刀ステ无伝(一応06/19マチネ)の感想レポと考察

ま~た書くんかいって感じですが、ま~た書きます。ほぼもう前回の追記ぐらいのノリです。

あと今回図説用意してないんですが、あとで読みにくいな~と思ったら追加します。

日替わりネタ

街中で十勇士に囲まれたとこから鶴丸が抜けるとこ
「あの時、助けていただいた鶴です! 覚えていない? あ、人違いでした。それならいいんです」

日替わりじゃないけど阿形と吽形が真田丸に現れた時にどっちかが櫓の上の縁に腰かけて足ぷらぷらしてたの可愛かった。

真田丸での酒宴の音頭
・おどろおどろしく
・はしゃぎまわる? 子猫のように
・好きだ―!って素直に? 叫ぶように

日替わりじゃないけど、しょりぞの槍の殺陣がめちゃめちゃキレが増してて、あ~~~~(嬉)(涙)ってなっちゃったな。

あとこれも日替わりじゃないけど、高台院に「あなたは私のものじゃなかった」って言われた時の三日月が悲しそう過ぎてしんどかった……
物から励起されてる以上、彼らは物の心を持ってて、そして励起されるほどの強い力は、人から人へ受け継がれてきた名と逸話が縁(よすが)なのに、「私のものじゃなかった、誰のものでもなかった」なんて言わないで…さみしい……ってなったな。。。
人に振るわれるか、美術品か、蔵に入るか…そのいずれでも誰かのものだったのに……終の棲家、のようなものは無くとも、止まり木のような「世話になった」間ですら、その者の物になれなかったのか、みたいな……さみしい……

そーいえば(全然関係ない話)

数珠丸が「南無妙法蓮華経」って言ってたけど、数珠丸って浄土真宗なんだ~と思ったら、南無妙法蓮華経は日蓮宗だし、そもそも数珠丸は日蓮が帯刀してたんだ~って世の中知らねぇことばっかじゃ……
(父方が日蓮宗で、母方が浄土真宗なのでごっちゃで覚えてた……と思ったら母方は曹洞宗だった……もう自分の記憶が信じられん)

複数の時間軸が分かる演出

前回、2回の大回転の演出は触れたけど、すっかり書いた気になって1㎜も書いてなかったのが、秀頼様の自害のシーンもそうだなと。
家臣たちと淀殿が秀頼の前にいて、先に自害するシーンでは鏡に角度持たせてて、最初は畳がたくさんあるように見せてるんかなと思ったけど、そもそもステアラの板って奥行きあるから、わざわざ鏡使ってそんな演出いる? ってなったら、家臣たちと淀殿が自害した後にその鏡が角度が無くなって、障子が開くみたいにして高台院が出てきたから、たぶんあそこも複数の時間軸の重なりじゃないかな。
合わせ鏡まではいかないけど、多重になってるのを使って、いくつかの時間軸があることを示してて、角度無くした=多重に姿が見えない状態になってから高台院が登場したから、高台院が初めてこの場にいる夏の陣であることを表しているんだな~と。
高台院は生霊? みたいな状態なので、秀頼が自害して、高台院と三日月だけになると鏡が偏光かなんかで中の彼岸花が見えるようになって、アニメや漫画でいう真っ白な別の空間みたいな演出なんだな~って感じ。
まぁ彼岸花は、ちょうど大阪城も燃えてるから赤がいい感じやし、あの世界は隔離された世界になるから、此岸と彼岸の境目みたいな感じになるし、今回数珠丸がいるからか仏教をイメージしやすいから曼珠沙華って語感からの「天からの花」のイメージも浮かびやすいしって感じかな。。。

あと三日月が高台院に真田十勇士を戦わせてやってくれと願って了承が返ってきた時に「高台院ならそう言ってくれると《信じていた》」って言うのが、今回の夏の陣で高台院と初めて会ったんだな~って感じた。
もしこれが何度目かの高台院のいる夏の陣だったら、ここの台詞は《信じていた》じゃなくて《思っていた》とかになると思うんだよね。
あと、无伝の後に悲伝となる以上、三日月的には高台院がここに居ようが居まいが、ここは結局放棄された世界として閉じてしまうことを知ってるから、真田十勇士と戦ってもいいと思ってんのかな。自分たちが勝とうが負けようが、どっちにしたって放棄された世界になるなら、本能のままに生かしてやりたい、みたいなじじぃ心。

