2024あけましておめでとうございます

新年になりました
改めてあけましておめでとうございます
僕自身は7月から休職し、無職となり冷房をつけなきゃ過ごせなかった日からいつの間にかそれが暖房に切り替わり気がつけば新年になっていました

故に2023年は半年ぐらいしか働いてないですね。一瞬で年を取りました

休職して以降は、毎日毎日襲ってくる不安を処理するのに試行錯誤していましたが、その日の不安は消えても朝起きて脳がリセットされれば不安は何事もなかったかのようにまた訪れて、僕の心を蝕んでいきました。今もそれは変わりません。
どうにかして、ちゃんと生きようとしているにも関わらず社会人として当たり前のことができず、メンタルを壊し、自滅していくというのを社会人4年目にして2度行っております。そんなメンタルが弱い人間の年末年始どう過ごしていたか書いていこうかなと思います。
僕の日記なので明るい話は特にないです

年末の31日から1月3日まで実家にいました。
実家に帰れば何かインスピレーション湧くのかな?と期待して普段趣味で描いてる漫画の機材などは置いて行ってパソコンや日用品や服のみを持って行って、実家に帰ったのですが、やはり僕はのんびり休むということができないで、テレビを見ていても何か生産的なことをしなきゃ!という考えに支配されて時の流れがとても緩やかに感じていました。家でのんびりしてても時間を無駄にしてるこの感じ。
本当はもっと長く実家にいてもいいんだけど耐えきれなくなって、無職なのに三が日だからって帰ってきました。


そんな休みの間、家族で初詣に行ったのですが、くじ引きは「吉」でした
家族がおみくじを引くというから「じゃあ、オレも」という感じであまり乗り気でなく引いたので正直結果はなんでも良かったんです
なぜかというと去年のおみくじは大吉だったからです。大吉にも関わらず今までの人生で類を見ないぐらい苦しい人生を送らせていただきました。
だから、いっそのこと失うものは何もないから凶が出てくれないかな?と期待していたんですが、「吉」というリアクションに困るような結果でした。
くじに書かれていることは吉なので良かったり悪かったりとパッとしない内容でした。もっと今年に対して絶望するような罵詈雑言を書き連ねてくれてもいいのにと思いました。
去年は大吉で地獄みたいな1年だったのに吉だとしたら去年以上に酷い年になるのだろうか?僕の今持ちうる限りの想像力では死ぬか入院するレベルのことが起きるんじゃないか?それぐらいのことだと思いませんか?

1月から転職先に入社することになるんですけど、まだ転職ブルーというか。本当にここで良かったのかな?っていう分はずっとあります。内定がここしか出なかったし、退職させられたから正直ここでしか働けないという選択で内定を承諾したのですが。
7月から休職中は不安で不安でたまらなくて何度もこの不安をやり過ごすため酒を煽り続けました。
一人暮らしなので酒を飲むには一々買いに行かなきゃいけないので、「めんどくせぇなぁ」と思いながら買いに行くんですが実家では焼酎のでかいボトルが置いてあるので実家に帰った時は毎日朝から焼酎を注入していました。
この日記では何度か禁酒してます。みたいなことか禁酒したら気分が良くなってキマりました的なことを書いています。なのになぜこんな自滅行為をしているかというと2023では「死」への距離が近くなったと感じているからです。
時期が時期なだけに命に対する話題は敏感なことではありますが、僕個人として去年適応障害になり、自分の性格からしてもいつうつ病になってもおかしくないようなメンタルの弱さ。そして、不安を和らげようと酒を煽り続けた結果上がり続ける尿酸値とγナントカ(肝臓の数値)。うつ病になる患者の死因はやはり自殺が多いと言いますし、アルコール依存との関連もあろうそうですね
不安を抱く→酒を飲みまくる→体に悪い→酔いが覚める→不安になる→酒を飲む
と言った、早死にルーティーンを繰り返していました。今は入社してから健康診断をすることが恐怖でなりません。

ただ、こんな僕だっていろいろ考えて生きてきました。
「仕事だるーい、やーめた」みたいな退職をしているわけではなくて、普通に会社員をやってるのに勝手に体が警告を発し、辞めているような感覚です。
なんとか馴染もうとしてきましたがそれも叶わず、現在に至ります。
要するにとてつもない生きづらさを抱えているのです。(自分で生きづらい生きづらい言ってたらイタイ奴かもしれないですが、親にも友人にも打ち明けてないのでせめてここでは…)
試行錯誤してきても生きづらいのです。だったらもう「死」の方が楽なのでは?と12月中旬から思っています。
自暴自棄に陥っていると言っていいでしょう。
死にたいとは思っていません。ただ、酒を飲み過ぎてパッタリとか信号無視の車に轢かれて…とか何かの拍子に死んでしまったら「もう良くね?」って思い始めたのが2023の大きな思考の切り替えでした。
あまり良くない方向への切り替えだと思います。
「もういつ死んでもいいやって思えるぐらい人生やり切った」とかでなく「死」通して、現在の苦痛から逃げようといる、しかし、そんなことをする勇気はないという中途半端な領域にいいる。
僕は元々生に対する執着は強い方で、休職する前は野菜ばかり食べていたし、瞑想や筋トレを毎日欠かさずやってきたほどです。青信号で横断歩道を渡るときは信号無視の車に轢かれないように何度も左右確認して渡りますが、最近はそれもしなくなりました。実際、信号無視してきた車が来て後三歩くらい進んでいたら確実に轢かれていたという体験もしました。

そんな考えをしているからか、実家に帰った時父親に病気があることを知らされました。今すぐ治療しないとヤバいとか重い病気ではないし、調べた感じだと可能性は少ないけど最悪の場合は…という感じ。でも、もうそういう年齢です。
僕はその知らせを聞いた時、確かに驚いた。僕はあまり家族と会話しないけどやっぱり親がいなっくなってしまうのは悲しい。
でも、休職し始めた僕は勝手に死との距離が近くなってしまっていたから、「死んでしまったらそれはそれでしょうがないのではないか?」ということを思っていた。休職前の僕だったらこんなこと思わないだろうなって。思いました。それだけ僕は「生」に対して諦めのような感情を抱き始めているのかもしれない。いや、感情というか自分の中にある「生」に対する考えが変わったように思う。
だから、少しの驚きはありましたが自分でも驚くくらい感情に変化がありませんでした。感情というのは自分で無理やり呼び起こすものではなく、湧き上がるものだと思うので、この話を聞かされた時の自分の感情を客観的に考えていました。

もっと書きたいことや伝えたいことはあるんですが眠すぎるので寝ようと思います
眠ることによって夢という非現実的な体験に没入することが、最近のマイブームです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?