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「きもてぃ・・・。」

「きもてぃ・・・。」
中学三年生になると、シンナーを覚えた。
薬物は反対派の硬派なヤンキーを目指していた為、ずっと拒んできたが彼氏との関係が終わってしまった私の心の隙間にスッと薬物が舞い込んできたのだ。
一口吸えばそれはもうとっても最高な気持ちになれるのだった。

 それから私はボン中(シンナー中毒)と呼ばれる分類になった。

 ”類は友を呼ぶ” という言葉を作った人に何回拍手をしたことか。
私の周りはあっという間にボン中だらけになった。
近所にある塗装屋さんの倉庫から1斗缶をパクってきて吸い放題していたこともあった。
私の家は大きなパチンコ屋の駐車場に建っていた為、家の周りはいつも人がかなりにぎわっていた。
その人たちを家の屋根に登りシンナーを吸いながら見ているのが好きだった。
私の部屋は2階建ての2階だが、深夜になると友達がよく窓から侵入してきていた。
押し入れに何人か住んでいたこともあった。
私はいつも誰かと一緒に居ないとダメだった。
相変わらず学校には行かず、ずっと友達らと一緒にいた。
お金はないから、親のお金を盗んでいた。
食事や化粧品や服はもちろん万引きしていた。
家が飽きたら、友達の家に入り浸ったりしていた。

私は暴走族には属さなかった。
中学1年の頃に一瞬属したことがあったが、ダサくてうんざりした。
私の理想のレディースは存在しなかった。
いろんなルールや上下関係や集団行動が本当に嫌いなため、私には無理な話だった。
というかレディースきめるなら自分で単車を転がしたかった。
男のケツ乗って威張ってるとにかくダサいレディース達には興味がなかった。
だから私は一人で自由にパク車(盗難車)で行動していた。
(暴走族は盗難車厳禁)

次は車が運転したくなり、深夜親の車をこっそり借りていた。
なんでも挑戦するのが大好きなのだ。

友達と遠くに出かける夢を描いてみた。
描いてみたら実現したくなった。

私たちは友達の親の軽バンを盗み、夜間出発した。
ゆく当てもない旅。お金もない。
私はあまり人を傷つけるのが好きじゃなかったがカツアゲするしかなかった。
大きなショッピングモールで初めてカツアゲをしてみた。
威嚇してビビらせてお金を手に入れた。


だが、そこで私たちの夢の旅は強制終了してしまった。

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