(ついでメモ)
高台院の望みは一度目を逸らした豊臣の滅亡の観測。
高台院は歴史を変えたい気持ちは無い。
あくまでも豊臣が滅亡することは史実通りであるので、この場にいないはずの自分は滅亡を見届けたらここにあってはならない…と考えてるから、三日月に切ってもらいたい。
→というのは上辺だけ掬った感じで、本質的には前回の考察の方が読みが良さそう。

天伝と无伝の切り離し

前回も天伝で観測した時間軸と无伝で観測時間軸は、別の時間軸だと思うって話はしたけど、そういえばその裏付けになるかなっていうのが阿吽なんだよね。
天伝の阿吽は弥助と共に過ごしてるけど、无伝の阿吽は如水(らしきもの)と共に過ごしてて。
天伝の阿吽が「ね? 如水」って思い出の中の如水に話しかける様な、哀愁みたいな、印象だったから、天伝で弥助と共にあった阿吽がほぼ同時進行で裏で如水と居たとは思えないんだよね……

あと天伝ではまんばちゃん達が太閤と会ってしまった経緯についてはっきりと「以前にもこんなことがあった」とジョ伝の話を出してるけど、无伝ではその話は一切してないんだよね……
冬の陣での話がちらっと出てくるけど、それは我々観客が観測した天伝での冬の陣じゃなくても成立する内容だったはずだし……

あと、長谷部の「また俺は負けるのか」の台詞の整合性を考えると、やっぱ天伝と无伝繋がってないかな~って。
天伝でジョ伝の話が出てくる以上、天伝のまんばちゃんはジョ伝(如伝)を経験してる時間軸のまんばちゃんで確定だと思うんだけど、もし无伝の長谷部がジョ伝(如伝)を経験してたら、あの戦い(序伝)の負けをあんな感情で出すかな…
確かに序伝で負けはしたけど、その負けを清算したって考える方が長谷部っぽい感情かなって。
そもそも前もちょっと触れたけど、ジョ伝は三日月がお守りを骨喰に渡し、骨喰は山伏に気付かれないようにお守りを渡していたのを考えると、
・お守りも持たず、山伏が折れてしまった
・お守りを渡したが、山伏が他の誰かにお守りを渡してしまったかで、山伏が折れてしまった
・お守りを気付かれずに山伏へ渡し、山伏が無事だった(←ジョ伝で我々観客が観測)
の最低でも3ルートあるから、今回无伝の長谷部が如伝(っていうかもっと言えば助伝)を通ってないこともあり得る。

天伝との対比で言えば、真田丸で周りの流れをぶった切って骨喰が高台院に寄って行って「高台院から秀吉と同じ畑の匂いがする、なんで俺はこんなことまで忘れていたんだ(意訳)」って言ってたけど、冬の陣の骨喰って秀頼様に対してそういうこと言ってた…?太閤くんは言ってたけど……
ただ、その太閤くんのシーンは一期と鯰尾と太閤の3振りだったから、あえて対比出来ないようにしてんのかな~……

ついでにジョ伝の話なんだが

ジョ伝って第1幕「序伝」、第2幕「如伝」、隠しタイトル「助伝」、おまけ話「恕伝」だと認識したんですが、
この漢字さ~もちろん、
「序」は「はじめ。いとぐち。書物のはじめに書き添えられるまえがき」…ジョ伝含め刀ステ本丸としてのはじめ
「如」は「同じようである。そのとおりである。そのまま。ごとく」…序伝を繰り返している裏側で起こっている同じこと
「助」は「力をかす。力をそえて人をたすける。加勢」…序伝の自分達を助ける
「恕」は「他人の立場や心情を察すること。また、その気持ち。思いやり」…呑み取りの槍の心情
で全部意味通ってるけど、もうさ~~~~如水の如どうするって感じ。
なんか无伝まで観ちゃうと「如水の為の序=如伝」って感じすら出てきた。
ジョ伝に4つ意味があるように、そもそも如伝に2つ意味がある。そう、ダブルミーニング(byサー)。

无伝の如水について

无伝の如水を引っかかったとこだけ整理すると、
・如水が何度目かの時間軸の分から真田十勇士も円環の中の時間軸に送り込んだ
・十勇士だけでは結果が得られなかったから、高台院も仕向けた
・如水は自身が望むものが、三日月と同じ望むものだとしてる
・その望むもの?は「反復する過去」か「過ぎ去りし未来」か…だっけ
…となると、如水と三日月の設定が気になるな…?
悲伝鑑賞後だとまずもって三日月が何度も時間軸を繰り返してるから、その作用でジョ伝のような同じ時代へ出陣してバッタリ出くわすなんてことが起きたり、悲伝のようなことが起こったり…って思ってるけど、その繰り返される事象を如水は把握していて、三日月に何らかの変化をもたらすために十勇士を差し向けたり、高台院を差し向けたりしてるってことでしょ?
ってことは三日月よりも如水がそもそも時間軸の移動? を三日月より一歩進んだ状態でやってないと辻褄が合わなくないか…???

