堤 義典

専門は地方自治・地方政治ですが、最近は世界各国の選挙区定数について研究しています。博士号を取得しましたが、どこにも就職できず、細々と研究しております。趣味は鉄道・バス・相撲・野球・歌謡曲となんでも興味を持ってしまう性格です。福井市に住んでいます。

堤 義典

専門は地方自治・地方政治ですが、最近は世界各国の選挙区定数について研究しています。博士号を取得しましたが、どこにも就職できず、細々と研究しております。趣味は鉄道・バス・相撲・野球・歌謡曲となんでも興味を持ってしまう性格です。福井市に住んでいます。

最近の記事

戦後神奈川県議会の選挙区定数の変遷

 今回は神奈川県議会の選挙区定数、戦後の変遷を取り上げます。神奈川県は古来より源頼朝が鎌倉幕府を開いたり、そのあとの室町時代においても鎌倉公方がおかれるなど、東国の政治の中心として機能してきました。江戸時代は、県の西半分の多くが小田原藩の領地でしたが、その他は幕府の直轄地や旗本領、他の藩の領地など領国支配は錯綜していた状況でした。幕末の1858年に日米修好通商条約が結ばれると、それまで一漁村にすぎなかった横浜村が開港地として選ばれ、外国との交易の中心地として発展してゆきました

    • 戦後の鹿児島県議会の定数配分

       今回は鹿児島県議会の選挙区の定数配分を取り上げます。鹿児島県は、九州最南端に位置し、比較的温暖な気候でしられています。薩摩半島と大隅半島という2つの半島がある九州本土と、種子島、屋久島、奄美群島などからなる薩南諸島が、県の領域です。  古代においては、一部の住民が「隼人」と呼ばれ、大和の中央政府に抵抗しましたが、やがて中央政府の支配に組み込まれていきました。戦国時代から江戸時代にかけては、島津氏が領国を支配しました。島津氏は1609年に琉球出兵を行い、その際奄美を支配下に組

      • 戦後香川県議会の選挙区定数の変遷

         今回は戦後の香川県議会の選挙区定数の変遷を取り上げます。香川県は日本の都道府県のなかで最も面積の小さい県です。県の南部は山地ですが、北部は讃岐平野が広がっています。比較的温暖な気候ですが、少雨でありかつ川が少なく、古来より渇水に悩まされており、ため池が多く作られてきました。古くから物資の集散地として栄えてきました。江戸時代は東側が高松藩、西側が丸亀藩に統治されており、現在の地域区分にも影響を与えています。産業面では、塩、木綿、砂糖が特産品としてしられ「讃岐三白」と呼ばれまし

        • 沖縄県議会の選挙区定数の変遷

           今回は沖縄県議会の選挙区定数の変遷を取り上げます。沖縄県は、本土の府県とは異なる歴史を辿ってきました。また文化も違います。第二次世界大戦ではアメリカ軍が沖縄本島に上陸し、激戦地となりました。終戦後、アメリカの占領下におかれ、1972年に日本に復帰しました。地政学上などの理由からアメリカ軍の基地がおかれています。経済面では、農業はサトウキビ、タバコ、ゴーヤー、マンゴーなどのトロピカルフルーツが主要産品があり、漁業ではマグロ、イカ、モズク、畜産では固有種のアグー豚が有名です。重

          戦後岡山県議会の選挙区定数の変遷

           今回は岡山県議会の戦後の選挙区定数を取り上げます。岡山県は、県が自称しているように「晴れのくに」と呼ばれ気候が温暖なことで知られています。また古代においては、ヤマト王権に匹敵する勢力を誇った吉備国が存在しました。吉備の勢力を恐れたヤマトは弱体化した吉備国を復活させないため、備前、備中、備後に三分割します(後に美作も設置)。このうち現在の岡山県は、備前、備中、美作の3地域にあたります。  吉備国の存在からもわかるように古くから経済力がある土地でした。温暖な気候によって、穀物が

          戦後岡山県議会の選挙区定数の変遷

          戦後大分県議会の選挙区定数の変遷

           今回は大分県議会の選挙区定数を取り上げます。九州の東部に位置し、周防灘と豊予海峡に面し、沿岸部は温暖な気候であることが知られています。廃藩置県までは、北部が豊前に属したほかは豊後に属しており、江戸時代には中津、杵築、日出、府内、臼杵、佐伯、岡、森の八藩に分かれていました。そのため現在でも、大分県はまとまりが悪いとも評されています。かつては、農業が産業の中心でしたが、1960年代に大分市が新産業都市に指定されて以降、沿岸部にコンビナートが造成され、各種企業が進出するようになり

          戦後大分県議会の選挙区定数の変遷

          戦後大阪府議会の選挙区定数の変遷

           今回は大阪府議会の戦後の選挙区定数を取り上げます。ただタイトルに戦後と付いていますが、混乱していた1947年の選挙は取り上げず、1951年から2019年の選挙までとしたい。   大阪府は、首都圏に次ぐ経済圏を構成している関西圏の中核を担う府県のひとつであり、古くから都と九州、朝鮮半島や中国大陸とを結ぶ物流の中継基地として、繁栄してきました。明治時代以降は、いち早く近代的な工場を建設したり、銀行などの経済の基盤を整備して、経済の先進地としての地位を確立しました。戦前は関東大震

          戦後大阪府議会の選挙区定数の変遷

          戦後愛媛県議会の選挙区定数の変遷

           これまで都道府県議会の戦後の選挙区定数の変遷を取り上げてきましたが、今回は愛媛県です。  愛媛県は、農業ではみかんや伊予柑などの柑橘類の生産が盛んです。また古くから東部の別子銅山で銅の採掘が行われており、その地理的条件を生かし、明治以降化学工業をはじめとする製造業が県東部で盛んになりました。  愛媛県は江戸時代、松山藩、宇和島藩、西条藩など8つの藩に分かれて統治されていました。いわゆる「伊予八藩」と呼ばれるものです。このような歴史的要因からなのか、あるいはいくつかの山地によ

