映画感想 ~never rarely sometimes always~


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見に行った.

映像が淡々と進むのが辛かった、

孤独で不安でいっぱいの子どもたちは痛ましい出来事の中で必死に立っているしかなかった. 





映画は初っ端、主人公が「he's got the power」を歌うところから始まる.

 多分実際は男性にメロメロな女性について歌われているただのラブソングなんだけど、映画の文脈からみると、この曲の歌詞は恐ろしくグロテスクに解釈できてしまう. 

力強かったり震えて掠れたりする複雑な声色が主人公の内側を表現している気がして、何か感じ取らざるを得ない. 

是非原曲と比べてほしい、本当に解釈が180°回転する感じが伝わるはず.

なんだか女性であることの理不尽さを自覚して、世界への解釈が180°変わる瞬間みたいな歌だ.

主人公役のSydney Flaniganはシンガーソングライターでもあるんですね. 声質と歌い方がすごく素敵だった. 

個人的に、俳優さんが歌を歌うと言葉を噛んで含ませるように使って歌われるので好き. 

つまりこの歌は、噛んで含ませるようにストレートな苦しみを伝える歌だったわけですが.

こうやって始まって、ジワジワ主人公のストーリーと世界中の女の子たちのストーリーがシンクロするのは正直言って恐ろしい気持ちになる.

あなたにもどうぞ見に行って欲しい.

記録だけど、少しはあなたき読まれることも加味して書こうと思う.







主人公のオータムは終始微妙な表情を保っている. 

従姉妹のスカイラーとささやかに笑い合うことがあっても、その顔はすぐ固くなる. 

不安と緊張と、孤独と、警戒の顔だと思う.

女の子たちは表情、互いに通わせた瞳の揺れ、途切れ途切れの会話からお互いの不安と緊張と孤独、警戒、傷つき、息苦しさを共有する.

主人公が感情的になったのは、1番強烈な印象を受けるタイトルのシーンと従姉妹のスカイラーがお金の為バスの男に連れられるシーンくらい.

大抵は笑ってネタにしたり流したり無反応を装ったりしていて、泣いたり怒ったり感情的になったりしてはいけない.

この女の子たちは私たちだ.









原題になったシーンは、見続けるのが辛いほどだった. 

本当に痛ましくて早く終われ早く終われってずっと祈るしかなかった.

17歳の女の子2人が性的に搾取されお互いの瞳を重ね合わせるシーンのたびずっと暴力に晒されて生きる日々を感じて身体中に力が入る、

ずっと傷をなぞられて動揺して疲れる、

女の子たちの今にも溢れそうな不安と緊張に終わりが来るエンディングが早く欲しい、

(しかし、この緊張と不安は女の子である限りずっと私たちのあとを尾けてくる)

終始一刻も早く映画終わってくれと祈ってた....







主人公が地元のペンシルベニアでは満足な検査を受けられず、心理的安全も守られず、2人が仕方なくニューヨークへ出ていくのもリアルだ. 

地方では凝り固まった価値観の人間が根強く居座っていて、安心して頼れる人も場所もない. 

子どもは“中絶は殺人”のビデオを見せてくる中年女性にどうやって抗えるのだろう. 


だって知識やサポートを受けられなかった孤独さにつけ込む大人に、優しさの皮をかぶって子どもを操る大人の存在に、地元から抜け出して初めて気付くのに.... 




本当に今まで、女の子たちは孤独を寄せ合って支え合って生活するしかなかった.

地元でも必要以上に話したりせず、けれども確かに互いの拠り所となって生活していた2人の女の子たち、片方のピンチになりふり構わずクソ野郎からお金を盗んだり、自分の身体をかえりみずに探し回って小指を握りに行ったり、2人の連帯にはやっぱりどうしても心が震えた. 

