メッシュワーク ゼミナール #4
第4回目は対面でのワークショップを実施。実際に東京都目黒のフィールドに立ち、事前に立てた問いや興味関心に対して観察を行い、フィールドワークのレポートをゼミ生同士で発表をした。
ここでは個人のワークとして何を実施したのかについて記載する。
フィールドワーク実施前に考えていたこと、想定していたテーマややってみたかったこと
フィールドワークのテーマは「半径1kmの世界を知る試み」。事前課題として、自分の関心からおおまかなテーマを決めること、そのテーマについて知るために、どんな人・場所・行為を参与観察するのがよさそうかを具体的に考えておくことを行なった。
参考程度に半径1キロはどれくらいかのイメージを添付する。思いのほか、フィールドは広い。
フィールド×テーマは目黒と食、美術(自分の好きなコンテンツ)とした
ラーメン屋(ラーメン二郎)
👉お昼もフィールドワークの活動時間だったので行列に並ぶ(自分自身の行動の参与観察の実施)地域の美術館
👉旅行に出ると美術館によく通うため
👉企画展の鑑賞の仕方(入り口から行列になって作品を鑑賞する)に違和感があったため、なぜそれが起きるのかを知りたかった
コンテキストによる適切な会話とふるまい
『方法としてのフィールドノート―現地取材から物語作成まで』を読み、人びとの会話を観察してみたいと思ったこと
会話をすることがあまり推奨されていない場所(定められたルールがある場所)における人の会話とふるまいをいったんのテーマとした。
フィールドワークを実施してみて、調査対象についてわかったこと
2022年9月24日(土)、フィールドワーク当日を迎える。問いやテーマを置いたからといって、ことはうまく運ばない。フィールドでは思い通りにいかないことを早速痛感する。
台風、襲来である。
フィールドワークとは人びとの営みだけではなく、そこには自然があるということを感じさせてくれる出来事であった。生きとし生けるもの、あるものすべてとの関わりをみていかなければならないということを痛感する(いかに業務で考えているUXは狭い範囲に絞られているのか・・・)。
テーマ変更を余儀なくされた仲間もいたが、当初から建物内における観察を想定していたため、大きな計画変更は生じなかった(むしろ二郎の待機列が減るので、台風が見方になってくれた可能性がある)。
当日の行動
大きく4つの場所(ラーメン二郎、松本民藝家具、目黒美術館、寄生虫博物館)で営まれる会話とふるまいの観察を行なった。
わかったこと
場所ごとの観察結果を記載すると膨大な量になるため、以下の観点でのフィールドでの成果(メモで記録したこと)をまとめる(当日も同様の内容を発表した)。
自分視点(一人称)からの観察
👉ラーメン二郎の列に並び、食べる自分関わり合いの当事者からの観察
👉松本民藝家具のスタッフと私がする会話俯瞰した視点からの観察
👉目黒区美術館で絵画を鑑賞する男性2名の会話
フィールドを歩くなかで、視点を変えながら、人との関わり方を変えながら場に身を置く自分に気がづいた。当初は1と3を行う予定だったが、たまたま目に入った家具店に足を踏み入れ、興味本位で始めたスタッフの方との会話によって、フィールドとの関わり方を実践するフィールドワークにしようという衝動が湧いたのだ。
フィールドワークを通じて一番の学びは、なにを書くかも大事だが、フィールドでのメモをどのように書くかということ。自分が会話のなかにあるときにはメモは書けないこと、会話している最中からすぐに忘れるということ、記憶したいと思いながら会話をすると没入しているようでしていないこと、どのようなメモを書けば生々しい体験が呼び起こるのか、など言われてみれば当たり前で誰もが知っていることを実際に体験できたことが何よりの収穫である。他にもフィールドでのメモに関連する事項としては、以下を学んだ。
自分が関係性に関わらない観察※は比較的容易である(テープレコーダーや動画なども駆使すればさらに容易に)
※ここでの観察は事実(発せられた会話)の記録を指しており、深い示唆やエスノグラフィを書くことではない自分が関係性に関わる観察はメモをするのが難しい
また、フィールドワーカーが今ここで起こっている、この会話を一言一句とりこぼさないように記録したいなと思いつつも、体験に没入(関係性のなかに入る)しなければならないと感じるアンビバレントな心境を少しわかった気がする。
フィールドワークを実施してみて、調査する自分自身のものの見方や考え方について気づいたこと
フィールドワークの直後に伊豆大島へ旅行をした際に、自分自身のものの見方や考え方に変化が生まれていることに気づく瞬間があった。
目黒での体験を経て、フィールドに行くというのは実際の場に足を踏み入れる(物理的に身体を置く)だけではなく、そこで営まれる活動に参加すること(自分を「ひらく」いていくこと)を通じて見えてくる景色や世界を感じていくプロセスであると実感した。
だからこそ、旅先で声をかけられたときに「とじる」のではなく、「ひらいて」みる(会話を続けてみる、応答をする)自分が自然といたように感じられる。厳密にいえば自然な状態ではなかったかもしれないが、「ひらく」状態を楽しめる、好奇心を持ってそのモードに入ろうとするといった具合だ。
朝ごはんを外で食べていたときに声をかけてくれたおばあちゃんとシンプルな挨拶をするだけではなく、尋ねてみる、質問してみる、気持ちを素直に口にだしてみる、といった具合で会話を行なってみた。都内から伊豆大島に移住したおばあちゃんの生活(趣味が写真であること、旦那様は画家であること、最近腰の調子が悪いこと、など)や今の政治に対する考え(上位下達ですべてが決められてしまっている、若い世代に皺寄せがきてしまっていること、など)など初対面であることを忘れるくらいにいろんな話をした。
「旦那さんの絵を見てみたい」とお願いをしてみると、快く承諾くださり、ご自宅兼アトリエに招待をしてくれた。旦那さんともご自宅でお会いし、たくさんの作品を見せてくれたり、わざわざコーヒーを淹れてくれたりと思いがけない出会い、旅の思い出が生まれた。
これはあくまでも個人的な旅の思い出として刻まれた出来事であるが、そこにあった活動はフィールドワークでの活動と似たようなプロセスであったと感じている。これから始まる個人テーマにおいても、フィールドに生きる人びとの景色や世界を感じていくプロセスの解像度を高めていきたい。
最後に。この度、私がお会いした本多保志さんの作品展がちょうどよく10月12日(水) ~ 16日(日) で開催されるそうだ。タイミングを見つけて顔を出してみたいと思う。
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