もうこうなると、いよいよ如水が「歴修正主義者」なのかなって感じもする。
刀ステのみならず、刀剣乱舞において「時間遡行軍」の描写は敵部隊として何度も見れてるんだけど、「歴修正主義者」って見れてないんだよな……
(活劇途中で見止めちゃったので、もし活劇に出てたらごめん)
まぁ、それでも2205年以降の未来人の中に歴修正主義者がいて、そんでそいつらが如水に目をつけて引き込んだ…とかそういう。
如水にも時渡りをしてまで叶えたい望みがある、と。

と、思ったところで今回の无伝も合わせて如水と三日月の望みが何なのか考えたんだけど、悲伝の時鳥じゃ、ないか…?

悲伝→陽伝への変化が「焼き直し」な件

維伝パンフのあの年表、紙が煤けているのか、汚れを消したものなのか、空きは無かったことにされたものなのか、とか当時いろいろ出てたと思うんですけど、今回悲伝→陽伝の変わるエフェクトが「焼き直し」だなと感じ、さらにちょうどそこで鬼丸国綱が不穏に顕現するから(あの音楽もえぐいよね…入りがなんか明るい感じなのに、桜が根から血を吸ったように赤くなったところからすげぇ不穏なんだもん)、悲伝をベースに焼き直しをすると思うんだが、そこで時鳥が気になる……
時鳥のビジュアルが当時まだゲーム実装されてなかった(よね?)鬼丸国綱に似てるのと、今回の顕現シーンを考えると、時鳥を全て鬼丸国綱に焼き直ししていくんじゃないかなって……

そもそも三日月はなんで円環の中にいるかって言ったら、何度、時を渡ってでも達成したい目標があるからってことですよね。
で、悲伝がそのターニングポイントになってる。
悲伝で三日月は、また顕現するところまで戻ってやり直すってことは、三日月が「目標を達成出来なかった」と認識出来るのは悲伝の中で起こったことの中にしかない。

時間遡行軍に本丸が襲われてしまうことか? とも考えられるけど、そもそも時間遡行軍が本丸を襲撃できる状態になったのは三日月が結いの目を作ってしまったせいなので、因果関係が合わない。

そうなる~と、私の記憶からはもう「時鳥が生まれてしまったこと」が三日月の変えたいターニングポイントなのかなって…
時鳥はその名を義輝様に与えられるまで、ふわふわと不安定な、幼子のような存在であったけど、名を与えられてからはハキハキとしていて、自我があるっていうか、ハッキリした存在になってる。
本来であれば、あの幼子のような不安定な存在は鬼丸国綱だったんでは、と。

何かが理由で顕現が安定せず、不安定な状態だが、人の身をかろうじて得てしまった「鵺と呼ばれる」存在は、本来であれば鬼丸国綱の顕現過程だったんじゃないか。
しかし、義輝に時鳥の名を与えられてしまっては、2度と鬼丸国綱として顕現が出来ない存在になってしまったんではないか。
同じ天下五剣、三日月がそれを救いにいこうとしている…?

サブタイトルの方は「不如帰」で鵺と呼ばれたのは「時鳥」で漢字を分けてるけど、ジョ伝と同じ考えなら、これはホトトギスって読みで同一視? できるから、
時鳥として不当に? 誤って? 顕現されてしまった鬼丸国綱だったはずのものを不如帰となった三日月が同化? して無かったことにして、自分も改めて三日月宗近として顕現し、鬼丸国綱が鬼丸国綱として正しく顕現されるまで円環を繰り返す…みたいな。

それがどう如水の願いとして解釈できるかは謎だが。

でもちょうど足利義輝の刀のリストに鬼丸国綱あるし……

そういや、こないだもちょっと言ったけど、そもそも官兵衛/如水/孝高、全部別に考える説…もまだありますからね…
改変/灯で頻りに「ここでは孝高だ」って言ってるので。
(いやでもそしたら、如水の名を使ってる頃じゃないんかね…どうなんですか…)

黒田官兵衛自身が地元では「如水」という名の方が歴史上の人物として覚えられてた名前だったのに、大河ドラマの「軍師官兵衛」で「官兵衛」の名の方が後の世の全国に広まっていったって経緯を考えると、この人も歴史においては名に左右されたかもな人よね…
個人的にこの時代ぐらいの偉人って幼名と、仮名+諱、戒名の3パターンの内、大体が仮名が有名で、出家後に功績を残したタイプの人は戒名が有名ってイメージがあるんだけど、どっちも有名になったタイプの人なんだよな~~~

