変わってしまいます。

インスタの誰かの投稿。スクロールしてしまい出典不明

感謝ノート

1日に1つ、なんでもいいから感謝の言葉を手帳に書いていく
「感謝ノート」というのを聞いたことがある。

感謝することで、自分がもっと幸せになれる、
パワーが湧いてくる、
ポジティブに毎日を送ることができるらしい。

逆でも効果はあるのだろうか?
つまり、下心ありきで
自分がもっと幸せになりたい、
パワーを沸かせたい、
ポジティブな毎日を送りたいから感謝ノートを書く。

感謝されるのを期待することは、
傷つく可能性があるけど、

自分を向上させたいから
「感謝する」を意識して生活することで、
マイナスになることはなにもない。

うん、いいと思う!
だから今年、書き初めをするとしたら、
「感謝」と書き、感謝ノートを始めている。

ではまた!

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ひろこ
応援ありがとうございます🥰