才能が全くない人はいない
「私って、才能ないんですよね」
と最近私の周りでよく聞く
才能…ある個人の素質や訓練によって発揮される、物事をなしとげる力
なんだけど、私の周りの人たちは、これがないと嘆く人が多い。
妹とハンドメイドアクセサリーのお店に行って、パーツを選んでいたら妹に言われ、ピアノを弾いている人を見かけて後輩が言った。
「私には才能なんてない」
私からすると「果たして本当にそうなのだろうか…」なんだが。当の本人たちが凄く真面目な顔をして言うから、私は考えた。
私が2人に共通して言えるなと思ったことは、
「やってもないことに対する才能欲しい、は無い物ねだりにしか聞こえない」と言うことだ。
そんなこと言ってたら私だって楽器が吹ける才能が欲しいし、バレーボールができる才能が欲しい。でも、私は2つをあったらいいなとは思うけれど、努力なんてしたことない。そんな私が
「トロンボーンの才能欲しい〜」「バレーボールの才能欲しい〜」って言っても、じゃあ始めてみたら?としか言えないだろう。
才能のあるとかないとかって、そもそも始めてみないとわからないわけで、やり続けてもなんの芽も出ないとか、意味がなかったなぁって思わない限り、少しは才能になってるんじゃないかと私は思っている。少なくとも、そのやってること自体を継続させ続ける集中力だって一種の才能だろうし、息抜きをして、自分でストレスフリーになることだって才能だと私は思う。
妹には、きついものごとを自分のペースでやれる才能がある。実習や課題、日々嘆いているが彼女は折れない。あと、はるかに私より友人が多いイメージがあるから、友達を作る才能だってある。物腰が柔らかいから人に好かれる才能もあるなぁ…。
後輩には、人を惹きつける才能があると思う。これはもう魅力なのだろうが、「いいな、この人」と人に思わせる才能があると思うのだ。あとは自分の個性を活かせる才能がある。選ぶもの、話す言葉、彼女らしさが全面に出ているからこそ面白いと感じる。
きっとこの2人にはもっともっと才能はあるのだろう。そんなのはこれから知っていけばいい。なんなら、妹はトロンボーンも吹けるし、後輩はバレーだってできる。
なんだよ才能の塊かよ。
もちろん私にも、何かしらの才能はあるだろう。自分でもうすでに自覚をしているものもあるだろうし、側から見られないとなかなか気づけないものもある。それに才能をつけたいからこそ、私は努力をする。
アニメみたいに、才能のカケラが突然降ってきて、それを手に入れられたら最高だなぁとは思うけれど、人間そうはいかないものなのだから…。
自分には才能がないと思っている全人類に伝える。才能なんて、自分の努力次第でどうにだってなると思うし、自分が気づいてないだけのことだって山盛りあると思うのだ。
「私は〇〇を8年間努力を続けて、賞を取れなかったけれど、妹は私の半分以下の年数と努力で賞をとりました。」
なんて人だっていると思うけれど、それは才能とかってよりその子の素質が、あなたよりちょっと多くあっただけだと思おう。私からすると、そんなのって致し方なくて。私が書く文章より、面白いものを書く人は山ほどいるし、その人はもしかしたら昨日文章を書き始めた人かもしれない。
でも、そんなことを1つ1つ気にしていたら、私は死んでしまうだろう。だから、周りにはないものを見つけたいからこそ、努力を続けるのだ。才能が開花したとして、天才にはなれなくても、奇才にはなりたい。
それに私の周りには、自分で自覚のない才能の塊様たちはたくさんいる。だから私だって日々感化されて、自分を磨こうと思えているのだ。
何もしていないのに、したこともないのに、「才能が欲しい」そんな無い物ねだりにならないためにも、努力していきたいと思うんだ。
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