現代唯物論の課題とは

ロシア、中国の経済力と軍事力を確保するためには自国国民と社会上層へ科学主義合理主義を啓蒙普及させなければならない。
プーチンにロシア学術会議にオブザーバー出席させ国家が金を注ぎ、人類科学知性発展史を早急に確立させるべきだ。
ヘーゲルが作った人類知性の権威を早急に確立させるべきだ。
ヘーゲルが作った人類知性の権威を資本主義とスターリン毛沢東が潰したが今のロシア中国が牽引するべきなのだ。
他にその史的権威を既得する事業を進める国はあるか?まさかまたキリスト教界にお願いしたり、すでに提起されている日本のコミュニストに譲れないだろう?

という私のXポストにたいして、下の質問があった。

X@Mw_45800

科学も元になっている、唯物論が、科学的に考えて、つじつまが合わない詐欺だとか、バーチャルリアリティ仮説的にいえば、情報の分野は、物質を扱う工学部か、それとも言語を扱う文系かの、そもそも数式自体が言語だからとかなら、自然哲学も人文哲学も、より川上の上位で統合の可能性が、量子力学なら、天文学詐欺で、科学者が丸め込まれている可能性も想定内に、とかでしょうかね。


それに対して、Xボストで以下のようにこたえた。

世界と事物の背後に視えないモノとして数がありピタゴラス哲学派が探求した。
この一対一応の原理をシッカリ抑えていないために、現代物理学(量子力学)と現代数理学の混乱があるように思える。

世界と宇宙の実態と数理は元々違うのに、答えが合わないと言ってるのが「数理学者」現代物理学(量子力学)と現代数理学、現代哲学者、唯物論者だ。(三者の合一の命題にシッカリとした理解と答を持っていないため、現代課題に応えられていないのだと私は考える。)
さらにその誤りを指摘できない「哲学者」(本当は哲学研究研究者であり、哲学はしてない)哲学は世界事物の視えない物として真実と真理を探求し、然り然りの原理を解明した。
(余談だがヘーゲルがその原理を解明して完全完成したと言われると、哲学を知らない学者達は真理を獲得したなら全部の学問の答えを示せ!とやゆした。
それは専門の違いなのだし、哲学の無知が全く別な問題を、問題かのように錯覚させ、その無知をさらけ出させているのだ。民衆と同じ哲学なき衆愚となるのだし、なっているのだ。
哲学は世界「原理」を探求しているし、ヘーゲルもそれを掴んだ。
各学問は自分の専門学問の「真理」を探求しているのだ。
科学哲学論として大切な点なので、今でもシッカリこの違いを理解していなければならない。)

物理学者も数理学者も哲学者ではないため普遍原理を知らない。

いくら現代物理学の量子力学で見えないモノを解明しても、数はモノそのものにはならない。
これは真理摂理だが、しかし物理原理(真理探求の)はその答えで納得してはならず、物理学的現象の微細(真理)を掘り下げて下降しなくてはならない使命を持つ。
そのような世界と宇宙原理(真理)を掴んだ哲学と各学科が探求するべき真理(原理)の次元が違うこと、階梯が違うこと、を混同しているのです。つまり哲学の真価(宇宙と地球=哲学では「世界」というーー世界原理を解明したこと)を知らないだけなのです。
哲学も学問であり人間生活と生存活動に必要なものであり、さらに哲学と他の学科に不可欠な学問なのです。各学科と学問も哲学なくして学研の正しい道を歩むことはできないのです。
現代世界の自然科学系(嘘哲学による現代科学分類では理数系と呼ぶ)社会科学系(嘘哲学では文化系と呼ぶ)は正しく歩むことができず、すでに陳腐現象が明らかになっているのです。
子供と大人の知性と感性を成長し得ない「教育学」イジメ殺人(自殺に追い込むこと)を止められない、解決できない「教育学」それでも「教育学」だとして恥じない「学者なる者」たち。
貧困問題を解決しない「経済学」カネの流量とその操作を追求するのが「経済学」だとうそぶく「学者なる者」たち。
不正政治を摘発し改革しないと「政治学」と「学者なる者」たち。国民による国民のための政治を実現させない「政治学」と「学者なる者」たち。
法学も同様。自然科学も上に述べたように同様。戦争毒ガス火薬などや農毒薬を開発し、医薬漬けにする化学も同様。生物学も同様。工学も同様。地球自然そのものが危機に瀕しているではないか。

真理の哲学とその原理は明快なのに、倒錯者の錯誤と倒錯を示すために作文するバカらしさ、めんどくさい。
漢字変換も妨害されてるし、お人好しバカ力の気力が出てきたら添削する。

「世界人類の」とは、今だけという限定した意味で、人類そのものではありません。
人類の本史はまだ始まってはいません。前史の段階で動物的人間の時代にあります。本史は今後の地球史と同じぐらい続くでしょう。そういった歩む目的地を知らずに歩いている人たちがいます。そういう人たちが今の科学史を書いているのです。
あなたも試しに、目的地を知らず、持たないで歩いてみてください。歩けないから人類の目的地を示したモノが哲学であり、各自勝手な宗教です。
それに地球は一つしかありません。その地球の事物を正しく見て探究し記述しようとしているのが科学と学問ですから、正しいモノは1つしかありません。
他は全部嘘です。嘘をつくために探究してるのではなく、結果的にそうなってしまう関係にあるのです。
これら哲学の教え(他にも絶対的真実と相対的真実の原理とかもあります)に従わないと、正い解にはなりません。
哲学から「独立させ」「科学」「科目的学問」〜
各学問は専門といての根拠を明示しないと学問としては認知されません。
世界中で各自主観勝手に「〜学」と命名しょうが、そこに付け加わる智や、実験的経験もなく発展しません。ですから各学問にはそれを示した原論があるのです。しかし現代はその発展形式として、あるいは混乱と試策形式として科目学が分化したり独立したりしています。各学科の学祭的な課題に取り組むようになり、学術体系・樹系として捉えづらくなり科学史(知性史)の混乱期を迎え、世界原理を掌握する哲学が答を示さなければならない時代になっています。試論的なアイデアも提起されているようですが、混乱は深まる一方という状況になっています。
上に述べて来たように、哲学の理解が広がり弁証法的発展原理の理解が進むまでは整理されないでしょう。
換言すれば新世界システムを迎え新しい人間と社会関係と様式にならないと整理されないでしょう。新しい人間と生まれ変わらないと、さらにその社会へと変わらないと常態的整理はされない。

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