2022年02月22日2時22分の出来事

0.当日まで疑っていたことがあった

さて、これを他の方々が読んでいただいている時には、このゲームの全てが終わったことと同義なので幾許か省いて書いてもバチは当たらないだろう。

僕――いや、僕達にとっての約束の日は、一般社会人にとっては平日だったので、当然普通ならば仕事だったのだが無理くり休みにして事なきを得た。
正直、自分がもっと上の立場になっていたら、おいそれと簡単には休めなかったことだろうし、その時には勝者にはなれなかったということだ。
色々な意味で複雑な気持ちではあるが感慨深い。

朝は特に遠足気分などでもなく、極々日常的にゆっくりと起きた。
前日までに絶対忘れてはいけないキャラねっと初版本とザ・スニーカーをリュックに用意はしていた。
ただ本当は、当日に向けてキャラねっとを1から読み直そうとも思っていたのだが、あまりの仕事の忙しさもあってそれは叶わなかった。

散々確認したことだったけれども、合言葉や聖地の場所も本当に間違いがないか、そこだけはしっかり確認し直した。
だが実のところ、ザ・スニーカーに用意されたカレンダーのページに合言葉を書いておく欄があるのだが、そこに記入したのは18年後の1日前のことだった。劣化した紙に乗ったインクがより一層輝いて見えた。
――ただのめんどくさがりを詩的に表現したことはさておき、僕はずっと2時22分が本当は午前2時22分なのではないかと疑っていた。
記載はしっかり午後と書かれていたのだから、そんなはずはないと頭ではわかっていた。
しかし本には意外と誤植が存在する。厳しいチェックを掻い潜ったとしても、ザ・スニーカーは月刊誌だったし、充分あり得ると思っていた。
何より合言葉の「除夜の鐘(モーニング・ベル)」が本来の意味でも2並びという観点でも14時より2時のが自然だと考えていたからだ。

結果的には保険として午前2:22に行くこともなく、午後2:22に現地へ向かっている自分がいた。
秘密の会合としては深夜2時のほうが趣はあるが、やはり現実味に欠けていると判断したからであった。

1.そして当日。勝者は自分だけに違いない

正直そう思っていた。
18年間片時も忘れないでいたわけでもなかったが、18年の間で引越しも6回はしてきた。500km以上の遠距離を移動した引っ越しもあった。
それでもその度に、本を箱詰めする度に「今年で何年目か…」と思い、捨てることなく持ち続けてきた。
別に繰り返し読むでもなく、しかし確固たる自分の意思で、18年間手元に置いてきたのだ。

たった数ページの冗談ともとれるゲームに乗っかって、現実18年後を迎える人間など、自分くらいなものだろうと踏んでいた。
万が一にも他に同じような人がいたとて、10人くらいが関の山だろうと。

本当にそう思っていた。

だからこそ、
現地に着いた時にどうこのゲームのやりとりが行われるのかとか、雑誌と本を手に持っていれば後ろからトントンと肩を叩かれるのだろうかとか、既に先生に向かって数人が列を作っているのだろうかとか。
そんなことを電車の中で考えていた。
いっそTwitterで調べてみようか、そんな気持ちがなんとはなしによぎった。
時代は2022年。18年前には無かったものもたくさんある。
今は自分が欲しいと思う情報は簡単に手が入る一方で、欲しくない情報ですら嫌でも入る時代だ。
そこには嘘も誠も入り混じっている。
この長い年月の中で一度も情報を漏洩することなく過ごしてきた。
これはこのゲームのルールなのだから、ゲームに参加している以上破る意味もない。
誰かに話したいという気持ちが1ミリもなかったかと言われると本当に1ミリもなく、むしろ何かの弾みでうっかり話してしまうんじゃないか、話さざるを得ない状況に陥るんじゃないかと──そればかり気にしていたくらいだった。
いざ、当日となった今ならば検索するくらいならバチは当たらないだろうと軽い気持ちでTwitterで検索をかけてみると、タグ付きで何人かが既に現地入りしているような内容がちらほら見られたのだった。