ってとこまで今日の昼間に考えましたけど、夕方に突然則宗の軽装が来て驚いちゃって、昼間に考えてたのブラッシュアップしよ~と思ってたのが、全然出来なかったので、読みにくい文章のまま失礼します。また何か思い出したら追記します。

追記(それぞれの円環の果てに求めるもの)

ば~~~と上記書いた分と前回の考察を土台にして、それぞれ何を求めて円環を回ってるのか改めて整理&考察(っていうかもう妄想)

▼三日月
前提1:三日月が望むものは、円環を繰り返す三日月に起因する事象ではない。
→悲伝の本丸襲撃など、三日月が円環を回り続けたせいで出来た結いの目に絡む事象は、そもそも円環を回らなければ発生しない事象なので、円環を回り始めるきっかけにはならない。
前提2:三日月が望むものは、悲伝では「失敗したこと」として我々観客が観測している。
→悲伝で望む結果にならなかったことを確認したから三日月は顕現位置の時間まで戻るため。

・鬼丸国綱の正しい顕現?
→先にも書いたけど、悲伝の時鳥が鵺と呼ばれる状態を鬼丸国綱の不安定な状態と仮定した場合。
→そうなると助伝の山伏はついでのような形で救われた?

▼如水
前提:如水としては三日月の望みと自分の望みは同じものとして考えている(无伝)。
→本質的に同じ(=三日月の望みと如水の望みが全く一緒)なのか、同一線上に望みがある(=三日月の望みの副産物的なものが如水の望み)なのかは謎。しかし、三日月に何か変化をもたらすために、如水は真田十勇士や高台院を意図的に差し向けている。

・物語的に良い人の場合
ジョ伝で自分が歪めた歴史の回収?(同一線上の望み)
→ジョ伝の段階では歴史を変えても自分の野望を叶えたい願いがあったが、その後歴史は歪めるべきではないのでは、となった?
→しかしジョ伝での歪みが三日月の円環に組み込まれてしまったせいで、如水だけでは歴史の修正が不可能になった。歪みの修正の為には三日月の円環を止める必要があり、三日月の円環の果ての望みが達成されないと円環を止めることが出来ないので、どうやったら三日月が円環から抜け出すか模索している?

・物語的にあかん人の場合
逸話の研究…?(本質的に同じor同一線上の望み)
マッドサイエンティストじゃないけど、歴史が変わることや、円環というシステムの観測が面白いみたいな……

如水に関してはマジでどんな感じに落ちるのか全然分からん。今ある要素から思いつくやっとがこれ。

ついでなので円環に組み込まれてる男士確認

▼維伝まんば(仮)(暫定)
明確に書かれていないが、維伝での言動としては、何か目的があって維伝の出陣部隊に接触・手助けを行っている。その言動的に維伝の物語を把握している状態なので、三日月とは違う方法(どちらかというと普段の出陣や、時間遡行軍に近い方法)で時渡りを行っている可能性がある。
……か、三日月のように円環を回る、慈伝を通らなかったまんばという可能性もある。(よりループの尺が長い円環にいる可能性がある)


▼染鶴(暫定)
无伝の台詞から、円環に長いこと囚われた末の疲弊している様子が見えるため、少なくとも直近複数回分(もしかしたら全て)の円環の記憶を持ち続けたまま円環に囚われている。
染鶴自身には円環の果ての望みは無い。もしくは円環に囚われていつものを救いたいと思っている。
→維伝の染鶴の台詞から推察。(この天すら驚かせたい…的なヤツとか)その助けたい対象は三日月のことのようにも、維伝まんばのことのようにも捉えられる。

▼三津谷ばみ(仮)
无伝の「俺が高台院を切らなきゃいけない気がする」など、悲/陽のスイッチになっている高台院に対する言動に引っかかる部分がある。
特に上記の台詞が「三日月のために、自分が切った方が良い」というニュアンスで聞こえるのに、悲→陽のスイッチが発動しないことになってしまうので、三津谷ばみにとっては悲→陽のスイッチは発動しない方がいいことになる。「自分自身のために、自分が切った方が良い」というニュアンスに変わる。染鶴と違って三津谷ばみは円環に対しては自覚は無いかな。


またメモしたいことがあったら追記します。

▼他記事リンク

前回の観劇レポと追記

大千秋楽配信まで観た上でまとめ


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