          戦後愛媛県議会の選挙区定数の変遷

          茨城県議会の選挙区定数の変遷

           今回は、茨城県議会の戦後1951年からの選挙区の定数の変遷を取り上げます。終戦直後は混乱した時期なので、取り扱いません。  茨城県は様々な顔を持つ県です。東京に近い南部はベッドタウンとして開発が続けられていますし、筑波研究学園都市は様々な研究機関が集積しています。また鹿島臨海工業地帯や日立市は重工業の一大拠点です。一方で農業産出額が北海道、鹿児島県についで第3位という農業県でもあります。  これから見てゆく各地域にも、それぞれ特色があります。江戸時代は御三家のひとつ水戸徳川

          茨城県議会の選挙区定数の変遷

          戦後の岩手県議会の定数配分

           今回は岩手県議会の各選挙区への定数配分を取り上げます。時期は戦後ですが、混乱していた最初の選挙である1947年は取り上げません。  岩手県は北海道に次いで日本で2番目に広い県です。県の北半分と青森県の東半分、秋田県の一部を領地にしていた盛岡藩は、幕府から「幅広」などと評されていました。その盛岡藩(北郡と三戸郡を除いた地域)と仙台藩の領地だった南部の5郡を合わせて岩手県が設置されました。  県内は豊かな水産資源を背景とした三陸地方の水産業、釜石の製鉄に代表される鉱業が発展して

          戦後の岩手県議会の定数配分

          戦後の石川県議会選挙区定数の変遷

           今回は石川県議会の戦後の選挙区定数の変遷を取り上げます。戦後とはいうものの、終戦から間もない1947年は混乱した時期だったため取り上げず、1951年からです。  石川県は、旧国名から加賀と能登の2つの地方に大別されます。加賀地方は、広々とした加賀平野で稲作をはじめとした農業が盛んであり、各種交通路が発達して物流が盛んであり、商工業も活発です。一方能登地方は、地形的な面から耕作地が限られており、農業だけではなく漁業や林業などで収入を得なければなりませんでした。ただ林業などは需

          戦後の石川県議会選挙区定数の変遷

          秋田県議会の選挙区定数の研究

           今回は秋田県議会の選挙区定数を取り上げます。秋田県は、水産資源、日本三大美林のひとつ秋田杉に代表される森林資源の宝庫ですし、かつては院内銀山や尾去沢銅山など貨幣の原料となった鉱物を産出したり油田も存在するなど鉱業も栄えた重要な地域でした。物資の集散地として、土崎や能代は湊として栄えていました。  現在の秋田県の大部分の地域は、佐竹家が治めていましたが、鹿角郡は南部家(盛岡藩)の領地、由利郡は生駒家などの小藩と幕府直轄領が混在した地域でした。  ではそのようなバックグランドを

          秋田県議会の選挙区定数の研究

          青森県議会選挙区定数の研究

           今回は青森県議会の選挙区定数を取り上げます。戦後の各選挙区の定数について考察します。なお期間は、1951年以降とします。戦後すぐは、国勢調査が戦前のもので、実態と乖離していると思われるからです。  青森県は、津軽と南部の2つの地域に大別されます。ただこの2つの地域の関係は、歴史的経緯などから犬猿の仲と言われています。青森県の政治において、たびたび対立をおこしてきました。  青森県が設置されたのが、廃藩置県から間もない1871(明治4 )年です。廃藩置県が7月15日で、青森県

          青森県議会選挙区定数の研究

          愛知県議会選挙区定数の変遷

           この記事は、筆者がこれまで調査してきた戦後の各都道府県議会の選挙区定数について、皆さまに広く知っていただこうとするものです。五十音順に記事を投稿しようと思ってますので、最初の投稿が愛知県議会ということになります。  さて愛知県議会の選挙区定数の特徴を端的に言えば、日本の都道府県議会の選挙区定数の問題点が凝縮していると言えます。  すなわち、名古屋市という日本有数の大都市を抱えている一方で、三河地区の山村に代表される過疎地域を抱え、一票の格差が拡大し、各選挙区の定数がいびつな

          愛知県議会選挙区定数の変遷

          東京都議会の選挙区定数配分(1)

           東京都議会議員選挙の投開票が間近である。そこで、今回から数回にわたって、都議会の選挙区定数配分について、とりあげたい。  今回の選挙は、総定数127は変わらないものの、いわゆる「一増一減」で定数が増加した選挙区と定数が減少した選挙区が、それぞれ1つずつ発生した。具体的には、練馬区選挙区が定数6人から7人に増加したのに対し、大田区選挙区が定数8人から7人に減少した。  また前回2017年の選挙では、いわゆる「二増二減」によって、選挙区の定数が変更されている。すなわち、町田

          東京都議会の選挙区定数配分(1)

          都道府県議会の選挙区定数の配分について

             都道府県議会の選挙区について書きたいと思います。具体的には、都道府県議会の選挙区定数の配分です。そんなもの人口比率によって配分されているだけではないか、と思う人もいるでしょう。でも、研究していくうちにわかったのですが、人口比率どおりに配分されていないのです。  なぜでしょうか。いくつか理由がありますが、理由のひとつとして、政令指定都市の存在です。政令市、あるいは指定都市とも呼ばれます。政令指定都市は、都道府県と同格、同じ権限を保持している市です。そのため、ほとんどの

          都道府県議会の選挙区定数の配分について