戦後の石川県議会選挙区定数の変遷

 今回は石川県議会の戦後の選挙区定数の変遷を取り上げます。戦後とはいうものの、終戦から間もない1947年は混乱した時期だったため取り上げず、1951年からです。
 石川県は、旧国名から加賀と能登の2つの地方に大別されます。加賀地方は、広々とした加賀平野で稲作をはじめとした農業が盛んであり、各種交通路が発達して物流が盛んであり、商工業も活発です。一方能登地方は、地形的な面から耕作地が限られており、農業だけではなく漁業や林業などで収入を得なければなりませんでした。ただ林業などは需要があった時期は良いのですが、戦後になると生活様式の変化や外国からの安価な木材の輸入によって、林業が衰退しました。また高度経済成長によって大都市部への労働人口の集約といったことにより、能登地方の人口が減少しました。

 県の中心都市である金沢市は、人口46万人あまり(2015年国勢調査)を数える都市です。藩政時代は、江戸、京、大坂の三都につづく賑わいだったといいますが、それは前田家が加賀、能登、越中の三カ国を領有しているため、家臣の数も多く抱えることになって、金沢の町の人口規模も多くなってしまったのです。

 では石川県議会の選挙区定数の変遷を具体的に見てゆこう。

 まず分析の基本として、金沢市、加賀(金沢市とかほく市、河北郡を除く)、能登(かほく市、河北郡を含む)の3つの地域に分けます。この3区分は、現在の衆院選挙区の区分と同一です。具体的な自治体は、加賀は白山市、野々市市、能美市、小松市、加賀市、能美郡。能登は、かほく市、羽咋市、七尾市、輪島市、珠洲市、河北郡、羽咋郡、鹿島郡、鳳珠郡です。 

 表をみると、定数過少選挙区は金沢市のみ、定数過多選挙区はほぼ能登地方のみです。この現象は、戦後の石川県の人口動向と関係があります。

 まず金沢市の戦後の人口推移から見てゆきます。1950年時点で金沢市の人口は252,017人と、既に20万を超えています。当時の県人口が957,279人ですので、県人口の26パーセントを占めています。その後も人口は増加して、2015年の国勢調査では465,699人で県人口の40パーセントを占めています。選挙区の定数は1951年で12でした。その後は配当基数どおりに議席を増やしましたが、1975年に16、1983年に17になってから配当基数どおりよりも少ない定数過少選挙区になりました。さらに2011年には総定数が減って、それに伴い配当基数も減少したため、定数も減りました。現在も定数過少選挙区のままですが、これは金沢市が中核市であることと関係しています。

 加賀地方はどのような状況だったでしょうか。1950年の人口は276,793人で県人口に占める割合は28.91パーセントでした。その後高度成長期には人口は微増したが県人口に占める割合は減少しました。定数のほうは、1951年には14議席でしたが、割合が減少したため1975年には13議席に減っています。その後人口は1990年に369,545人、2015年に393,719人と増加していき、県人口に占める割合も30パーセントを超えています。この人口の増加は、全域にわたっていますが、とりわけ金沢市に隣接する松任市や石川郡野々市町の増加が顕著です。ただ定数のほうは増えず、2019年時点で15議席です。

 次に能登地方の状況です。能登地方は他の2つの地域よりも面積が広いとうこともあるのですが、1950年に428,469人の人口をかかえ、県人口に占める割合は44.76パーセントにのぼりました。その後、高度経済成長期になると人口が減少してゆきます。1970年に359,170人、県人口に占める割合は35.83パーセントに減りました。七尾市や金沢市に隣接する河北郡では増加していますが、他の市町村は減少一途です。2015年には294,590人となり、県人口に占める割合は25.53パーセントにまで減っています。定数については、1951年に19議席でしたが、2019年には12議席にまで減っています。しかし、減ってはいるものの、1970年代半ばから定数過多選挙区が現れています。1995年の能登地方全体の配当基数は14.21人でしたが、実際は16人配分されています。

 現在唯一の定数過多選挙区は羽咋市・羽咋郡南部選挙区です。羽咋郡の北部は単独の選挙区ですが、南部は羽咋市に合区されています。もともと羽咋郡全域が一つの選挙区でしたが、1958年羽咋市が誕生したとき、南北に郡が分断されました。そのようなとき、他の府県では分断されたままひとつの選挙区のままという例もありますが、石川県議会は人口の多い北部を単独選挙区を設置し、人口の少ない南部は羽咋市と合区するという方法を選びました。このような郡が分断された例として、石川県では1970年に石川郡松任町が市制施行された際、松任市の西側の美川町が飛び地のように他の石川郡の町村と切り離されて、美川町のみ松任市と合区させて、他の石川郡の町村は単独で選挙区としたものがあります。

 一人区は全般的に多くありません。表ではじめて現れるのが1967年の羽咋郡北部選挙区です。その後長い間この選挙区だけでしたが、2003年に輪島市選挙区と珠洲市・珠洲郡選挙区が加わり3選挙区になりました。平成の大合併後の選挙区再編により、2011年と2015年は15選挙区中6選挙区が一人区となり、40パーセントになった時期もありましたが、現在は14選挙区中4選挙区となっています。

 まとめると次のように言える。県都である金沢市は、人口が多い分定数も多く配分されているが、中核市であるがゆえ配当基数よりも定数を減らされている。加賀地方は、概ね配当基数どおりに定数配分されている。能登地方は、人口が減少していったが、従来の定数が維持された選挙区があったため、定数過多選挙区がいくつか現れるようになった。

(参考文献)

石川県議会編「石川県議会史 第三巻・第四巻」1967年・1993年                   

高澤祐一ほか「石川県の歴史」山川出版社 2000年

(ウェブサイト)

石川県議会

石川県選挙管理委員会

総務省統計局国勢調査のページ

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