微妙に空いた距離感や探り合う沈黙、互いの変化を敏感に感じ取る観察の目など思春期の女の子たちのヒリヒリした不安定な関係も感じられたけど、それらを踏み越えて手を繋ぎ、連帯する2人にはやっぱりグッときた. 


(でもそれって少女の私が彼女らへの仲間意識によって感じたものな気がする. 私は21歳でもう大人だから、“少女だった私”の感じ方と共に“この2人の子どもたちを守れない大人の私“としての感じ方があるべきだよね.)






それはそうと、映画タイトルのシーンが1番の見せ(られ)場で製作陣が我々に突き刺したかった大伏線回収のはずなのに、邦題変えられたのとても気に入らない!

変える必要あったか? 必要どころか失態だと思いますが... 

(たしかに瞳を印象的に映すことで終始17歳の女の子目線が徹底されていたとは言いましたけど、原題の伏線回収を妨げてまで変える必要はなかった)

まあ輸入モノはいつも国内関係者に弄られて台無しになるのでそこは諦めがつくとして、ポスターだけは本当に最悪で見過ごせないので突っ込む.

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 見てください、“勇敢”? “自分で選ぶ未来のために“⁇ ”力強く、深い感動を与えてくれる“⁇?

....何を言っているんだこの人たちは. 

勇敢なんじゃない、ただ女性で子どもであるだけ、搾取される弱者だから出来る限り自分を防衛するしか術がないだけ、未来は選べない(選べないからこの映画は作られたのだ. そんなこともお分かりでない⁈)

どうか感動なんかせず、差別的で侮辱的な社会構造に自分が参加していると自覚してほしい、そして是が非でもこの出来事を体験する現実の女の子たちがいなくなるように行動してくれ. 

なのに、極め付けは “ーー痛みを感じながらも、この景色を見つめ続ける。” ......いやいやいや違うだろ、この景色を見つめ続けさせるな!!!!!!

ハ〜〜...もう勘弁してくれよ、本当に映画見た?「82年生まれ、キム・ジヨン」や「スーパーノヴァ」でもこういうことがあった. 日本の輸入映画作品関係者、この手の作品の文脈をまるっと無視して適当な感動に落とし込むの、そろそろいい加減にしてほしい、切実に.






ハア、わきまえず輸入映画関係者への怒りの表明をしてしまったけど、映画の感想に戻る. 



カメラワークがインディーズとかドキュメンタリーぽくて、そんな感じで一貫して17歳の女の子目線の地元、家、都会の夜、病院だった. 17歳の女の子の不安、緊張、警戒の映像化にとても成功していた. 

サウンドでも、主人公が耳と心で聞いたものが表現されていた. 

特にバス移動の静けさから地下鉄移動の騒音という音量の緩急で次第に高まっていく主人公の不安が表現されたのは、緻密なストーリー構成を感じてウオ〜〜!となった. 

使い古された古典的な手法なんだろうけど、私はやっぱり興奮したよ. 

音は直接頭に感情を突っ込めるから大事だ.






全体的に....

引っかかって作品への入り込みが止まるシーンがなくて感動した.

(それだけで感動しなきゃ行けない)

私にとって必要な映画だった.

見に行って良かったです. 

何度も直視していられなくなって感情が溢れそうになったけど、それは自分たちが社会でどんなに低い立ち位置であるかという現実を正しく切り取ってもらったから. 

そして現実の子どもたちが暴力から身を守れる機会が限りなく少ないことについて正しく示してくれた. 

この女の子の孤立を無視して、これらの女の子たち2人の連帯を手放しで尊ぶようではいけない.

 



ウ〜〜〜ンもっと“男に生まれてたらと思う?“のシーンとか、スカイラーがずっとキャリーケースを持ってたところとか、製作総指揮のRoseGarnettのこととか話したいことたくさんあるけど文字にする気力ないです.

まとまってないけど記録なのでこのまま投稿しちゃうぜ!8/14公開の「愛のように感じた(it feel like love)」も見に行く.



2021.07.18

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