多くても10人くらいだろうと踏んでいた自分にとって、こうもあっけなく同志が見つかったことは、驚きと同時にむしろそれ以上の感情として
「あぁ…同じ人達、こんなにいるじゃないか…!」
嬉しさが溢れ出るのを確かに感じた。
この嬉しさというのは「同志に対する共感性」と言ってしまえばそれまでなのだが、僕らの場合は重みが違う。年月が違う。覚悟が違う。

18年前にはなかったSNSという形で、10人どころの話ではないことを知ることとなった。
そこに落胆の思いは一切なかった。
心の奥底かどこかにこっそり仕舞って表には出さずにいただろう欲望。
――勝者に与えられる賞品。
最早どうでもよかったのである。

2.想像を遥かに上回る人、そして怒られる先生

大鳥居につくと、一目見て同志だとわかる方達が、邪魔にならないような参道の端々に等間隔で並んでいた。
僕も倣って空いているスペースに入り込む。
それはまるで仲間のような――
一言も言葉は交わしていないけれども、きっと皆考えているのは同じことだったに違いない。
時計を見て、SNSを見て、周りを見て。
ソワソワしている自分がいた。
時間が来たらどうしよう。写真撮影するか?ここに居たという証の為にも。
いや、その前に「来たぞ」というだけでも意思表明すべく今のうちに写真を撮ってSNSにUPしよう。そうしてなんとも控えめな撮影を終えた僕は、迫りくる時間を待っていた。

そして来たる2時22分。

だが何も起きなかった。
18年前から待ち望んでいたこの日のこの時間。
時間はそんな思いとは関係なく、いつものように。
ただただ流れていくだけだ。

と、よく見ると鳥居近くに先生らしき方がいるではないか。
何やら明治神宮の関係者とやり取りをしている。

何も起きなかったというのは間違いだ。
もしこの世界が創作の中ならば、魔法よろしく舞台が暗転でもして、
どよめく声が聞こえて、主催者のアナウンスが響き渡ったことだろう。
それほどまでに「18年に渡るゲーム」なんて言葉は重みがある。
それだけするに値する重大イベントなのだ。
18年前にスタートし、今この瞬間に終わりを告げるゲームだ。
当然だろう。
だが、ここは現実だ。
魔法は存在しない。

実際に約束の地約束の時に起こったことと言えば、
この想定を上回る大勢の同志達が集まる光景に、どうやら明治神宮側がテロの可能性を危惧したようだということ。
そのことで先生がお叱りを受けたこと。

というのが、鳥居前の開かれた参道に集まってもらうよう促され、
そこでの先生からのお言葉だった。

その一報に一同笑い――いや、神宮側からしたら笑いごとではないのだが、
なんだろう、肩の荷のようなものが下りた。
そんな気持ちからの笑いだったように思う。

そこからは終始穏やかな雰囲気に満ち満ちていた。
この状況に不満を訴える人などいなかった。
ただただ、主催者である先生も、参加者である自分たちも、誰一人欠けることなく全員。
今ここに18年前を起点として集まってきた同志として、言い知れぬ感慨深さしかなかった。

一行はそこから明治神宮前駅へ移動し、そこで新たにこのゲームのフォローを別の形で行うことが先生の口から語られた。
そしてひとりひとりとの挨拶の場も設けてくれていたが、ゲームについでの想い出の文で触れているが、僕にはその資格はないと判断し、その場を後にした。

こうして秘密のゲームは、感動のフィナーレを迎えることが出来ずに延長戦へと続くのだった。

「不満を感じる物言いだって? いいや、違うね。今こうしてこの文を書くことも、あの場でフィナーレを迎えなかったが為の行為だろう? 最高じゃないか」

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